生活の見直し

つい先日まで、自分は健康だと思っていました。

しかし、ある出来事をきっかけに頻脈発作が出てからのこの一ケ月。なんだか疲れやすく、また期外収縮なども起こりやすくなりました。

なんだか身体に自信がなくなってきました。

しかし考えてみれば、私の年齢で、月曜日から土曜日まで働き、日曜日も原稿や家事があり、しかも当直を若い人と同じようにこなしていたら、身体がヘンになるのは当たり前のことです。

昨日、知人の精神科医に「慢性の緊張状態」のせいで起きる「不整脈」と指摘され、今さらながら ハッと気づきました。

職場にいると過度の緊張感を強いられています。家に帰ると本当にほっとします。

家は家族も少ないので静かですし、森の空気感もいいです。猫たちにも癒されます。

自分を過信していなかったか。

思いきって、やむなく月一回程度行っていた病院に☎をして一方的にやめることにしました。出かけていって言うと、押し切られてしまうからです。

暮らし方の見直しをしなければいけない時期に来ている。

そのことを教えてくれた体調不良だったのではないかと思えるようになりました。

食べたものを書く行為は楽しいです。

一ケ月限定でおこなってみようと思っています。

カロリーなどにとても詳しいので、食べたもののカロリー計算は難なく行えます。

食べる行為をもっと大切に出来るような気がしてきました。

どんな結果になるでしょうか。



コラム(49)本日掲載・夢を叶える消去法

本日掲載のコラムです。

☆  ☆  ☆

ピラティスの先生と話をしていた時「どうしてこの仕事を選んだんですか」と尋ねてみました。彼女が元々栄養士だったと聞いていたからです。

短大を卒業して、最初は何を思ったかジムのインストラクターになったそうです。しかし「この雰囲気は合わない」と感じて、栄養士として病院に勤めることになりました。

ところが今度は「病院という保守的な組織に馴染まない自分」を感じて早々にやめてしまったといいます。そしてかねてから関心のあった整体を学び、師匠について仕事をしていましたが、上下関係の厳しさに疑問を感じて独立の道を選んだということです。

その後もいろいろと手を出したが自分に合わないものを、熟慮の末、消去していくうちに今があるのだそうです。

彼女は好きな仕事に巡りあえ、今、生き生きと働いています。

実は私も職業選択の折に消去法で決めたという経緯があります。

医学部を卒業したものの、臨床医は苦手だと感じていました。ふと中学生の頃キュリー夫人に憧れていたことを思い出して研究者の道を選んだのです。

しかし教授を頂点とした閉鎖的な環境が「進取の気性のある自分には合わない」と感じて一年でやめてしまったのでした。

 

さて、どうしよう・・・・

さりとて臨床医になる自信はなく、いろいろと考えを巡らせたが、どれもピンとくるものがなく、もう臨床医になるしか道はなかったというのが正直なところです。

(手塚 治が、医学部を出たものの、漫画家になったと知って、医学部を出ても、どんな仕事にも就けるんだ、ということを知ったのが、医学部を受けた動機だったので、音楽や絵の道を模索しましたが、ことごとく挫折しました。もともとその方面の才能はなかったということです)

 

しかし大変不器用ときています。医療器械を扱う自信がこれまたなかったのです。

まったく使わなくてすむのは精神科しかなかったという消極的選択でした。

(実は精神科だったら夜、起こされなくてもいいというのも選んだ理由でしたが、こちらは今でも深夜に起こされています。精神科救急って案外、深夜に多いのです)

いずれにしても自分に合わないものを消去していくうちに、精神科医に辿り着いたわけです。

今でこそ「天職ですね、精神に関心があったのですね」などと言われるがトンデモナイ。合わないものを消去した結果、私に残されていた道が精神科医であり、もうこの道でやっていくしかないと覚悟した結果です。

ここがポイント!

精神科医の吉田脩二先生が、「不登校の子供には“不適応能力”があると考えたほうがよい」と提案している。その考えに通じるものがあるかもしれない。不登校といえば「学校に適応できないのは問題で、適応できるように改善すべき」と考えられがちだが、本人が「この学校は自分には合わない、適応できない」と気づく力こそが大切なのだと言っています。

確かに、とにかく我慢だ辛抱だ、とムリヤリ適応していては、自分らしさも自分の能力も何がなんだかわからなくなってしまいます。

「消去法」というとネガティブな感じがするが、実は失敗から学び、合わないものがわかるって素晴らしい能力なのです。

そういう意味で、“消去力”は必要な場所に辿り着くために欠かせない力になり得ます。

 

自分に合うか合わないかの視点で歩む道を見つめ、合わないものにしがみつくことなくさらりと消去して、軽やかに転身していければ、人は年令に関係なくいつか夢に辿り着くことでしょう。

(注*この考え方は30年来、自分の中では暖めてきた構想です。自分の生き方でもありました。ピラティスの先生とたまたま話していて共感し、今回書いてみようと思いました)