悲しい気持ち。

 

原稿を書きに、近所の喫茶店に来ている。

隣の席の60才代の二組の夫婦がにぎやかにさんざめく様子が腹だたしくうるさく感じられる。

さきほど、悲しい想いをしてきたばかりだからだ。

☆   ☆   ☆

林の中にひっそりと佇む、誰ひとり訪れる人とてない喫茶店。

一昨年も昨年も夏になるとそこで原稿を書いていた。

冬季は休業なので、今日初めて行ってみた。

 

暗い、人気がない、カフェ続きの自宅のドアを叩いてみた。

ひっそりしていた。

「いつも休んでるんだよなあ。気ままな商売なんだから」

あきらめて帰ろうとしたら、ご主人が車で帰ってきた。

「お休みされてますね」と言った。

ご主人は痩せてみえた。悲しそうな顔をされた。

「女房、二週間前に亡くなったんです」

「お線香をあげて行ってください」

 

驚いたが、あり得ることだ。

手作りの自宅の、ぎしぎしと音のする階段をあがり、お参りを

して、話を聞いた。

ももちゃんという一歳の犬が、人がきてうれしいのか、噛み続けて

くる。

昨年の暮れに乳がんがわかり、わずか半年だったと言う。

ご主人は悲しさに耐えきれない様子だったので、一時間ばかり話をしておいとまし、別の喫茶店に来た。

何が悪かったんだろうと後悔するご主人。

「どこかさびしそうな印象のある奥さんでしたよね」とホンネを言った。

「そうでしたか。こんな不便な所に越して30年。苦労させたかも

しれません」

「こういう環境は落ち着くけど、閉鎖的になってしまうので、ついついいろんな気づきを得られにくいのですよ」とホンネで話した。

ご主人と話すのは初めてだ。

でもホンネで話をしたい気分だったので、優しい言葉を使ってホンネでしゃべった。

自分の息子の話もしたら、その時だけ自分も涙が出た。

やっぱり、私の心もまた、ずっとずっと長年悲しんでいるんだと

思ったし、このご主人も死ぬまで悲しむんだろうなと思った。

 

「店をどうしようかと思って。彼女は何を望んでいるかと思って」

「続けたほうがいいに決まっていますよ。奥さんが愛した店ですもの。続けてください。また来ます」

そう言って、辞した。

 

人のイノチ、はかな過ぎて言葉もない。

大事にしなくては、自分の人生。

 

隣の席ではあいかわらず話がはずんでいる。

出てきたガレットを「きれい!きれい!」とはしゃぎ。

私に写真まで撮らせてくださった。

いいじゃあないの、楽しんでくださいな。

じゃあ、と言って出てきたら、若い男の子がひとりで入ってきた。

若い男の子がひとりで、なんて珍しいのだよ。

 

と思っていたら、にぎやかな夫婦二組が出ていった。

静かになり、突然流れている音楽が聴こえてきた。

いいなあ、好きだなあ、この時間。

 

私は喫茶店が好きだ。

夫を嫌いなわけじゃないけど、ぜったいひとりの時間が必要だ。

家に帰れば、メイドになり、主婦になり、愛猫の調教師なのだから。

 

そして、休みの日も、けっこう仕事ばかりしている私だなんて

職員さんは誰ひとり想像していなくて、責めたててくるんだよな。