連載コラム(1) 会話とはキャッチボールと同じです

最初からぶっそうな話ですみません。

私の患者さんが診察室に入ったとたん「わたし今・・・人を殺してきたんです」と言ったなら。

多分、わたしはとても驚くと思います。

そして表情ひとつ変えることなく言うでしょう。

ただ「・・・そう」とだけ。

 

患者さんの訴えを診察室という名の密室で聞き続けて何十年。

時代は変わり、病気の様相はすっかり変わったけれど、「人の話を真っ白な心で聞き続ける」というスタンスだけは変わることなく続けてきました。

そして何十年続けてきても、一番むづかしいと感じるのは何でしょうか。

それは「人の話を聞く」ということなんです。

 

そんな私が伝えたいこと。

それは、会話とはまず、投げられたボールをしっかり受け取ることだということです。

 

なあんだ、と思われるかもしれません。

わかっている、とおっしゃるかもしれません。

ところがどっこい。そうはいかないものなんです。

 

自分と同じ考えである時には「そうそう」とすなおに聞けても、反対意見だったり、思いもよらず「学校に行きたくない」「やめたい」などと言われた時に、まず「そうなんだね」と言える人はとても少ないと思います。

 

たいていの人は、困ったことを言われると相手のボールをしっかり受けとる前に、急いで投げ返そうとします。

 

私にも若いころ、苦い思い出があります。

 

それはある若い女性の患者さんでした。彼女の会社の上司の息子もまた、私のクリニックに通っていたのです。ある時彼女から「先生、私がここに通院していること彼にしゃべったでしょう」と言われました。身に覚えのない私は被害的になり疑っている彼女の気持ちを受けとめる前に即座に否定したのでした。

本当に心外だと思った私は「言うわけがないでしょう」と言い、彼女は黙りこみました。

 

そして話はそこで終わったと思っていたのですが・・・・・・。

ところがです、その後、彼女から長い手紙が届いてびっくり。

 

こんなことが長々と書かれていました。

 

「先生は不安な私の気持ちをわかってくれる前に、怖い顔をして否定し自分を主張した」と書かれていたのです。

 

「殺してきました」と言われても受けとめられる私が、危険が自分の身に及んで余裕をなくすと、受けとめるどころか自分の身を守るのに必死になっていたという事実。

 

反対の例をあげましょう。

 

先日、私は仕事のことで急に自信がなくなり、相手に電話をして訴えました。

相手方は「そんな気持ちでおられたんですか。気がつかなくてごめんなさい。でも大丈夫」と言ってくださった。

「そんな気持ちでいらしたんですね」と投げたボールを受けとめてもらっただけでなんだかとてもうれしく「頑張ってみようかな」という気持ちになれたのです。

 

不思議!!

 

わかってもらえていないと思うと人はしつこく訴えたくなるものです。わかってもらえたと思えた途端にすっとして、案外「もう少しだけがんばってみようかな」などと思えてくるのですから本当に不思議ですよね。

むつかしく考えることはないんですよ。

そしてここがポイント!

多少 ?? と思っても、とにかく「そうなんだね」と相槌をうつだけでも結構。

相手や自分を偽ることと、相槌はまったく別モノですよ。わからない部分はあとでゆっくり確かめましょう。

言葉の魔法。上手に使って聴き上手となり、まわりの笑顔、引き出したいものですね。