連載コラム(19)叱る前に準備すること

 

最近、学校の先⽣と⽣徒の間の信頼関係が揺らいでいるための事件が⽬⽴ちます。

⼀体、信頼関係とは何でしょうか。

私の診察室では患者さんの話を聞き続けることに多くの時間を割きます。

患者さんの話すことを評価せずに、ただただ聞き続けるということを何年も続けます。

そうしますと、いざ「これは放っておけない」という時にきつい助⾔や注意をしても、素直に聞き⼊れてくれるのです。

「信頼してくれているからかな」と思う瞬間です。

 

話を元に戻しましょう。

私がいつも不思議に思うことがあります。

それは、新しく4⽉から担任になった学校の先⽣が、⽣徒が悪いことをすると、赴任間もなくであってもすぐに注意することです。

悪いことをした⼦どもに注意するのは当たり前だと思われるかもしれませんね。

でもね、⽣徒の側から⾒たらどうでしょうか。先⽣の⾔うことが正しいと分かっていても、⾃分のことを何も知らない先⽣から叱られると、ショックを受けたり、素直に受け⼊れられなかったりするのではないかと思うのです。

⼈間は、正しいことだけを⾔っていればいいというものではありません。

まず教師と⽣徒の関係性があって、その⼈間関係の上に⽴った「褒める」や「叱る」ではないでしょうか。

そして信頼関係などというものは、そもそも⼀朝⼀⼣にできるものではないのです。

私が⼼配するのは、事件に発展する場合などには、先⽣との間だけでなく、その⼦は親に対しても⼼を開いていなかったのではないかという点です。

親を信頼するとはどういうことかと思われますか。

親が⼦の⽋点や弱さも⼗分に分かった上で、⽋点や⻑所も含めて丸ごと⼦どもを受け⼊れていると、⼦どもは親に隠すこともうそをつく必要もないわけですよね。つまり弱い⾃分もさらけ出せるということです。

私も含めて今の社会が、弱さや⽋点を受け⼊れない体質になっているので、⼦どもは親にも先⽣にも容易に⼼を開いてはいけない、弱さを⾒せてはいけないと思っているのかもしれないと心配します。

こうした関係は実は、師弟や親⼦に限らず、上司と部下や、友⼈、親類などすべての⼈間関係に⾔えると思われます。

例えばこんなことはないでしょうか。

尊敬し、信頼している⼈から叱られると、ショックであっても、どこかで妙にうれしい。でも信頼していない⼈から叱られると、むしろ反発してしまう。その違いは「相⼿を信頼し⼼を開けるかどうか」にあるのではないかと考えます。

信頼関係がなければ、いくら⾔葉を投げかけても、それは閉じた⼼に跳ね返されるだけです。

ここがポイント!

本当に相⼿のためを思うなら、回り道のようでも、まずは相⼿の話に⽿を傾け、事情や思いを受け⼊れるという準備を十分に時間をかけてしましよう。

しっかり時間をかけてから注意したり叱ったりしても決して遅くはないし、むしろ⼼に沁みると思います。