連載コラム(22)「不安な気持ち」を成長のきっかけにしよう

九州の地震災害があったが、どこに住んでいても災害から無縁ではありません。住む地域に関わらず不安に思う⽅も多いことと思います。今回は「不安」について書いてみたいと思います。

精神科領域ではさまざまな不安を訴えて来院する患者さんがもっとも多いです。

以前、⼤きな台⾵に遭遇した⽅を診察したことがあります。

⼤きな窓のある家に住んでおられたその男性は、しなり続ける窓が割れないように⼀晩中、窓を押さえ続けていました。

夜が明け、台⾵⼀過。ほっとしたのもつかの間、間もなく強い不安障害を発症されたのでした。

不安を感じる中枢は誰もが脳の中に持っており、羅針盤のように危険を察知し、その⼈を守る装置でもあります。

しかし、その男性の場合、死ぬほどの危険を経験したことで不安装置のタガがはずれ、不安の実態は消えたのに、脳だけが過敏になったのでしょう。

不安を感じる⼒は⼈によってさまざま。夜、1⼈でトイレに⾏くだけでも怖い、という⼈もいれば、深夜の灯りのない夜道を若い⼥性が1⼈で帰宅して平気という場合もあります。

あまり過敏なのも生きていきにくいですし、深夜の暗い道を若い女性が歩いて帰っていく、などという大胆な感覚も、危険だと思います。

私の患者さんの例ですが、⾞を運転すると「何かを轢いたのではないか」という不安が怒濤のように押し寄せて、不安で不安で仕⽅がないと⾔う⽅がいます。

この⽅の場合は、常に強い不安を感じ、⼼から離れないので治療を続けているのですが、こんなケースはしばしばみられます。慎重でいいと思うのですが、本人にとってはつらいようです。

彼が運転中に事故を引き起こす危険は極めて少ないと⾔えます。なぜなら慎重の上にも慎重だから。

また私事で恐縮だが、私は原稿書きと講演が苦⼿です。

「もう書けないのではないか」「うまく講演をこなせないのではないか」という不安に絶えずさいなまれています。

経験が少ない場合に不安になるのは当然ですです。

書くことも話すことも臨床経験とは違うからです。

けれど⼈からは信じてもらえず、あまり騒ぐと嫌みになるので騒ぐに騒げないのですが、でも本当に不安なのです。

で、対応策としては、不安だから、不安で仕⽅がないから、書く能⼒のある⼈の2倍の準備や時間をかけて努⼒するしかないわけです。

「ちゃんと書けてるではないか」と言われるのですが、不安を利用して、十二分の時間をかけて準備しているからできていることなのだ、ということを人は知りません。

ここがポイント!

このように、いろいろな種類やレベルの不安がありますが、不安感は基本的には私たちにとって、なくてはならない感情だと⾔えます。

まず危険をいち早く察知し⾃らの⾝を守るために。

また不⼗分を⾃覚し、努⼒することで失敗を回避するために。

不安を知った上で⾏動することができれば、結果がうまくいくというわけです。

そう考えれば「⼀切不安がない」というのはむしろ不⾃然な状態です。

不安を感じない⼈は、実は強いのではなく、それを認めたくないのかもしれません。

もし⾃分の中の不安に気づいたら、必要以上に怖がらずに⾒つめてみましょう。

不安を抑圧せず、「⼤切なことを教えてくれるサイン」ととらえたらどうかと思います。

そうすることで、不安はあなたにとって⼤きな味⽅となり、無病息災や成⻑への⼤きな原動⼒となるに違いありません。