連載コラム(45)いよいよ自立の時を迎えて

<45>いよいよ⾃⽴を迎えて

中学⽣の頃から通院している男の⼦が、親元を遠く離れ専⾨学校に進学することになった。これまでいろんなことがあった。不登校のまま中学を卒業したが、⾼校に⾏ける状態ではなかった。しかし親は「せめて⾼校だけは」と説得した。脱線するが、私は「せめて」と「どうせ」が嫌いである。世間を⽢く⾒ているし、その先への展望も感じられない。

さて彼はどうにか⾼校に進んだが、「せめて」⾏った⾼校は、ほどなく「辞めたい」と⾔い出した。すると親は「何か好きなことがあるなら、辞めてもいい」と⾔う。ここで私は反論した。「ではお⺟さんは、好きなことを仕事にしていますか」と聞いてみた。⽣活のために⼀⽣懸命働いているお⺟さんだ。

好きだの嫌いだのと⾔っておれないのは、ほとんどの⼈が同じだろう。でも多くの親が、⼦どもが挫折すると「せめて○○だけは」とか「好きなことを⾒つけたのなら」などと⾔う。⼦どもの将来を案じてとはいえ、⾃分だって好きなことを⾒つけられていないのに。⾃分ができていれば、⼦どもができるのは当然と思い、⾃分ができていなければ、せめて⼦どもには、と思うらしい。いずれにしても期待が⼤きい。何がなくても⽣きてきた⾃分の⼈⽣に誇りを持っていれば出てくる⾔葉ではないはず。

結局、彼は通信制に変わって気持ちも落ち着き、年数は少しかかったが卒業までこぎつけた。このまま親元に置くか思いきって⼿放すか、親もずいぶん迷った。私は「18歳、19歳は⼀つの⼤きな節⽬ですよ」とアドバイスした。不安定な思春期を過ぎて落ち着いてくる時期である。⼀⽅まだまだ世の中を知らず、素直な頭脳を持っている。これが20歳を越えるに従い事態が変わる。「親元にいたほうが、どうも楽に⽣きていけるようだ」という損得勘定をするようになるのである。

ただしこの年頃は、まだ何事にも不安でいっぱい。あまり突き放すと、挫折した時の反動が⼤きい。20歳前は、⼀つの⼤きな「⼿放し時」ではあるが、まだまだ⼿も⼼も⾦も添えてあげることが必要だ。⼿放した上で、⼿と⼼をかけてあげながら⼀⼈⽴ちの⼿助けをしていくことで、すんなり次のステージに進めることが多い。

突き放し過ぎて失敗したり、⼿元に置き過ぎて成⻑の機会を失ったりするケースが多いので、くれぐれもこの時期の対応を慎重に。親や先⽣など年配者の⽀えやアドバイスも⼼強いものだ。⾟い時こそ、相談してほしい。そんな時、⼀緒に乗り越えてあげられる親であり、⼤⼈であるために、私たちもまた年を重ねるほどに学びや気づき、⾃分磨きに今⽇もまた忙しい。