連載コラム(52)まずは聞いてあげよう

 

私の診察につく看護師さんから「先生は甘過ぎる」と言われることがある。患者さんの愚痴やわがままな訴えを延々と聞いている様子を見ると、「甘やかし過ぎ」に見えるらしい。

しかし、それが「甘やかすこと」にはならないと知ったのは、わが子の子育てを通じてだった。

子育てに悪戦苦闘していたある日、見知らぬおじさんが突然わが家を訪ねてきた。各家を回って子育ての啓蒙をしているという。いただいた手刷りのパンフレットを何気なく読んでいた私は、ある一点で目が止まった。

「子どもがお菓子をほしいと駄々をこねる。お母さんは、お菓子はさっき食べたばかりでしょ、とはねつける。すると子どもはますます駄々をこねる」と書いてあった。では、どうすればいいのか?

「お菓子がまたほしくなっちゃったのね。でもほら、お母さんは洗い物の最中でしょ。これがすんだらあげるね。それまで外で遊んでおいで。すると子どもは『はーい』とばかり外に飛び出していくよ。そのうちお菓子のことなどすっかり忘れているかも」とあった。

それを読んだ時、わが子はもとより、患者さんの無理難題の数々を思い出した。当時の入院患者さんの多くは長期の入院で「退院したい」が口癖だった。私は日々それができない理由を伝え、なんとか納得させようと疲れていた。

そうか、まずわかってあげればいいんだ。退院する、しないの話はそれからだ。

医師になって3年は経っていたと思う。その日のことは今も忘れない。

先日、新聞の投稿欄に似たような話が載っていた。

「入院している部屋に認知症のお年寄りがいる。夜になると『家に帰りたい』と興奮し大騒ぎになる。そこへ若い看護師さんがやってきた。看護師さんは優しく話を聞き、『そうね。じゃあ、帰りましょう』と靴をはかせ、車椅子に乗せて部屋から出ていった。そして30分もした頃、ふたりは帰ってきた。

患者さんは満足してベッドに入り、まもなく寝息を立てて眠ったようだった」。

私たちは子どももお年寄りも、そして働きざかりの人だって、みな「わかってほしい」と思っている。

それは誰もが持っているあたり前の気持ちで、決して甘えでもわがままでもない。

子育てや治療にかぎらず、受け入れ難い相手の言い分に悩まされることは多いだろう。

しかし考えが違っても自分の考えは脇に置き、まずは相手の話を聴き、その思いを受け止めてみよう。

こちらの気持ちや言い分は、その後で相手の目をしっかりと見ながら伝えよう。

「思いをわかってもらうこと」は、人間にとってそれだけ大切な生きる根幹を成すものだから。