幸福の原風景

幸福の風景

脳に重い障害を持って生まれ、起き上がることも話すことも、自分で食べることさえ出来ないまま20歳を迎えた青年を受け持ったことがあります。

日曜日になると、お母さんが妹や弟を連れて面会に来られました。3人はベッドのそばに寄り添うようにして青年を囲み、一時間ほどの面会時間を、話しかけたり食べさせたりして帰っていかれるのです。妹も弟も、やさしいしぐさで兄の面倒を見ていました。そこは 重い精神遅滞の方や 精神遅滞は軽くても精神的に不安定であるために家庭で暮らすことのむつかしい方が主に暮らしていました。家族にみはなされたようなかたちで 面会に訪れる人さえいない方もいました。看護師さんたちはお世話に忙しく立ち働いていましたが、医師として治療的にしてあげれることの少ない方の病棟です。

その青年が、手足を動かすことも話すことも出来ず、笑い顔さえほとんどないまま寝ているそばで、お母さんは屈託なくしあわせそうに話しかけていました。まわりは弟や妹の明るい声や笑い声に包まれていました。それはしあわせのひとつのかたち、幸福の風景でした。

その病棟とは別に、わたしが当時、医師として主に受け持っていた病棟は 重い精神病の方の病棟でした。家族の誰かが重いこころの病のために入院すると家族の暮らしは一変します。「なぜこんな病気になったのか、不幸なことだ」と家族は嘆きます。暗く落ち込んだり苦しんだり、時には 病人と家族の間で修羅場がくりひろげられることもあります。心の病の場合、もともと普通の能力を持った方が病気のためにいろんな面で障害がおきてきます。病前には出来たいろいろなことが出来なくなり、本人も家族も苦しみます。人間は誰でもそうですが、「持っているもの」って持っていてあたり前になってしまうんですね。もともと持っていたものを何かの理由で失うほど辛く苦しいことはありません。
また からだの病気ははずかしくないけれど、こころの病気は 人に言えないはずかしいことという世間体もあります。

そういう環境にいたわたしが、たまの日曜日に訪れる病棟で垣間見た青年とその家族の風景。

存在しているという、ただそれだけでまわりをしあわせにするということがあり得る。
ただそばに寄り添うだけという、そういう愛情のかたちがある。

その風景は 今でもわたしにとって、しあわせの原点、愛情の原点です。