こころの病と向き合うために・11 自分と向き合う

体の病気も、こころの病気も、何らかの素因がもともとあって、

その上で、無理が重なったとき、発病します。

自分にどんな素因があるかわからないのがあたり前です。また

無理になっているかどうかもわからないのが、あたり前です。

無理をしているといっても数量的に出せるものではありませんし、また

他の人と比べる機会もありません。

しかし身体科であれば、生活習慣病にならない暮らし方をする、つまり

食事と運動が基本で、ほかには 定期的に検査をすることで多くの病気は

予防できたり見つかったりするでしょう。

では、こころの病気ではどうでしょうか。

何らかの素因のもとに発病すること、無理が重なったとき発病すること、その2点

では 身体科と同じです。

しかし身体科に匹敵するような チェック項目や検査は、ないと言うのが正しい答え

です。

じゃあどうすればいいか。そこで 登場するのが自分の主治医としての「自分」です。

子供のとき、お母さんに認めてもらうことが子供のすべてでした。それを通じて自我が

できあがるのでした。大人になってからは、自分が自分を認めてあげられるように

なることが目標です。ところがこれは 一朝一夕で成るものではなく、一生の大仕事

なのです。ただでさえ難かしいことの上に、人はどんどん変化するからです。

死ぬ、その瞬間まで、人は変化し続けますから、これでいいという時はこない。

まずそのことをわかっていない人が多いように思います。

それがそんなに大仕事で大変なら、手っとり早くすませる方法は何でしょうか。

他人の評価です。他人によく思われることを、基本にすえて生きている人のなんと多いこと。 

そんな大人であるお父さんやお母さんをまねた子供がどんどん大きくなって、またお父さんや

お母さんになるのだから あたり前ですね。

お母さん自身に自信がないと、他人の評価で子供を評価したり、条件つきで子供をが愛する

ことになります。

時代が悪循環の方向に行かないようにするためには、どこかでその悪循環を止めなければ

いけません。

そのためできることがあります。あなたが今、20歳であれ、40歳の働きざかりであれ、

60歳70歳となって人生の役割の大半を終えたと思っている方であっても、「自分のこころと

向き合ってみる」ということはできます。

「向き合う」というと、なんだかこわいことのように感じますが、向き合うということは、どんな

ことかというと、気持ちを受けとめるということです。

「夫と向き合いましょう」というと、なんだか 夫と正面きってむずかしい話をしなければいけない

ように感じますが、そうではありません。夫の気持ちをまずは受けとめてあげることです。

「子供と向き合う」も同じです。

気もちを受けとめるためには、まず その人を見ていなければなりません。相手の気持ちを

想像しなければなりません。問いかけしたり問い返したりもしなければなりません。

そういうことをして、結果として「ああ そんな気持ちでいるのか」とまずは受けとめてあげること、

それが向きあうということ。

自分のこころと向き合う、も 同じことです。自分のこころを観察し、自分の心を感じてあげ

自分に問いかけ問いかけしながら 自分の気持ちを確かめてあげる、そしてその結果として

どんな気もちが出てこようと、その気もちをまずは受け入れてあげること、それが 自分のこころ

と向き合うということです。

楽しいことです。

一生かけて、自分と楽しくつきあっていけるなら、そして その結果、健康的でしあわせな人生

が送れるなら、いうことありませんよね。