②精神科医になるまで

医学部に入学したものの、医師になりたい!と具体的にイメージして入ったわけでなかった私。
そのころ、手塚 治が医学部出身だと知り、医学部に入っても漫画家にだってなれるんだ、
と気持ちの中に安心感がありました。

ここで書くのは恥ずかしいのですが、中学生のころ「キュリー夫人伝」を読み、研究者に
憧れがありました。

そこで卒業してすぐ、基礎医学の研究室に入りました。
半年ほど通いましたが、「自分には合わない」と思ってやめました。
一日中、顕微鏡をのぞく仕事は退屈でだめでした。
また 教授以下数名の狭い世界は、わたしには封建的に見えて、一生をこんな狭い
世界の中で生きるのはいやだ、と思いました。

やっぱり臨床医しかないか、と思ったものの・・・・・・・・・・・・
体力的に医師を続ける自信がありません。
見かけによらず、からだが弱いのです。
また 手が不器用です。医師は器用さがぜったい必要な職業です。

小児科のベッドサイド研修で、赤ちゃんをうまく抱くことができず
男性医師から「女性のくせに・・・」という視線で見られて傷ついてしまいました。
注射の練習をしても下手でしたので、自信をなくしました。

外科医にでもなろうものなら、おなかの中に鋏を忘れてしまうのではないかという
恐怖感にとらわれそうで。

内科医だって、いろんな検査があります。
眼科や耳鼻科や皮膚科だって 手が器用でないとつとまりません。
そんなこと、医学部を受験する段階では知らないことでした。
医学部に入ってからも、卒業するまで知らないことでした。

手を使わなくていいこと。夜中にしょっちゅう起こされなくてもいいこと。
それは精神科しかなかったのです。

憧れだった研究者はだめだった。
臨床医も、体力と手の器用さ、そして 徹夜できるくらいの強靭な精神とからだ。
医師に要求されるのは、そういうものです。

でも、わたしにはすべて自信がなく、消去法で選んだ道が、精神科でした。

このころから「好きな道を進む」というより「いやだと思うこと、合わないと思うことはしない」
というのが、進む道を決めるわたしのやり方のように思います。

精神科医としてのスタートは、25才の秋でした。

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