中休み

9月10月と、勤務先の病院で、講演をする予定です。

自分なりにメッセージを込めて話しをしたいと思い、まず 言いたいことを ブログに書く

ことにしました。

この一ケ月、日課のプールもお休み、毎晩少しづつ書いていました。

でもなんだか疲れちゃったので、中休みします。

まとまったエッセイができたら、勤務先の Mドクターが新聞社に紹介してくださるというのですが、

そんなまとまったエッセイにするのは、先の先の先です。

毎日の仕事と家事だけで 精一杯の私は、それなりのブログや 原稿を書こうと思うと、家事をしていても

「早く終えて、パソコンに向かわなくては!」と思うので いらいらしてしまいます。

好きな料理も、重荷になってしまい、生活が楽しくなくなってしまいます。

かといって、人に伝えたいことが一杯ある私は、家事と仕事だけで終わる一日も、もの足りなくなるんです。

むつかしいところですね。

医師であり、作家でもあるM先生は、メモをしておくと奥さんがパソコンに入力したり整理したりして

くださるそうです。

「まだ原稿が出来ないの?」と M先生から不思議がられるんだけど、家事は何ひとつしなくてもいい男性と、

女性では 空き時間は4倍くらい 違うのじゃないかなあと思います。

でも、そんな言い訳はできないくらい、男性と女性は体等だということになっているし、いろいろ便利になって

いますからね。

わたしに能力がないだけなんだとは思うけど、ちょっとはがゆいですね。

自分の能力の範囲内で生きるのならたやすいですが、能力をちょっとだけ上回ることをしようと思うと

やっぱり大変な努力が必要なようです。

「ゆらゆら」という映画かドラマがありますが、立派に生きるのではなく、こうやって ゆらゆらと揺れながら

生きることこそ大事なんだと、そんなメッセージを込めた講演にしたいと思っているところです。

わたし流しあわせの見つけ方

心の病向きあうために15 健康の目安

精神科医の小倉 清 先生が その著書の中で 健康とは の目安として あげるおられるものが

あります。

1、不安をどれだけコントロールしているか。(不安があるのはあたり前という前提で)

2.怒りをどれくらいコントロールしているか。(怒りがあるのはあたり前という前提で)

3、人に与えているか。

4、変化に対応できているか。

5、現実をみつめているか。

こころの健康とは何か? という答えは 優れた精神科医であっても、人をすぐ納得させられるような

 ぜったい正しいという答えを持っていないのではないでしょうか。

それくらい 言葉で伝えることがむづかしい問題です。

わたしは「その人が その人らしさを生かしながら 周囲と適応して しあわせ感を持ちながらで生きているか」

だと思っています。

こころの病気とは 一言でいえば 適応障害です。

その人らしさを生かしていないとき 病気になります。

環境になっとくして、それなりにその環境に適応していければ 健康です。

能力は関係ありません。それぞれの能力に応じていればいいのです。

わたしが言葉で表現すれば、そういうことになります。

こころの病気になるということは、 あれ? 何か 違うぞ。方向が違うぞ。

違う方向でがんばりすぎて、無理がいってるぞ。という感じを カラダや精神が感じ始めたということ。

だから、何が違うのかな? ということを考えていけば良くなるってだけの話。

でも だいたい 人はそれを認めたがらないし、変わりたがらない。

だから 病気から抜けられない。

でも パラドクシカルなんだけど 「ああそうか」と そういうことを感じる感性がある人はまた

病気になりにくいんですなあ。

感性が鈍いから 病気になっているのに 感じろよ、っても無理なことが多いので そこが

問題。

だからそこが医者の腕の見せどころ。また 患者さんが 一世一代の覚悟をしないと治っていかないところ。

わたし流しあわせの見つけ方

こころの病と向き合うために・14 見えない「こころ」にものさしを

自分を大切にするためにはまず「気持ちいい」「好き」を ものさしにして 測ってみようと話しました。

「好き」や「気持ちいい」を基本にし、「嫌い」や「合わない」ことを自分に認めてあげるために。 

自分のこころを観察するためには、その他に自分なりのものさしを持つことが必要です。

以前に私はこのブログで、書きました。

わたしは料理が好きなほうなので、「好きな料理がやりたくない」と思ったら 相当疲れていると判断する。

掃除や整理は苦手なので「今日は掃除しよう」とか「整理しよう」とか思うときは 元気があるとき。

そんな風に、家事を ものさしに 使っています。

自分の中で変化の大きいものをさがして ものさしにするといいと思います。

わたしは他には、「人に会いたい、会いたくない」を ものさしにしています。

たとえば 職場の病院には名誉院長室っていうのがあって、いつもドアが 開いています。

元気のある日は、ちょっとのぞいて「おはようございます」と挨拶したり、ちょっと座りこんで話して

いったりします。でも 元気のない日は 素通りです。

休日でも「誰にも会いたくないなあ」と思うときは疲れているとき。

人に会うと元気がもらえるっていうけど、ホントかなあ。疲れるけどな、ってな具合で 人間みんな

ものさしが 違いますからね。

あなたのこころを単純に、わかりやすく表現してくれるのはまず、どんな感情でしょうか。

わたしのように「疲れ具合」を知りたい人もいるでしょうが、わくわくするベストな自分を知りたいっていう

人もいるでしょう。「やる気満々の自分」を 知りたいという人。

「不安がなく 落ち着いている自分」を 知りたいという人。

「気分の憂うつ度を測りたい」という人。

どんな感情に焦点を当てたいか、まず考えてみてください。それを知ることで 人生が生きやすくなるとか

人生が楽しくなるとか そんなことが目標です。

そして その感情を測るためには 自分の どんな行動や気持ちを ものさしにするといいかについて

考えてみてください。

わたしが 心の疲れ具合を知りたい理由は、精神科医という仕事を大切にしていて、疲れていない状態に

できるだけ保っていたいからです。

病気の人であれば 病気が良くなっている指標が必要でしょう。子育て中であれば、子供にゆとりを持って

接していたいから、とか。営業の人なら 営業成績を 無理なく上げたいからとか。

自分の人生の目的を考え、そのためには どんな気持ちの状態でいることが大事なのか考え、そのつぎには

それを測るものさしを 作っていくといいと思います。

少しは役にたちましたか。なんだか 文章がだんだん 書きなぐり状態になってしまい すみません。

わたし流しあわせの見つけ方

秋の気配

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ブルーベリーが今ごろ熟してきました。

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コスモスは夏から秋とずっと咲きつづけ。

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まつむし草はもう終わりかけ。

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猫も外を眺めるのが大好き。

すっかり涼しい。秋です。

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わたし流しあわせの見つけ方

こころの病と向き合うために・13 ケース

「自分の気持ちを大切にする」「自分を大切にする」というテーマで書いた翌日の今日。

ふたりの方が、たまたま そんな例だったので ご紹介します。

ひとり目の方。30才代の男性。

うつ病で自殺を図られた後、外来に通っておられます。事件があった直後、とるものもとりあえず

空路はるばる駆けつけたお母さんは、いかにも田舎の素朴で優しそうな方でした。

彼はお母さんから、幼いころから「人には優しくしなさい」と、そればかり言われて育ったと言います。

だから自分の気持ちを押し込め押し込め、いつもまわりにあわせて生きてきました。

仕事でも有能、家庭でも まわりに優しいおとなしいご主人。しかし うつ病になった今、自分の気持ちが

「うつ」 に傾くと、それを表現できず、どうしていいかわからなくなり、自分を殺したくなると言われます。

誤解のないようにいいますが、うつ病になったことは 育て方と 必ずしも関係ありません。

いくら親が「人に優しく」と教えたところで、そんなこと 端から忘れている人のほうが多いかも

しれない。育て方もまったくの無関係とは言いませんが、やはり生まれつきの気質の影響が大きいと思う。

しかし、どんな人間であれ、人間には何がおきるかわからない、というのが 真実です。

そのひとつが こころの病です。そして、自分の力で病から立ち上がっていかなければならないのです。

そのときに、治りやすいかどうかに関係するのが、自分を大切にしているかどうか、自分に正直に生きているかどうか、

そういうことなのです。

この方が 自分の気持ちを自分で受けとめることができるまで、 落ちこんだり 自信をなくしたりしても その

気持ちを支え続けることが私の仕事。それが治療。根気よく続けている間に、かならずいずれ良くなっていかれると

信じています。

もうひとり、やっぱり30才代の男性。

すばらしく頭の良い方で、東京の一流大学の博士課程を修了。将来を嘱望されていたとき、たったひとりの

妹さんが こころの病にかかったことを知りました。東京で就職することをあきらめ、親を助けよう、妹の

そばにいてあげよう、そう決心して 田舎に身をうずめました。

しかし、その後10年たっても、妹さんは良くならない、 家族のためにと、自分を殺し、合っていない土地や仕事を

選んでしまったツケが回って、今はもう親元からも 離れるにも離れられず、葛藤のはて 病院に来られました。

先ほどのケースもそうですが、「親の言いつけを守りたい」「親を助けたい」「迷惑をかけたくない」

そんな 心優しい子、いいえ 優し過ぎるのですね。そんな優し過ぎる気質の人が一番 犠牲になります。

「優しい子に育てたい」と親は誰も思います。「命を大切にしてほしい」とどの親も願います。

でも、親の仕事って 子供が 親から自立し、自分の足で立ってしあわせに生きることでしょう。

親はずっとそばについていてはいけないんです。

自律(自立)して立ち、しあわせに暮らすために必要なこと。

そのとき必要なのは 人に優しくする事でもない。人に迷惑をかけないことでもない。

親を助けることや 家族のためにと自分を置き去りにすることでもない。

勉強ができることでもなければ、立派な社会的責任を担うことでもない。お金持ちと結婚することでもないし

楽して生きるすべを知っていることでもない。

じゃあなんでしょう。

わたしは そのことを考えたとき、たまたま こころを病んで病院に来る人をたくさん治療した経験から

「まずは自分を大切にすることが先、他のことは それから考えてもおそくない。」と考えたのです。

違う答えがあってもいい。わたしはそう思っているけど、違うっていう人もいるかもしれない。

私の答えが そうだということをお話ししたいだけなのです。

わたし流しあわせの見つけ方

こころの病と向きあう・12 「好き」「気持ちいい」を大事にする。

これから話すことは、私の話の中で一番大事なことです。

神田橋 條治先生の著書「精神科養生のこつ」という本に、このことが詳しく書かれていて、

わずか8頁のその章が、199頁ある残りの章全部をあわせたより、大切だと書かれています。

わたしが4年前に出した「わが子の気持ちがわからなくなる前に読む本」の中や、私の以前のHP「しあわせさがしの

精神医学」でも、うまく言えないながら、そういうことの大切さについて書いています。

              ☆         ☆         ☆

赤ちゃんの時は、赤ちゃんが喜ぶ顔見たさに、お母さんは抱っこしてくれたり、鈴を鳴らしてくれたり、おっぱいを

 あげたりしてくれます。しかし その後、わずか1~2年で、お母さんの態度はガラリと変わっていまいます。

そのあたりのところを 宗教家の井上ウィマラさんが、ご自分の息子さんを育てた経験から、書いていました。

2歳のころ、ウィマラさんの子供がコンビニ デビューをすることになりました。彼は言いました。

「さあ、今日はなんでも好きなものを買ってあげる」 子供は大喜び! 目を輝かせてキャラメルを手にとったのです。

手にとったとたんに ウィマラさんは「それはダメだよ。虫歯になるから」と、思わず止めてしまいました。

止めてから気がついたのでした。「何でも好きなものを買ってあげる」と言いながら、子供が好きなものの名を言うと

「それは高いからだめ」「それは・・・だからダメ」というのです。それなら最初から「なんでも好きなものを。。。」と

言わなければいいのですが、親って つい言ってしまってから「あれはダメ」「これはダメ」を繰り返しているようです。

そうやって、好きなものをさがす気持ちの失せる子供を大量生産してしまっているのです。

こんなこともあります。子供が習い事をやめたいと言い出しました。

「なぜ?」「好きになれないの?」「好きだから続けたいのに、何か続けれない理由があるの?」

そんなことは ただの一回も聞く前に「あきっぽいのはダメ」「やめ癖がつくからやめたらダメ」「自分で言い出したことだから

勝手にやめるのはわがままだからダメ」とにかく、子供の心がどうなのか 聞く耳を持っている親は極少です。

嫌いなことはやめて、何が好きになるだろうなどと考える暇もなく、いったん始めたことをやめると人間がだめに

なる、くらいにおどしにかかるのです。

子供にしたら、もう 何がすきで 何がきらいなのか わけわからなくなってしまう。

そうやって大人になるものですから、好ききらい関係なく、「ねばならない」という意識で生きていくようになって

いきます。

そしてある日、こころが壊れるのです。

          ☆       ☆       ☆

好きな場所で、好きなことだけやって、好きな人に囲まれて、能力にあったことだけをやっていて

それが心地よいと感じることができたなら 、突然心が壊れることはありません。

しかしそんなに気ままに人生を送れることは 普通はあり得ないことです。

じゃあ なぜ 「好き」を大事にするのでしょうか。

実は「好き」「気持ちいい」を見つけるのは、そうやって気ままに生きていくのが目的ではありません。

      自分がどういう人間かを知るためです。

             自分が自分と会話することで「自分って何者だ」ということを知っていくのです。

嫌いな(苦手なこと)ことから 逃げるために、好きなことをさがすのではなく、好きなことを伸ばし、きらいなこと

(苦手なこと)と上手に距離をとったり、きらいな(苦手なこと)ことに それとわかっていながら挑戦するために、

好きや嫌いをさがすのです。

嫌い(苦手)だと知らずに挑戦して失敗して、自分はダメな人間だと決めつけて、うつ病になって 自殺までする人がいます。

でも、嫌い(苦手)だから出来なくても仕方がない、とわかっていれば 心構えが違ってきます。

病気になるか、ならないかは それくらい微妙な問題で 方向が違ってきます。

わたし流しあわせの見つけ方

こころの病と向き合うために・11 自分と向き合う

体の病気も、こころの病気も、何らかの素因がもともとあって、

その上で、無理が重なったとき、発病します。

自分にどんな素因があるかわからないのがあたり前です。また

無理になっているかどうかもわからないのが、あたり前です。

無理をしているといっても数量的に出せるものではありませんし、また

他の人と比べる機会もありません。

しかし身体科であれば、生活習慣病にならない暮らし方をする、つまり

食事と運動が基本で、ほかには 定期的に検査をすることで多くの病気は

予防できたり見つかったりするでしょう。

では、こころの病気ではどうでしょうか。

何らかの素因のもとに発病すること、無理が重なったとき発病すること、その2点

では 身体科と同じです。

しかし身体科に匹敵するような チェック項目や検査は、ないと言うのが正しい答え

です。

じゃあどうすればいいか。そこで 登場するのが自分の主治医としての「自分」です。

子供のとき、お母さんに認めてもらうことが子供のすべてでした。それを通じて自我が

できあがるのでした。大人になってからは、自分が自分を認めてあげられるように

なることが目標です。ところがこれは 一朝一夕で成るものではなく、一生の大仕事

なのです。ただでさえ難かしいことの上に、人はどんどん変化するからです。

死ぬ、その瞬間まで、人は変化し続けますから、これでいいという時はこない。

まずそのことをわかっていない人が多いように思います。

それがそんなに大仕事で大変なら、手っとり早くすませる方法は何でしょうか。

他人の評価です。他人によく思われることを、基本にすえて生きている人のなんと多いこと。 

そんな大人であるお父さんやお母さんをまねた子供がどんどん大きくなって、またお父さんや

お母さんになるのだから あたり前ですね。

お母さん自身に自信がないと、他人の評価で子供を評価したり、条件つきで子供をが愛する

ことになります。

時代が悪循環の方向に行かないようにするためには、どこかでその悪循環を止めなければ

いけません。

そのためできることがあります。あなたが今、20歳であれ、40歳の働きざかりであれ、

60歳70歳となって人生の役割の大半を終えたと思っている方であっても、「自分のこころと

向き合ってみる」ということはできます。

「向き合う」というと、なんだかこわいことのように感じますが、向き合うということは、どんな

ことかというと、気持ちを受けとめるということです。

「夫と向き合いましょう」というと、なんだか 夫と正面きってむずかしい話をしなければいけない

ように感じますが、そうではありません。夫の気持ちをまずは受けとめてあげることです。

「子供と向き合う」も同じです。

気もちを受けとめるためには、まず その人を見ていなければなりません。相手の気持ちを

想像しなければなりません。問いかけしたり問い返したりもしなければなりません。

そういうことをして、結果として「ああ そんな気持ちでいるのか」とまずは受けとめてあげること、

それが向きあうということ。

自分のこころと向き合う、も 同じことです。自分のこころを観察し、自分の心を感じてあげ

自分に問いかけ問いかけしながら 自分の気持ちを確かめてあげる、そしてその結果として

どんな気もちが出てこようと、その気もちをまずは受け入れてあげること、それが 自分のこころ

と向き合うということです。

楽しいことです。

一生かけて、自分と楽しくつきあっていけるなら、そして その結果、健康的でしあわせな人生

が送れるなら、いうことありませんよね。

わたし流しあわせの見つけ方

こころの病と向きあうために・10 朝の気分

このブログの最初のほうに書きました。

「こころの疲れの測り方」という題名でしたが、朝起きた瞬間の気分を大切にして観測しようと

いうものです。

うつ病を疑うような食欲不振や睡眠障害、また「やる気のなさ」や「憂鬱気分」を訴える患者さんが

いたとします。これだけそろえば 完璧な「うつ病」です、普通は。

でも念のために聞いてみます。

朝起きた瞬間。つまりまだ自分がどこにいるかもわからないくらい 半分もうろうとしているくらい目覚めた瞬間の

気分はいかがですか?

「それはいいんです。でも そのあと ああ またいやな一日だとか 会社かぁとか思ってしまう」とおっしゃる。

そんなときには 純粋なうつ状態ではないのではないか と疑ってかかります。

いろんなことを考える前の、純粋な朝起きた瞬間の気分を見ることがコツなんです。

うつ病の方は たいてい 朝起きた瞬間から 嫌~な気分に襲われて目覚めたくなかったとおっしゃいます。

でも、こんなこともあります。

もう5年も前になります、早いですね。母が突然亡くなりました。

お母さんっ子だった私は、その後 半年くらい 朝起きた瞬間がとても嫌な 憂鬱な気分で 起きることができません

でした。ひょっとして うつ病? 疑いました。

でもね、夜になると ちゃんと寝れたんです。

だから うつ病にはなっていないと判断しました。

うつ病のときは 睡眠障害、食欲もあまりない。生気がない。そして 朝起きた瞬間、とても嫌な気分に襲われる。

そんな症状を総合して判断します。

 それでもまだ うつ病の診断って 確定的ではありません。 精神症状って すべて自己申告ですからね。

自分で そう思いこんだら 症状なんて そろってしまうこともあります。

うつ病は エネルギーが 最低に低下した状態ですから 訴える力もない、というのが 真実です。

ですから、いかに辛いかについて とうとうと述べる方の場合は やっぱり うつ病ではないのではないかと疑います。

それくらい うつ病の診断って むつかしいのです。

チェック シートで カンタンに自分で出来る、というほどカンタンではありません。

先日、67歳くらいの方が ひざの治療で整形外科にかかり、ねむれないというので 精神科にまわされました。

重症の睡眠障害が半年も続いている、何かと悲観的である、それ以外は 会話も少なく 訴えることも少ない

おとなしい方でした。

「うつ病だと思うので 治療しましょう」ということになりました。家族も気にはしていたけど 気づいていないと

いうので 一週間後に 奥さんと来てくださいと話しました。

でも何日もしないうちに 自殺を図って 救急で運ばれてきました。さいわい一命はとりとめましたが、

本当の重いうつ病の方は 訴えるエネルギーさえないので まわりも気づかないくらい 影がうすくなります。

診察場面でも、はい、はい、と答えて さっさと帰ろうとされるので 重い うつ病は 本当に見逃されやすいです。

完璧に自分の中で悲観している、訴えるエネルギーさえない。だから 重いように見えなくて、精神科医でさえ

見逃してしまうことがあります。

朝の気分を大切にしよう、という題名が 横道にそれてしまいました。

健康なときから 自分自身の朝起きたときの気分に注意をはらいましょう。

家族の方が さわやかな顔で起きていらっしゃるかどうか 観察しましょう。

夫婦でも 子供でも、朝は忙しくて ろくろく相手の顔を見たこともないわ、なんてことはないですか。

ゆううつなときには 前日に無理をしていないか。前日に嫌なことはなかったか 胸に手をあてて

考えてみてください。

わたし流しあわせの見つけ方

こころの病とつきあうために・10 睡眠

睡眠障害というのは、寝つきが悪い、夜中に目覚めてねつけない、朝超早くめざめてしまう。

このどれかが一ケ月以上続いたときを言います。

食欲にはあまり目をくれない私も、睡眠障害があるかないかだけは、ぜったい! はずしません。

睡眠障害がある場合と、ない場合では、対応がまったく違ってきます。

どんなに失意のどんぞこにあっても、悩みが深くても、ねむれるなら、ただの心配事です。

でも、悩みや心配事がなくても、睡眠障害があれば 立派なこころの病気です。

悩みや心配事があっただけで食欲は落ちますが、睡眠障害はでません。

単なる落ち込みと、うつ病との違いは、睡眠障害があるかないかで判断します。

睡眠って 不思議ですね。心の持ち方は努力で多少変えることができても、寝つけないのはもうどうしようも

ありませんね。

私も寝つきが悪いほうですが、本当に、どんなに努力しても工夫しても、これだけは自分の力ではどうしようも

ないとつくづく思います。でも 反対に 横になったら 5分でねむれる、昼でも夜でも、という人を何人か

知っています。

何を隠そう、わたしの夫や夫の妹は、昼でも夜でも、会話しているその最中でも、返事がない、と思ったら

もう寝てます。会話の最中に寝てるって、どういうこと?って 思ってしまいますが、そういう性分なんです。

一方わたしときたら、真夜中の運転・助手席に座っていてもねむれません。かえって神経が尖る。

夫や夫の妹は、よく言えば健康的で、性格がさっぱりしている、悪く言えば、単純で物事を深く考えようとしてない。

わたしは、今日考えても仕方のないことを あれやこれや考えたりして とにかくムダに頭を忙しくしているんですね。

それでも、わたしがうつ病ではない証拠があります。

もうブログなんて書こうとしないで、夜はぼーっとの~んびりと過ごすようにしていれば、ねつきが少しづつ

良くなってきます。また 軽い安定剤の一錠や 軽い睡眠薬の一錠くらいで ねむれます(かなりよく使います)

わたしが睡眠薬を使う理由は、やはり 夜も少しは生産的なことをしていたいからです。生活の質をあげたい時。

でも やめよう、と決めれば ぜんぜん使わなくてもすみます。その点が、病気と違う点です。

本物の睡眠障害という場合は、一錠の安定剤や睡眠薬くらいでは 寝つけません。

2時3時までねむれない、なんてことが続くことがあったら、かなり重症の精神的な病気です。

ふだんよくねむれている人が、ねつきが悪くなった場合でも、要注意です。

さて、睡眠障害の治療は睡眠薬だと思いますか? 違います。まず安定剤です。基本の病気に効く安定剤を処方して

車でいえば スピードを落としてやってから ごく少量の睡眠薬を使う(ブレ-キをかける)のが基本です。

スピードを落とさずにブレーキをかけたら 車は反転してしまいます。

たくさんのお医者さんが 安定剤の工夫をしないまま、睡眠薬を増やしていきます、これは邪道です。

ぜったい邪道です。でも精神科医でさえ、睡眠薬を増やしていく医師のほうが多いのが不思議です。

そのほうが安直だからですね。

どんな精神病でも、まず 睡眠を十分にとれるようにする、これが基本。というより 一に睡眠、二に睡眠、

三にも 四にも睡眠です。

睡眠障害は 薬で治すしかほとんど方法がないので、医師と相談してやっていくしかないと思います。

しかし、睡眠障害が改善された後(薬を使っていても)に残ったもの。残った症状。

これはもう、「障害」です。

医者まかせにして良くなるものではない。 自分の弱みを知り、何らかの修正をこころみ、自分を変えていかないと

周囲に適応していけない「障害」だと考えてください。

また逆に、薬をもらっているのに、睡眠障害が かなり長期に続く場合も「障害」です。

「障害」という意味は、薬だけで改善できない、生活上のなんらかの欠陥があるという意味です。

たとえば昼間ねているとか、夜になるとゲームをしたくなる、とか 人が寝ているときに落ち着くから寝ない、など。

つまり、精神科医の治療の中で、薬の調節が必要な時期というのは ほんの短い一時期であって、あとは

薬を服用しながら「障害」や「生活の仕方」や「考え方」や「いき方」の問題をどう扱っていくかという問題になります。

でも ほとんどの精神科医は 薬の調節をしたあとは、どうですか?ねむれてますか。食べれてますか、という

問いかけに明け暮れています。わたしも時間がかぎられるときにはそうせざるを得ないので そうなっています。

あるいは患者さんの訴えをよく聞いてくれる優しい医師もたくさんいますが、ただ聞くだけでは、あまり治療効果が

ありません。やはり何らかの問いかけ、患者さんが 自分を見直すきっかけを与えてくれる治療が一番の治療。

でもでも、言います。

変わりたくない患者さんもいっぱいおられます。

変わりたくない患者さんのほうが多いかもしれない。病気に逃げている患者さんは 変わりたい患者さんの数より

はるかに多いです。

人間というものは、本来は「変わりたくない」ものです。保守的であることのほうが自然で 本来の姿です。

ですから わたしも、変わりたくないと本能的に思っている患者さんに 余計なことは言いません。

ただただ優しく聞くだけ。それでいいのだと思っています。

また いtつ どんな変化が訪れるかわからない。それをじっと待つのも、医者の仕事と心得て。

わたし流しあわせの見つけ方

こころの病と向き合うために・9 雑感

35年まえの同僚精神科医から、ある論文が送られてきました。

この医師は、みずからの長いうつ病とつきあいながら、精神科医を休むことなく続けている蟻塚亮二医師と

いいます。精神病院開放化で共に戦ってきた仲間です。

           ☆       ☆       ☆

論文の名前は「うつ病のリハビリテーション」です。その中味を要約します。

うつ病というのは、一時的な病でなく、慢性の障害である。だからうつ病からの回復に何が必要かというと、

いささかでも環境や心の構えを変えること。つまり「自己を修正する体験」なくして、薬だけにたよったり

医師に下駄を預けたままでは、この病気は治らない。病気になる前と同じ自分、同じ環境、同じ対人関係、

同じ社会的立場を保存したまま治ることは難しい。環境を変えたり(環境のほうに変わってもらうのでは

ないですよ。環境を変えるというと、環境のほうで変わってもらわないと、理解してもらわないと、と たいてい

の人がいいますがそうじゃないんです。相手は変わりませんからね。これ 私の注です)

そして、「何かしらのふんぎり」「健康的な開きなおり」「人生や対人関係に目からウロコが落ちる体験」など

「以前とは一味違う自分」を発見しなければ、この病気は治らないのではないか。

             ☆        ☆        ☆

わたしがこのエッセイの中で、一番言いたいこと、これから書いたいきたいと思っていたことを はからずも

書いていましたので、紹介しました。

この医師は2歳年下で、決して上司とか先輩ではなかったのに、とても優しい方でした。

今でも思い出すことがいっぱいあります。

医局会といって週に一回、夜おそくまで会議があるのですが、子供たちのことが気になりつつ 下っ端としては

帰ることができません。すると、かならず9時ころになると言ってくださったのです。「〇〇先生、先生はそろそろ

帰ったらいいよ」 その一言で、わたしだけ腰をあげることが出来たのです。

また、医局員7名のうち、一名だけ外国旅行に視察旅行に行けることになったのです。わたしは下っ端ですし、

女性ですし、白羽の矢が当たるわけはありません。彼が行くことになりました、が 彼が言いました。

「僕たちは男性だから、また機会があると思う。でも あなたは女性だから 家事や子育てでなかなか自分から

行けるということはないだろう。この機会にぜひ、あなたが行ってくればいい」 そう言ってくれました。

30数年前の保守的な医師社会で、そんなことを言える先生と共に働けたということが、私の一番のしあわせ

、医師としての原点を作ってくれた病院でした。

私は飛行機がこわかったし、もし何かあったら、子供たちが・・・・と思って 勇気が出なくて行きませんでした。

 その先生は、おみやげに、私の4才の子供にロシアの可愛い帽子をおみやげに買ってきてくださいました。

 また統合失調症の男性がひとり暮らしするにあたって、カンタン料理を研究しては、教えていました。

お金と住まい、あとは料理ができなかったら退院しても暮らしていけない。

わたしはいつも「優しいなあ」と感心して見ていましたし、おおいに影響されたと思います。

意気投合しては共に仕事した、大切な仕事仲間でした。

             ☆        ☆        ☆

さて、今日は 睡眠について書くつもりでしたが、ダウンして一日寝こんでいました。

私は仕事はどうにかがんばってやっていますが、カラダはとても弱いです。その弱さをいつも気に

かけながら暮らしています。

遠出はぜったいしませんし、夜も10時半には休みます。夜の外出はいっさいしないし、とても自分を

いたわりながら暮らしていかないと、とにかく仕事にさしつかえてしまいます。仕事、命なんですから。

先日は ローストビーフの食べすぎだったのでしたが、今回はどうも、枝豆やとうもろこしや トマトを 人に

いただくまま あまりにも美味しくて食べすぎたのが原因だと自分では思うのです。

とにかく何が原因かわからないけど、休日の 3割くらいは寝込んでいます。仕事を休むことは一度もない

わたしですが、日ごろのケアは かなり気を使い、休息を大事にしています。

今は夜の9時半ですが、これ以上パソコンに向かうことも控えています。明日の疲れに影響するから。

これって 半分 ビョーキ?

そんな自分がとても嫌でした。

しかし、今日ダウンしていた日に 蟻塚医師の論文が届き、なんか 目からウロコが落ちました。

蟻塚医師の弱みは「うつ病」です。

でも私の弱みは、この 「弱い体」「弱い神経」じゃないかとふと気づいたのです。

頑健な方とくらべて いつも「なぜ? なぜ? どうして そんなに違うの?」そればかりでした。

でも、タフじゃないのが わたしなんです。どこか 神経も タフじゃないと思う。

本当にこまかいことを気にかけてしまったり、相手のことを考えすぎて 自分の神経を痛めてしまう

ことがよくある。自律神経も不安定で 心臓と目に病気があります。

でも、その弱みを 本当には受け入れていなかったのではないか。 今日、そのことにあらためて

気づいたのでした。

          ☆      ☆      ☆

医師は病気して初めて一人前だと言います。健康なだけの医師には偉そうなことを言う資格がありません。

わからないのですから。

わたしだって、こころの病を治療中の人の 本当の気持ちはきっとわかっていないのだろうな。

偉そうなばかりいつも言って、ごめんね。一生勉強だもの。

蟻塚医師も、うつ病をしたからわかったことがあるのでしょう。

わたしは、普通には健康体ですが、たいていの医師や看護師の持っているタフさがありません。

でも 弱いからこそ、弱い人の気持ちがわかり「自分を大切にしよう」という こういうエッセイが書けると思います。

人には書いているくせに、自分だけはもっと 強くありたいと思っていた 今までのわたし。

今日はつくづくそのことに気づきました。

すぐダウンする弱い私を 人と比べちゃいけない。自分が自分をかわいがってやらなくてはと思った今日の日でした。

原稿は、はかどりませんでしたが 私にとっては 忘れることのできない有意義な一日でした。

わたし流しあわせの見つけ方