啓蒙活動

今日の新聞によると、専門医が学校に出向いて講演活動をすることで

エイズや性病、喫煙、などに対する啓蒙活動を国が進めているという。

国の施策の中で、若い人を教育啓蒙する施策は国の将来にとってもっとも

重要だとわたし自身は考えている。

先日、勤務先の病院で講演をした。

この病院では、毎週いくつもの講演があって、職員は辟易していると思うので

出席者は少ないと思ってはいたが、それでも 750人の職員で、50~60人の

出席は少ないと思う。

研修医や精神科の関係者にもっと関心があると思ったが、以外に関心がないので

がっかりした。

聞いてくれた方には感謝しているのだが、それでも、聞いてそれでおしまい。

次につながっていくことはほとんどない。

「面白かった」か「面白くなかったか」どちらかの感想があってそれで終わり。

それにくらべ、中学生なり高校生なりに講演したりすればその効果は測り知れないと

思う。

講演というのは、わたしにとっては時間的に無理なところがあるのだが、今までの

経験では 新聞の連載が、時間が必要でないわりに効果が大きい。

誰の目にも触れるし、若い人も読んでくれる。

なんとか新聞に連載してもらえるような格調の高い原稿を書きたいのものだと

思う。

新聞の連載は、10年前に2回と、3年前に一回。今回の引っ越しでまた

機会が遠くなってしまった。

今後の私の志高い夢であるが、実現するかどうか・・・・・・・・・・・・・・・・・

ぜひ実現させたいものだと思う。

わたし流しあわせの見つけ方

散歩日和

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散歩日和だった。

腰の重いわたしだけど、さすがに今日のような最高の日を逃すわけに行かない。

公園まで出かけたら、スポーツに来ていた男友達に出会い、1時間くらいおしゃべりした。

普通より男性っぽさの多い私は、最近 女性より気の合う男性のほうが楽しいときが

ある。

いや、男性でも女性でもいいんだ。

私の通う美容院の先生は、女性だけど、ふたりの会話はとても楽しい。

生き方に一本筋が通っていて、ホンネでぶつかっていける人なら、男性でも女性でも

どっちでもいい。

わたしの生き方、考え方、ユニークさや、楽しさや、優しさなど、私にしかないものを見つけてくれて

それがいいと思ってくれる友人を見つけて大切にしたいと思う今日の午後だった。

飼い主さんとくつろぐ犬もなんかとっても気持ち良さそう~

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わたし流しあわせの見つけ方

人間の優しさ

わたしは「優しさ」にとても敏感だ。

なんでだろう。。。。。。わたし自身が優しい人かどうかは棚上げしておくとして、

「優しさがあるかどうか」で 人を評価する強い癖を持っている。

なんでだろう・・・・・・・・・心の弱っている患者さんを診ている長年の習慣からだろうか、

それはあると思う。

それとまた、私自身がとても傷つきやすい面を持っているからだろうか。

それもあると思う。

「優しさ」って相手に対する想像力が必要。

きっと、最初は誰も持っていないのだけど、いろんな辛いことや悲しいことや後悔やいろいろを経験する中で

相手の立場に立てるように成長するのだと思う。

「この人、優しくない」と思うとすごい拒否反応をおこしてしまう私もちょっと度が過ぎるかなあと思う時もあるけど。

でもまあ、恵まれている人は、往々にして「優しさ」はないね。

これは断言してもいいと思うよ。

肩肘はって強く生きている人も、優しくないと思うことがある。

「その一言」で、優しいかどうかわかることがある。

言葉って大切にしなくてはとつくづく感じる。

ちょっと過敏すぎるのかな、ちょっと気持ちが弱っているのかもしれないな。

でも、そんなどうでもいいことに一喜一憂している弱い自分のことは、

ぜんぜん嫌いじゃない、未熟でかわいくって好きです。

わたし流しあわせの見つけ方

講演を終えて。

半年がかりで、夜と休日をつぶして準備してきた講演が終わった。

半年もかけて、たった一時間だなんて馬鹿みたいだけど、本当にむづかしかった。

参加した方のアンケートを見ていたら、「すごく良かった」が3.5割、「まあまあ良かった」が3.5割

「普通」が2.5割。くらいだったかな。

「今年あった講演の中で一番良かった。また続きをやってほしい」とわざわざ言いに来た方もいた。

でもアンケートの中で一枚だけ「話にミャクラクがなく、ちっともおもしろくなかった」という人がいた。

夫に話していたら、「ちっとも面白くなかったと書いた人は、すごく頭の良い人か、すごく馬鹿な人だよ。

すごく頭のいい人だと思ったいたほうが正しいかも」と言う。

また「だいたいは、良かったと無難なことを言うのが、常識だよ」と言う。

わたしもそう思う。わたしは、決して講演が得意なほうじゃない。

話にミャクラクはなかったし、説得力もなかった。でも 自分では他人の評価とは別にとにかくよくがんばった

ことだけは認める。

「こころ」などという つかみどころのないことを話すのは、本当にむづかしい。自分が一番知っている。

          ☆       ☆       ☆

宿題のなくなった休日は、本当に楽しくて楽しくて、宿題があるというだけで どれだけプレッシャーが

あったことか、あらためて感じる。

ただ家事をするだけだったのに、心から楽しい一日だった。

プレッシャーがなく、したいことだけしている人の人生って、やっぱり気楽で楽しいのかなあ。

でも 10月の中旬までに、原稿をひとつ頼まれている。

10月の終わりにも、ひとつ講演がある。

もうちょっと気楽に過ごしたい気持ちは正直あるが、頼まれているうちが花かも、と思うので

機会をいただいたら ことわらない。

苦しむことはたしかだけど、かならず何か得ることがある、それがうれしいのかもしれない。

完璧に自己満足の世界だ。

しばらく休んだら、またやるしかないか。

わたし流しあわせの見つけ方

マヌケ

私は声も大きく、大股で歩き、おおざっぱで、元気。

しっかり者で、負けず嫌いで男まさりな性格だ。と、自分でも思う。

わたしを可愛いという人は、まあいないだろうな。いたら気味悪いし。

 でも一方で、とても優しい一面があって、この面は、知る人ぞ知る。

人に知られていない、ものすごく隠れた一面だ。

私の優しさに気づいてくれる人は、多分、気づいた人自身が

同じ優しさを持っているから気づくのだということをよくよく知っている。

だから、私を優しいと知っていてくれる人を大事にして、そんな人としか

しかつきあわないと決めている。そう決めてしまえば生きていくのがとても楽になる。

そして、もうひとつ。

わたしが相当のマヌケだということは、これは夫しか知らない。

今日、仕事に出てきたら、夫から電話。自分のカギ束を知らないかという。

あわててバッグを見てみると、夫のカギ束で運転をしてきて、自分にバッグにしまっている。

玄関に置いてあった夫の鍵束をつかんでしまったらしい。

鍵束なんて、ついているホルダーもカギ数も違う。

気がつかないなんておかしい。でもこんなことはしゅっちゅうだ。

夫は相当困ったらしい。

こんなこともあった。

ある日、私は履いている靴がちょっと大きい気がした。

夫に「最近 わたし痩せたみたいなの。靴が大きく感じるわ」

その靴を3日も履いてから、わたしが痩せたんじゃなく、履いている靴が

夫の靴だと気づいたのだった。

23.5 と 25.5 大きさも違う、靴も違う(メーカーが同じで似てたんです)

でもわたしってそんな人なのだ。

一番危なかったのは、ロフトにかけるはしごをフックかけないで

ただかけただけで、上っていったとき。

はしごの頂上部分に足をかけた途端、ダーンとはしごともども落ちて、わたしは気絶するほど

胸を打って倒れた。

はしごに欠陥があったのかなあって夫が心配してくれたが、

フックかけないで登ったということは、言えないままだった。

夫が作ったはしごだったから、夫はとても恐縮していた。

はしごって 斜めに架けるだけで 落ちないのかと思っていた。

この時は命びろいをした。

まあ、そんなこんなで、自分でも 自分を信用できないまま生きている。

そうそう、高速道路を逆走したこと。

実は・・・・・・・・・・・・・ある。逆走まではいかないけれども。。。似たようなこと。

幸い、患者さんの薬を間違えたり、仕事でミスをしたことはない。

仕事では周囲からも二重三重にガードされているしね。

私にとって仕事とは、最初で最後の砦かもしれない。

仕事をやめた途端、ボケた、ということのないようにしなければいけない。

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三連休

三連休、一日8時間くらい、パソコンに座り続けた。

なんのことはない、講演の原稿書きだ。この3連休を当てにしてたんだ。

最初は疲れたけど、3日目になったらすっかり慣れて、作家気分だ。

こころの問題って、言葉にするのに、何てむづかしいんだ!

苦しくて楽しくて、楽しくて苦しくて、苦しくて楽しくて、そして苦しくて脳が疲れて、でもまたやって。

突然、強力な助人があらわれた。

男友達っていうのかしら。男性と女性って 物の見方がぜんぜん違う。

原稿を見てもらって、意見を言われたら、書きあげた原稿が足元から崩れた。

ダダダーンって。

なんてこった!!

でそうやってごちゃまぜにすると、脳がかきまわされて、また新しい切り口があらわれる。

でもそれでいいんだ。それがいいんだ。

それがわたしの言いたいこと、そのものなんだから。

だってそうでしょ? これでいいってことないのが「心」のことでしょ?

ダ!

 「こころには実態がない」と言ったら「じゃあ こころ、こころって 安易に使うな」って言われたんだ。

じゃあなんだ、なんの問題だ。

人生の問題だ。生き方の問題だ。

どうやって生計を立てて、どうやって仕事して、どうやって家族して、どうやって死んでいくかっていう問題なんだ。

そうなんだ。時間の使いかた。同僚との関係の持ち方。家族との過ごし方。お金の使い方。

「ここ・・・」う、う、 こころ、こころって 実態のないものを 気安く言うなって 自分に言い聞かせて。 

使い古された言葉を使うのは、出来るだけ よそう。

興味深い一日だった。

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ある旅立ち

妹が、今夜、激しく雨の降る中、新しい住まいに旅立って行った。

来たときと同じ、たったひとりで、猫のレオ君を連れて。

妹は泣き顔だった。

わたしたちは、妹に幸あれと笑顔で送り出した。

悲しみは不幸じゃない。

辛さも不幸じゃない。

離婚も不幸じゃないし、貧乏も不幸じゃない。

淋しさや孤独は不幸じゃないし、病気も不幸じゃない。

別れは悲しいけど、不幸じゃないし、リストラだって不幸じゃない。

この4ケ月、笑ってばかりいた。

美味しいといって笑い、レオ君がかわいいといって笑い、女ふたりで夫をいじめて笑い、

わたしが抜けてる、と言ってみんなで笑い、した。

すべてを失って戻ってきた妹を囲んで、笑ってばかりいた。

「気がすむまでいたらいい。でも おとなになったら 誰でも自立しなければいけないんだ」

その言葉を合言葉に、自然の成り行きで、すべてが進行していった。

人間は本当に愛され満足するとポロリと葉が落ちるように、自立できるのだ。

わが家に来たとき、妹の持ち金は一万円を切っていた、それが全財産だった、本当に。

住まいも仕事も失い、バゲットに レオを入れて、たったひとりでやって来た。

そしていまどき珍しく「つき離す主義」のわたしたち夫婦は 一円も貸さなかった。

これからの妹の人生はきびしいと思うけど、でも とてもすがすがしい。

わたしたち3人は、何物にも変えがたい出会いと別れを経験したと思う。

同じ釜の飯を食べるという経験は、すごいことだと今、思っている。

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能のない生き方。

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休日になると、きまってダウンする。

今までは、「なんでこんなに弱いんやろう」ってカラダをひきずりながら最低限の家事をしていた。

なんせ一週間分の家事がたまっているからね。

「こころの病と向き合うために」を書いているうち、自分の中にも変化があらわれてきた。

 自分の弱みを受け入れることができるようになってきた。

物を書くということは、自分を見つめること。

自分にこんな変化があらわれるということは、すごいことだと思う。

パジャマでいると、お隣の奥さんが用事でやってきた。

堂々とパジャマ姿で応対して平気だった。その調子、その調子。

寝ることにしたら、夕方の4時まで寝てしまった。

そのあと、夫と一時間ほど散歩してから夕食を作った。

一日寝ていたから元気が出て、どんどんおかずが作れていく。

きのこ入り豚汁、ゴーヤチャンプルー、豚肉とオクラのフライ、オクラと山芋とめかぶとモロヘイヤの

和え物。全部 いただきものの野菜ばかり。気になっていた野菜たちだ。

一週間、気をはって仕事をしているから どっと疲れが出るんだろうなあ。

それと、心臓の薬が胃にこたえているせいかも。と、最近は考えている。

いずれにしても、すぐダウンする自分をいたわってやろうと、優しい気持ちになっていることはたしか。

休日は「ゆっくり休むこと」「散歩に行くこと」「夕食を作ること」

これだけ出来たら 〇 ということにしよう。

「働くばかりが能じゃないよ、もっと遊ばなくっちゃ」と おせっかいな友人たちが アドバイスしてくれるけど、

わたしは このパターンでもぜんぜん悪くないなあと思っている。

「働くばかりだった」という能のない生き方でもいい。

いいじゃないの、しあわせならば (あれ? これ歌謡曲の歌詞だっけ?)。

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中休み

9月10月と、勤務先の病院で、講演をする予定です。

自分なりにメッセージを込めて話しをしたいと思い、まず 言いたいことを ブログに書く

ことにしました。

この一ケ月、日課のプールもお休み、毎晩少しづつ書いていました。

でもなんだか疲れちゃったので、中休みします。

まとまったエッセイができたら、勤務先の Mドクターが新聞社に紹介してくださるというのですが、

そんなまとまったエッセイにするのは、先の先の先です。

毎日の仕事と家事だけで 精一杯の私は、それなりのブログや 原稿を書こうと思うと、家事をしていても

「早く終えて、パソコンに向かわなくては!」と思うので いらいらしてしまいます。

好きな料理も、重荷になってしまい、生活が楽しくなくなってしまいます。

かといって、人に伝えたいことが一杯ある私は、家事と仕事だけで終わる一日も、もの足りなくなるんです。

むつかしいところですね。

医師であり、作家でもあるM先生は、メモをしておくと奥さんがパソコンに入力したり整理したりして

くださるそうです。

「まだ原稿が出来ないの?」と M先生から不思議がられるんだけど、家事は何ひとつしなくてもいい男性と、

女性では 空き時間は4倍くらい 違うのじゃないかなあと思います。

でも、そんな言い訳はできないくらい、男性と女性は体等だということになっているし、いろいろ便利になって

いますからね。

わたしに能力がないだけなんだとは思うけど、ちょっとはがゆいですね。

自分の能力の範囲内で生きるのならたやすいですが、能力をちょっとだけ上回ることをしようと思うと

やっぱり大変な努力が必要なようです。

「ゆらゆら」という映画かドラマがありますが、立派に生きるのではなく、こうやって ゆらゆらと揺れながら

生きることこそ大事なんだと、そんなメッセージを込めた講演にしたいと思っているところです。

わたし流しあわせの見つけ方