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最近、FFCの水にハマッテいます。

 先日のマーガレットのビンに FFCの希釈水を入れてみました。

同じグラスの同じ花です。

茎がピンと立って元気になり、花もとても長持ちします。

わたし流しあわせの見つけ方

マーガレット

今日は散歩日和。

今、マーガレットが本当にきれい。

道端に咲いているマーガレットをいただいて

庭に植えました。

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わたし流しあわせの見つけ方

花サラダ

家でとれたいちご、すっぱくて食べられたものではない。

ところがサラダに入れてみたら グー。

ついでにすっぱい夏みかんも入れて、花のようなサラダになった。

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わたし流しあわせの見つけ方

ジュージツとジューアツのはざまで

医療職は直接 人の役に立つ仕事なので 充実感を感じられる仕事だ。

私の職業も、充実感ナンバー ワン の仕事のひとつではないだろうか。

しかし、精神科で扱わなければいけない患者さんの範囲は増える一方で、

精神医学の範囲を越える人格障害や教育の分野でもある 発達障害の方、

統合失調症の方でさえ、昔のような タイプは少なく、対応がむつかしくなっている。

事件をおこす人たちが精神科領域の病気の人とはかぎらないが、複雑な事件が

多い昨今の社会状況を見れば、人間のこころを扱う精神科の仕事がどんなにか

複雑でむつかしくなってきているかは 想像がつくだろう。

先日、攻撃性とハイテンションをあわせもった 人格障害の方がわたしの外来にみえた。

その対応に ものすごいエネルギーをとられてしまい、わたしはその日はもちろん

翌日に影響するくらいダウンしてしまった。

わたしの仕事は 第一線で戦う兵士のような仕事なので、どんなに大変でも ひとりひとりを

診察し続けるしかない。ものすごい体力仕事だ。

だけど、能力があればあるほど 大変な患者さんをたくさん受け持つことになり、

そしてその診察で多大な精神的エネルギーを吸いとられる今の仕事を 今後も

やり続ける自信がないと感じることがしばしばある。

やりがいや充実感と 重圧感は 神一重。

多くの精神科医が そのはざまで苦しんでいることは 誰も知らないに違いない。

「早期に精神科に」という。「自殺を防ぐために精神科に」という。

しかしふだんの診療で バテバテの精神科医にそれら全部が対応できるわけがない。

そこのところが 知られていない。

精神科にいく前に、自分でしなければいけないことがある。

精神科に行く前に、医療や保健や教育や子育てに関わっている人がまずしなければいけないこともある。

それをしないで「精神科に行ってみれば」と勧めるのは 精神科医を疲弊させ、追いつめることになりかねない。

これだけ強靭なはずのわたしでさえ、やめたくないけど やめるしかないか と思うこともあるのだから。

もっとも、そのことを相談した友人は

「テキトーにやれることも能力のうちよ」と言い、わたしも それもそうかなあ と思い始めているのだが。

わたし流しあわせの見つけ方

クレマチス

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クレマチスは寒さに強く、寒さを乗り越えて美しく咲く花だ。

零下19度の世界を生き延びて、今 最盛期。

わたし流しあわせの見つけ方

その人の能力

大きな病院で、医師になって1~4年の研修医に精神医療を教えている。

どの研修医も生き生きしている。

今日もわたしの診察についた後、廊下でであったら、ちかづいてきて

先生の診察、すごいですね。共感ばかりかと思っていたら けっこうズバズバ言うし、それに対して

患者さんも反応するし、すごいって思いました。先生の背中から後光がさしてるって思いました。

なんて言う。後光 にはマイってしまって 早々にその場を退散した。

どの研修医も 初めてのわたしの診察を見たあと、それなりに感動するらしく 表現豊かに感想を話す。

 ところが ずっと私の診察についている 50歳台のナースに 診察の感想を聞いてみたところ

「う~ン」なんて言っている。

なんのことはない。

わたしの診察がすばらしいのではなく、それを見て感動する心を持っている人たちに感じる能力があるのだ。

だから わたしは 「あなたは優しいね」と言ってくれる人には

「あなたが優しいから わたしの優しい部分が見えるのよ」という。

「素敵ね」といってくれる人には「あなたが素敵だから 私のそういう部分が見えるのよ」と話す。

ところで 私のことを「すごい人だね」と言ってくれる友人は誰もいない。

それもそのはず。 すごい人でなかったら わたしのすごさは見えないわけだ。

だから すごい!と言ってもらおうと思ったら すごい人をさがすしかない。

マ、 しょせんは似たもの同士でしか 友人や夫婦や恋人にはなれないのだから、

「すごい」とまでは言われなくても、相手の美点をほめ 自分の美点も見つけてくれる関係を

自分のまわりにたくさん築いていく者勝ちというわけか。

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雨の音

街で何十年もアパートやマンションで暮らしていたときには、雨の音は気にならなかった。

田舎の一軒家に移った8年前。

屋根に落ちる雨の音って、なんてわびしいのだと感じ、雨の日はいつもうっとうしい気分になるのだった。

夫にもよく当たっていた。「街の雨はどこか華やぐのに、田舎の雨はうっとうしい!」とかなんとか。

ところが今日、休日だったので一日ゆっくりしようと思い、昼間ベッドに横たわったいると、雨の音がはげしい。

屋根や木々の葉に落ちる雨の音を聞いていたら、あまりに心地良くて、まるで お母さんのおなかにいるみたいに

落ち着いた。

何年ぶりだろう、こんなに雨の音が心地良いなんて!

ちょっぴり風邪気味だったこの数日。

きっと、からだと心が「ゆっくり休めよ」とささやいていたからだろう。

患者さんがよく「天気の良い日は気分が良いが、雨の日は気分がすぐれません」という。

わたしは「それは健康な証拠。うつのときは、雨の日のほうが落ち着くのよ」と話す。

これは、わたしの持論だ。

今日は、わたしの持論もあながち間違っていないな、と感じた。

一日パジャマを着たまま、何ひとつしない、ぐうたらな一日だったけど、うれしい一日だった。

明日はまた仕事だ。がんばれるだろう。

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からだの変化

大阪にいたとき、スタバやドトール コーヒーでゆっくりするのが 大きな楽しみだった。

ところが、先日東京で スタバの前を通りかかり、すっと入っていけない自分がいた。

二、三回 店の前を往復した、そして 結局 入らなかった。

コーヒーは 選りすぐりの物を豆で買って、飲む直前に挽いて自分で入れている。

食べ物は 取れたての新鮮な野菜を直売所で買ってくる。

そんな暮らしをして8年。

最近、外食をして「美味しい!」と思うことがなくなった。

なぜだろう・・・・・と 不思議だったか 答えが見つかった気がする。

どんなに高級なフランス料理でも懐石料理でも 所詮は万人向けの味だ。 どこか自分にとってはうそくささがある。

多分、自分の体が変化してきたのだと思う。

毎日毎日、工夫しながら やむなく 食事を作っているわけだけど、田舎の 自然な素材と 自然な暮らしで

体が確実に変化しているのだと思う。

最近の外食は、家で作れない ラーメンだけになってしまった。

ふたりで 1000円ちょっと払って「おいしかったね」と言いながら帰途につく。

一万円札をくずすような外食は、最近したことがない。

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わたし流しあわせの見つけ方

サマーチェリー

近くの農家に、お花を作っているところがあります。

季節季節に咲く花を、どっさり格安でわけていただき、飾ったり人にあげたり。

今は、サマーチェリーの季節。

ドライフラワーにして、一年中楽しむ花です。

甘い甘い香りが、家中に広がっています。

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わたし流しあわせの見つけ方

心身のバランス

先日の東京行きを、無理をしたわけではないと思うのに、ホテルの乾燥がこたえたのか

 はたまた疲労か。またはリズムが狂ったせいか。

原因はわからないが、10年ぶりの風邪。

風邪といっても熱が出るわけでもなく、寝込むわけでもない、喉が痛くてやや体調不良という程度。

誰も。多分家族も気づかない程度の不調。 

でも、ほら。こちとらは「医療器械」の身だから、少しでも不調なれば 「医療器械」の精度が落ちる。

人はわたしのことを神経質すぎるっていう。

だけど人の話を聞くって健康そのものでないとできない。ちょっとでも不調なときにグズグズ言う人の話は聞けない。

つくづく考えた。

これからも頭はますます冴える。しかしからだは、だんだん衰える。

そのバランスをいかにとるかとの戦いではないだろうか。

キャリアがものいう私の仕事は、だんだん能力が増すのを感じる、しかし体がついていかない。

最後はどうなっていくんだろう。

どうやって舵をとっていくかは 大仕事だと感じる 昨今である。

ああ、仕事的には40歳前後が一番元気で輝いていたなあと思うが ふりかえってもどうしようもない。

体で勝負できない今は 知能で勝負しなければ。

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