憧れの・・・・・・・

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今日は休日でした。 
平日に家にいるというのは、最高の贅沢です。憧れの・・・・・
たまだから こんなにうれしいのかもしれませんが。

早速散歩をしました。

近所の公園に 水芭蕉が咲いていました。

わたし流しあわせの見つけ方

ライフワークバランス

住まいのあたりは高原なので春が遅い。
今日は雪が降った、ちょっと愕然とした。
桜なんてまだまだ見ようも出来ない。

 3月まで、何十年とフル回転で働いていたが、思いきって4月から休みを多くした。
まだまだ常勤で働ける年齢なのだけど、思いきって少なくしようと決めたのだ。

 ところが、長年常勤で働いてきた身には、パートというのが、いかにも肩身が狭い。
机さえない。名前も知られないし、責任を持たせてもらえない。

病気というのは、曜日や時間を選ばない。
だから常勤ということは、「夜も日曜日も責任を持つ」ということだ。

ところが「夜も日曜日も責任を持つ」ということは並大抵のことではない。
わたしにとっては、今までも一番苦手なこと。

だからできたら「日曜日も夜も責任を持たなければいけない」常勤医の 助っ人でいい。
それくらいが気持ちが楽。

そう決めてパート医を選んだのだけど、まだ時々、欲や迷いが出る。

欲が出るのは、精神科医というのがどこでもひっぱりだこだからだと思う。
「来てほしい」「もっと働いてほしい」と言われたら悪い気がしない。

 でも、本当にいい仕事をしたいと思ったら、時間的には ちょっともの足りない、って
いうくらいが、ちょうどいいと思う。

だって、医療器械なんだもの。
精度を保とうと思ったら、これ以上仕事を増やしたらだめ。
そう言いきかせているわたし。

友人たちは「もっと遊ばなくってはだめ。働き過ぎよ」って言うんだけど、

働くことが辛いことで 仕事をやめたら 楽しいことばかり待っているわけではないと思う。

やっぱり 仕事と生活のバランスが大事。ライフワークバランスの良いことが 一番だと思う。

                           ☆      ☆      ☆

ところが、がむしゃらに働いていたときには、何かを埋めるように、ホームページを整備したり
ブログにもがむしゃらに何か書きたかった。

なのに、仕事に余裕が出たら、あまり書きたくない。
なんか憑き物が落ちたような気持ち。
ブログを再開したばかりなのに スミマセン。

今日は久しぶりで ピアノを弾いた。楽しかった。

仕事と 私生活の間で 揺れ動くわたし。

でも、いかにも わたしらしくて いいではないか、と思うことにしよう。

わたし流しあわせの見つけ方

「医療器械」の不調

精神科医の見立てや治療は、他の科のように血液検査や内視鏡というわけにはいかない。

精神科医の検査器具・治療器具は「自分の体」。体しかない。

しかも、相手はもっとも傷つきやすい患者さんだ。

だから、少しでも体調不良だと、見立てはともかく、治療の際に影響してしまう。

疲れているときの一番の失敗は「つい一言多くなること」

「口は災いの元」を地でいく結果になってしまう。

人間は疲れてくると、おしゃべりになる。年とるほどにおしゃべりになるのも
抑制がきかなくなっているからだ。

抑制をきかして人の話を聞くためには、体調が良く、しっかり抑制がかかっていないと出来ないのだ。

だからふだんからものずごく、神経質なくらい体調管理をおこなう。

日曜日は、たいてい「医療器械」の整備に追われるというわけだ。

             ☆    ☆    ☆

このところ気分がぱっとしない。

でも今日は久しぶりで ひじきの煮物を作った。

料理できるということは、わたしの理屈からいくと疲れているわけではないのに。

なぜだろう。

人間は「自分を知る」ということがもっとも難しいと思う。

天気のせいにはしたくないが、各地で桜が咲いているというのに今日はこちらは雪模様だった。

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わたし流しあわせの見つけ方

続・お金とこころ

以前に、「お金とこころはセットです」というコラムを書きました。
それに対して、友人から「言われてみれば確かにそう。でも じゃあ どうすればいいの」と
聞かれました。
それはそれぞれが考えればいいことなのだと思うのです。が、こんなことがありました。

二ケ月ほど前、こんな相談を受けました。
ご主人が、お金にルーズだというのです。奥さんが置いておくお金が、なんとなくなくなっている
のだそうです。ご主人の小遣いが少ないのはわかるので「あなた 取ってない?」と聞くと
「とってない」と言います。でも なんとなく少なくなっている気がする。でもご主人から あまりにあ
確信的に「とってない」と言われると、ついつい「じゃあ わたしの心得違いかなあ」と思ってしまう、
というのです。

子育て真っ最中の忙しい主婦の暮らしの中で、お金はたえず必要ですし、また 1000円札が何枚か
なくなっていたとしても 確信できない気持ちはよくわかります。

ご主人のほうが、はるかに知能犯なんですよね。

「ご主人が抜いていることは確かだと思いますよ」と話すと

「でも、確信的に否定されてしまうんです。現行犯で捕らえられないし」とのこと。

こんなとき、あなたならどうしますか?

         ☆      ☆      ☆

わたしにもこんな経験があります。
昔、500円玉貯金をしていました。たまったたまったと喜んでいたのですが、
いつのころからか たまり方がおそい。
そのころまだ思春期だった次男に「あなた、とってない?」と聞いても「とってない」と
言います。

何回かそんなことを繰り返した、あるとき、わたしが寝ていたら こっそりやってきた
次男がそーっと500円玉貯金を抜いているのです。

そこで そのときは寝たフリをしていたのですが、何日かして 折をみはからって
次男を 前に座らせました。

そしてとても厳粛な声で 言い渡したのです。

「あなたね、500円玉の件だけどね、お母さんはずっと前から 知ってたのよ。
わかっていたけど黙っていたの。よく考えて行動しなさいよ!」

びしっと言うだけ言って、うむを言わさず、立ち去りました。

その後、500円玉貯金がなくならなかったことは言うまでもありません。

その次男がもう少し大きくなってからですが、バイクを買うので保証人になってくれと
言ってきました。冷たいようでしたが、お金をためてから買いなさいとつっぱねて
保証人にはなりませんでした。

どの子も親が保証人になっていると泣きつかれたけど、まだまだ甘えたい年頃の
次男の保証人になったら、結局 いずれわたしがかぶることになる気がして。

成人するかしないかの あやうい時期は特別にお金に対して 子供たちにはきびしく
しました。

子供が多少お金にルーズでも、親は困りません。でも いずれ そのお嫁さんが困る気がして・・・・・・

誰かのつけは、結局 いつかは誰か別の人にまわってくるのですよね。

           ☆      ☆     ☆

その奥さんには、こんな助言をしました。

ご主人が盗んでいると思います。でも たずねたってはぐらかされるだけ。
ご主人のことはほうっておいていいですよ。
お金を大切にしなさい。一円たりともおろそかにしないつもりでやってごらん。

二ケ月後にきた奥さんの顔は明るかったです。

ご主人には「お金は大切だから とらないでね」とだけ言い、あとはほうって
おいたそうです。
わたしに言われた通り、家にあるお金は把握するようにして、毎日家計簿をつけて
いるそうです。

もちろん、ご主人はそれ以来とらないそうです。とれないですよね、奥さんが毎日一生懸命
家計簿つけていたら・・・・・・・・・

          ☆      ☆       ☆

ひきこもっている患者さんにも、誰からお金をどんな形でもらっているか、聞きます。

下手なカウンセリングをおこなうより、いろんな構図が見えてきます。

お金の得方、お金の使い方で、その人の中身がわかると思う。

         ☆    ☆    ☆

お金には こころが入っていると思って大事に扱うこと。

それが、お金の扱い方の基本だと思う。

わたし流しあわせの見つけ方

心神耗弱状態と責任能力

先日、ある殺人事件で精神科医による容疑者の精神鑑定がおこなわれ、
「容疑者は事件当時、心神耗弱状態であった」との鑑定結果が出た。

 たしかに、容疑者は異常な精神状態にあったと思われる。
しかし鑑定にもあったように、あくまでも 「急性」で「短期」の精神病状態である。
何年も前からその様な状態にあったわけではないし、逆に突然意識をなくしたわけでもない。

事件当時、短期に精神病状態にあって、判断がつきかねる状態であれば、日本の裁判では
無罪もしくは情状酌量の余地ありということになっているらしい。

けれど今回の事件では、その判断に納得しかねるという世論が多勢をしめるように思える。

              ☆       ☆       ☆

話は変わるが、お酒を飲んでおこす事件がある。酩酊状態における犯罪だ。

酩酊状態は まず2つに分けられる。

ひとつめは 普通酩酊。これは普通の楽しい酔いである。
ふたつめは 異常酩酊。異常酩酊もまた 2つ あって、複雑酩酊と 病的酩酊である。
事件になりやすいのは後者、つまり複雑酩酊と 病的酩酊である。

一番多く見られるのが複雑酩酊である。これはお酒を飲むと 人格が変わってしまい、粗暴になり
興奮する。
しかし見当識は保たれていて、粗暴や興奮の結果におこなった行為は、ふだんから心の底に
持っていた感情が出るのであって、周囲からもなんとか理解できる範囲である。
つまり ふだんから憎んでいた人に向かうけれど、無差別な殺人にはならない。

 これに反して異常酩酊というのは、めったにない。これは本人も周囲もまったく理解に苦しむような
 無差別殺人をもおこしかねない状態に陥るような酩酊である。本人の知らないうちに起こるもの
であって、責任能力はない、とされている。裁判になっても無罪である。

しかし。

ここが大事なところなのだが「もし、酒を飲めば、異常酩酊状態に陥るような酒の
飲み方になる」ということを 本人が一回でも知らされた後におこした事件は有罪である。

知らなかったらどうしようもない。
しかし過去に知らされていたなら、本人が自覚していようがいまいが、あるいは
意識をなくした上でおかした犯罪であっても、有罪ということだ。

とても納得のいく考えだ。

        ☆      ☆      ☆

今回の事件は酩酊で言うなれば、複雑酩酊のようなものだ。
もともと憎んでいた人を殺したわけだから。そして 複雑酩酊なら 当然、有罪だ。

もし、今回の事件が 異常酩酊に匹敵するくらいの心神耗弱状態であったとしても、
どうだろう。

もしそうであったとしても、自分が殺人事件をおこしかねないくらいになっているという
ことを 一度も想像できなかっただろうか。

「殺したい」と ただの一度だって 思わなかっただろうか。

人を殺したいくらい憎いという自分の精神状態を、まったくわからないのは子供くらいで
あって、その精神状態の異常さに、普通の大人なら 気づかないわけがない。

「相手も悪い人だった」という事実と 容疑者の責任能力の有無はまったく別次元の話である
ことは言うまでもない。

       ☆       ☆        ☆

精神科医・吉田脩二の本「サルとヒトの間」に、ある病気の後遺症で 数秒しか記憶が保てない
ある高名な指揮者の話が出ている。

彼は自分は生きる屍だといい、次第に人格崩壊していくのですが、吉田は言っている。

人間は、過去、現在、未来の連続性の中で生きてこそ、存在しているのだと如実にわかる、と。

事件をおこした容疑者が、その事件当夜、責任能力のないような異常な精神状態にあったと
しよう。鑑定でそう言っているのだから そうなんだろう。

しかし、容疑者の人生は連続している。

事件当夜の前日、彼女には責任能力があったはず。ということは 自分の置かれている状況を
理解もしていたはずである。

自分の判断で結婚し、自分の判断で結婚生活を続けていた。
その結婚生活が予想に反して、しあわせなものではなく、夫を殺したいくらいの心境にあると
いうことを 理解できていないくらいだったら そもそも結婚できてないと思う。

その連続性をどう考えるのだろうか。
一ケ月前の責任能力と前日の責任能力と 当日の責任能力は連続して考えるべきものと思う。

        ☆      ☆      ☆

統合失調症という疾患がある。最近は良い薬も出て、また精神医療の啓蒙のせいか統合失調症の
方の犯罪がうんと減った。

統合失調症で 幻覚や妄想のもとで 犯罪を犯した場合は 無罪ということになっているようだ。

しかし、精神病の方に添いながら仕事をしているわたしだけど、統合失調症の幻覚で罪をおかしたら
無罪というのも 納得できないと思っている。

病気であっても 罪をおかしたら有罪になる。そういうことは きちんと患者さんに話すべきだと思う。

精神病をもっている人が、もしちゃんとした治療しなかったら 幻覚妄想状態になって何をしてしまうか
わからないような異常な状態に陥ってしまうんですよ、ということは 教えておいたほうがよい。

それをわかる義務が患者さんにはあると思う。

そういう義務を果たしてもらうことが わたしは本当の意味で精神病の人を尊重することだと思っている。

         ☆        ☆       ☆

今回の事件では、短期に急性に精神病状態であったというならそれはそれでよい。

しかし 責任能力はあると思う。

なぜなら 人間は連続して生きているからこそ、人間であるから。

毎日毎日、テレビや新聞で、いやというほど知らされている。

愛憎がともなえば殺人事件になるということを。

誰ひとり、テレビや新聞の報道から遮断されてはいない。

あなただって、もし今、誰かを死ぬほどに殺したいほど憎んでいたとしたら、

一日も早く解決するか相談するか逃げるかしないかぎり、殺人事件に発展する可能性は
いっぱいあるんですよ。

誰もそのことを教えられていない、知らされていない今の世の中ではない。

そうわかっていながら、苦しむあまり心神耗弱状態で事件をおこしたら、それは

今日のあなたに責任があるかぎり 明日のあなたにだって責任はあると思う。

そうやって連続性のあるものとして人の人生を考えるという視点に立てば、

今日のあなたの生き方が あなたの10年後のあり方と関係してくるということだ。

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冷たい医者

8年前から勤めていた病院を、3月一杯でやめることになって、患者さんたちと
お別れの挨拶をすることが多くなりました。

若いころからこれで5つ目の病院。これから働く病院は 6つ目です。

精神科医としての治療は、できるだけ医療の分野をはみ出さず、あっさりあっさりを心がけて
いますが、人格と人格のふれあいの中で治っていく方も多く、精神科医と患者さんのつながりは
どの科にもまして深いものがあります。

ですから、長く勤めた病院をやめたり、開業を閉じたりするたびに、患者さんたちにはとても
さびしい思いをさせてしまいます。

それでもあえて、わたしは病院を数年から十数年でやめてしまいますし、新しい病院に患者さんを
ひき連れていくということをしません。

患者さんの人生まで背負ってしまう状況がおきてきがちな中で、だんだん肩の荷が重くなって
きます。
反対に、患者さんの側にとっても、どんなに良い医者だと思ったとしても、別れを経験して、また
新しい出会いを持ってほしいと思う。

わたしという主治医と出会ったことで良くなっていった、と思う患者さんでも、別れて数年もすると
わたしと別れ、別の医師とであったからこそ、ということをたくさん経験して成長されています。

精神科医なんて、ずーっとつきあっていくものではありません。
忘れられていくのがいいと思う。

というのが、わたしの 美意識です。

大学や就職で家を離れていく子供を見つめるときの母親の気持ちに似ていると思う。

こころの治療は 子育てと同じだから。

                 ☆      ☆       ☆

もっとも、患者さんのために変わっているのではないのよ。動機は自分。

自分が生かされていない、馴れ合いになっているなど感じ始めると、

あえて環境を変えたくなる。

「変わっていく自分」「成長していく自分」を見たくなる。

楽チンで楽しいとか、裕福であるとか、地位や名誉があることより、

「好奇心を満たす」ということが、わたしの人生では 一番大きな要素を占めて。
その誘惑に勝つことはできない。

わたし流しあわせの見つけ方

キャベツ

野菜が軒並み高くなる中、キャベツは安いわりに使いでがある。
キャベツのレシピを増やさなくては、と思って作った一品。
豚ひき肉とキャベツの重ね蒸し。
ひき肉の下ごしらえがしてあると、帰宅して15分で出来あがるのがいい。

今日は職場で昼休みがとれたので、元気!

      ☆      ☆      ☆

 ひき肉+ねぎ10センチみじん切り、にんにくと生姜のみじんきり、酒、醤油、塩、胡椒、
片栗粉、ごま油

キャベツの葉はおおきいまま、キャベツとひき肉を交互に敷き、酒をかけて15~20分、蒸す。

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わたし流しあわせの見つけ方

疲労度6?

今日は暖かかった。
ついこのあいだまで零下だったのに、今日は15度。
おそい春がもうそこまで。

今日は久しぶりの休日。
朝起きの気分は良かったのだけど、なんとなくダルイ気がする。
冷蔵庫にたまっている食材を半料理するのに、だらだらと
一日かかってしまった。
わたしの理論でいくと、これは疲労度、相当のもの。

19、20日の東京行きも、23日、30日の演奏会もキャンセルしよう。
3月は忙しいから、無理は禁物。

キャンセルって決断するのに勇気いるんだけど、ブログに書いて
しまったことは、自分にも適用しないとね。

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わたし流しあわせの見つけ方

心身の疲労度の測り方

毎日の暮らしはとめどなく続いていますが、暮らしはいくつもの家事でなりたって
います。それを思いつくかぎり細分化して書きだしてみます。

たとえば、朝食作り、茶碗洗い、生ごみ出し、洗濯、洗濯干し、アイロンがけ、新聞読み、昼食作り、
スーパーの買い物、車の運転、銀行や郵便局、草取り、花の水やり、夕食作り、夕食後の茶碗洗い、
テレビ、生協の注文、掃除機をかける、部屋の整理整頓、おふとん干し、ふとんの準備、
友達と長電話、パソコン、編み物、洋裁、ピアノレッスン、種類書き、散歩、プール、などなど。

そしてそれを

依存しているものは、そこからのぞいて、残りのものを 三つに分けます。

Ⅰ、好きな家事、好きな趣味

Ⅱ、どちらでもないもの

Ⅲ、苦手なもの

に分けます。

わたしの場合、パソコンとか編み物などは 疲れていても、ついついやってしまうものなので
それはのぞくとして、家事の中味を以下のように分けます。

Ⅰ、料理、茶碗などの洗い物は 好き。

Ⅱ、だいたいは どちらでもない、に入る。

Ⅲ、部屋の整理整頓、車の運転、友達との長電話、などは 苦手。

好きなことというのは かなり疲れていても出来るもの。
好きなことがしたくないときは かなり疲れていると考えてよい。

苦手なことでも、とても元気があるときには出来るもの。
苦手なことでもしたい気分のときには「心身が健康的なんだな」と認識する。

仕事から帰って、夕食の準備をいそいそと出来るときはいいのですが、
料理を作る気分になれないときには「疲れている」と判断しています。

これを使うと、仕事から帰宅したときには その日の疲れ具合が一目でわかります。
疲れた日には手抜き料理に、早寝を決め込みますし、
そんな日が続くときには 要注意。早めの対策を考えるというわけです。

反対に、苦手なことは よほど元気でないと気分の乗らないもの。気分の乗ったときに
するようにすれば、無理がきません。

         ☆      ☆      ☆

心身疲労度を見る作業は、ずっとおうちにいてマイペースで動ける方や、心身ともに健康で余裕の
ある暮らしをしている人にはあまり関係ないかもしれません。
しかし、何事も自分のペースだけでは決めれない忙しい仕事をなさっている方、それから 
こころの病をもっていて、療養中の方、それから ご高齢の方には 参考になると思います。

わたし自身はこの方法で自分を管理していて、無遅刻、無欠勤を更新し続けて37年になります。

うつ病の方などでも、その方が好きなことでも出来ないときは まだまだ回復しないときと考えます。
そしてじょじょに好きなことからやっていただきます。苦手なことはしなくていいよ、と
アドバイスします。そういう指針をしめしてあげることがとても治療的になります。

        ☆     ☆     ☆

ところで 心身の疲労度を測る必要もないほど マイペースで余裕のある暮らしをしている方
は 心身面で問題ないでしょうか。

最近わたしの友達が癌になりました。その友は 田舎暮らし歴20年。本当にマイペースで暮らして
きた方です。そんなに健康なのに、って感じです。

その友と話したのですが、あまり緊張のない暮らしというのは 副交感神経が優位になりすぎます。
それもまた 体に良いことばかりではないようです。

人間には、ストレスも緊張も必要なのではないでしょうか。

忙しいと思う人はたまにのんびりと。

 のんびりと暮らしていると思う人は たまに緊張感のあることを。

といったところでしょうか。

わたし流しあわせの見つけ方

相談その2

何かをしようかな。
それともやめておこうかな、というとき。
だれと相談しますか?

ふつうは自分の「こころ」と相談しますよね。

でもそんなとき。
たまにはあなたの「からだ」と相談してみてね。

やりたい気持ちはわかります。
やりたい気持ちも行きたい気持ちも大事です。

だけど。

こころと同じくらい大事なあなたの「からだ」。

 「からだ」がついていかないということもあるでしょう。

何かをしようかどうか迷うとき、

ぜひあなたの 「からだ」と相談してあげてくださいね。

                 ☆      ☆      ☆

とは言っても、心身の疲労度は どうやったらわかるでしょうか。 

前に こころの状態や気分は、朝起きた瞬間の気分に一番反映しやすいと書きました。

心身の疲労度はどのように判定すればいいでしょうか。

患者さんの診察のときには、なかなか時間がないので使えない方法ですが、

自分の心身の疲労度を測るときに使っている方法があります。

それは10年以上も前のことです。テレビを見ていたら「激務のため、帰宅が夜遅くになる人にとって

夕食(夜食)にどういうものを食べると つぎの日に元気が出るか」というのをやっていました。

そのとき疲れ方の判定や元気が出た、出ないを判定するのに使われていた方法が 実は

目からウロコだったのです。

それを自分なりにアレンジして使っていてとても便利がいいのです。

次回はそれについて書きます。

わたし流しあわせの見つけ方