八ケ岳に住むということ

 

インスラグラム・プロフィール

八ヶ岳山麓に住む私が感動した風景、花、絵になるものすべて。私がここに住んで良かったと思わせてくれたすべてのものたち、そして猫たち。時に旅先で。

上は私がインスタグラムに書いた自分の写真のプロフィールである。

まだたった数枚しかアップしていないが、このプロフィールは、私の想い、そのものだと思った。

 

私は夫の強い意思でここに来た。

都会に住みたい気持ちを封じこめて、夫についてきた。

しかし、ここに住んでますますカメラを持つようになった。

 

普通は、カメラと言えば、朝の光の中、あっちこっち出かけ、じっと構え、辛抱のいるエネルギーのいる作業だ。

しかし私は、

家と職場の往復だけで

膨大な写真を撮った。

そんなことが普通はあり得るだろうか、

私は写真のために一回でも撮影旅行や旅に出かけたことはない。

 

ここで撮った数々の写真は私のこの土地での人生そのものだと思え、胸がつまった。

 

インスタにどれだけはまるかはわからないが、私の書いたプロフィールは私をよく現わしている。

 

私がここに住んで11年。

住まないとぜったい、わからない季節の移ろいや自然。

旅行者や別荘の人たちにはぜったいわからない、この微妙な季節の移り変わり、それを切り取る。

私はここに住んで多くのものを得た。

昨日、インスタに載せる写真を選んでいてつくづく思った。

☆   ☆   ☆

載せ方がわからなくて、妹にメールしたら「身体を壊すからやめなさい」と強く注意された。

たしかに今の私にスマホやインスタは、健康を害する元かもしれないが。

連載コラム(33)自分が変われば相手も変わる

 

 

 

<33>⾃分が変われば相⼿も変わる

精神科の患者さんの症状は、どこからが病気でどこからが性格的なものか区別がつきにくい。それもそのはず。⼼の病とは「⼈間関係の病」でもあるからだ。

⼈間関係の中で、⼈の⼼は⼀定の法則に従って動く傾向がある。満⾯の笑みを浮かべて「ありがとう」と⾔われた時、⾃然に⼈はうれしい気持ちになる、などはそのちょっとした例である。

精神医療では、その動きの法則性を⾒つけていくことが⼤切で必要になる。例えば、ダダをこね続けた時に根負けした親が⾃分のわがままを聞いてくれると、⼦どもはだんだんわがままを通すためにダダをこねたり、それがエスカレートしたりする可能性もある。こうやって親⼦の間で⻑年の間に困った性格や精神症状が形成されていくことはよくあることだ。私たちは患者さんと家族の⼼の関係性を探り、良くない⼒関係が働いているなら、それを別の⽅向に変えるよう働きかけたりもする。

先⽇、激しい不安障害で⼊院となったA君はまだ若い17歳。不安が起きるたびに家に電話し、会いたいと⾔う。それが1⽇⼗数回にもなって親がネをあげた。患者さんは発作を起こすと親が⾔いなりになることを無意識に知っている。発作を収めたい⼀⼼で⼦どもの願いをかなえ続けたツケは⼤きい。

また別の例だが、神経質で⼏帳⾯な強迫性障害のBさんには、おおらかでのんびりとした妻がいた。神経質な夫を持てば、妻はバランスをとるためにどんどん⼤ざっぱになりがちだが、妻が⼤ざっぱになればなるほど夫は不安になり、強迫的な⾏動が増えていた。

こんな時、患者さん⾃⾝を治療するのはもちろんだが、家族にも働きかけ、変わってもらわないと症状は改善しない。A君の両親とは、今後A君の⾔いなりにならないよう話し合う予定だ。Bさんの奥さんには、ご主⼈の症状を神経質すぎると決めつけないようにお願いした。そして奥さんも⼏帳⾯な⾯を出してくれれば、ご主⼈も安⼼すると助⾔したところ、症状は少しずつ改善している。⼈間はともすれば、相⼿ばかり変えようとする。というか、⾃分は変わりたくない、相⼿をばかり変えたいと思う⼈であふれている。誰でも⾃分は悪くないと思い、⾃分が変わることには強い抵抗を感じるものだ。

しかし、⼈の⼼が関係性の中でどちらにも動くことが分かれば、どうだろう。どちらがいいか悪いかではない。相⼿の病気が良くなったり、⼆⼈の関係が良くなったりすることが⽬的なのだから、思いきって⾃分から変わってみよう。「⾃分が変われば相⼿が変わる」は真実である。ぜひ試してみてほしい。