連載コラム(44)今の時代を夫婦で豊かに

 

 

<44>今の時代を夫婦で豊かに

先⽇、久しぶりに⾦沢を訪れた。この街は私が18歳からの30年を過ごした第⼆の故郷。ここで喜びも悲しみも⾟いことも、普通の⼈が⼈⽣で出合うほとんどのことを経験した。いい思い出も⼭のようにあった⾦沢を⾃らの意思で離れて20年。

新幹線「かがやき」が到着した時には思わず胸がいっぱいになり、涙がこぼれそうになった。

⾦沢には今も⼦どもたちや友⼈たちが住んでいる。それなのに、もうずいぶん⾜が遠のいていた。私は地縁へのこだわりがあまりない。広い世界を⾒たい、いろんな経験をしたいという気持ちが強く、引っ越しの回数はハンパじゃない。

⾦沢では開業していた。⼦どもたちもみな独⽴し私は1⼈で暮らしていた。仕事にも友⼈にも恵まれ、それなりに幸せな⽇々だったと思う。ところがある⽇、ふと息⼦たちが家に寄りつかなくなっていることに気づいた。尋ねてみると「彼⼥の家におよばれすることが多くて」と⾔う。「お⺟さんのメシうまい︕」と⾔ってた⼦どものころ。いつからこうなったのか。どうして平等にわが家にも来ないのか。衝撃だった。

しかし冷静に嫁としての⾃分を振り返れば、やはり姑より実⺟を頼っているし、夫が⺟親の下へ⾜しげく通うのもヘンだ。ところがわが息⼦だけは例外だと信じていたのだから、ほんまにうかつやった(滋賀の⽣まれ。たまには関⻄弁で)。

最近、私の周りには「息⼦がお嫁さんにとられて寂しい」と嘆く⽅が多い。でも私の場合はその時に発想を180度転換したと思う。そうだ。親を卒業したんだ。お⼦さんのいない友⼈夫婦が「40代も半ばを過ぎ、50歳にもなると、⼦どもがいる⽅たちも夫婦2⼈になるのね。結局、⼈⽣の後半は⼦どもがいるかどうかなんて関係ないのね」と⾔っていたことを思い出した。なるほど。「⼦どもがいることを前提とした⽣き⽅」ってどうなの、と思えた。

男の⼦3⼈を持つ私としては、潔く息⼦たちをお嫁さんに渡し、新天地でゼロから出発するのも悪くない。私の「引っ越し癖」がむずむずと動きだした。そうだ、もともと住みたかった都会に⾏こう。そしてもう⼀度、結婚したい。⼦どもを頼るよりやっぱり良き伴侶を得よう。そう決⼼した私はクリニックを友⼈に譲り、何の未練もなく⼤阪に出たのである。

それからはや20年。息⼦や娘と会うのは多くて年に1回。でも今はインターネットを通じていつでも⼗分に全員とつながっている。狭い地縁や⾎縁にこだわって⼦どもを縛ることなく、「広い世界を⾒ておいで︕」と晴れやかに⼦どもたちを送りだそう。⼈⽣90年の時代を⾃らの⼿で豊かに築きながら⽣き抜く時にきていると思う。