冷たい医者

8年前から勤めていた病院を、3月一杯でやめることになって、患者さんたちと
お別れの挨拶をすることが多くなりました。

若いころからこれで5つ目の病院。これから働く病院は 6つ目です。

精神科医としての治療は、できるだけ医療の分野をはみ出さず、あっさりあっさりを心がけて
いますが、人格と人格のふれあいの中で治っていく方も多く、精神科医と患者さんのつながりは
どの科にもまして深いものがあります。

ですから、長く勤めた病院をやめたり、開業を閉じたりするたびに、患者さんたちにはとても
さびしい思いをさせてしまいます。

それでもあえて、わたしは病院を数年から十数年でやめてしまいますし、新しい病院に患者さんを
ひき連れていくということをしません。

患者さんの人生まで背負ってしまう状況がおきてきがちな中で、だんだん肩の荷が重くなって
きます。
反対に、患者さんの側にとっても、どんなに良い医者だと思ったとしても、別れを経験して、また
新しい出会いを持ってほしいと思う。

わたしという主治医と出会ったことで良くなっていった、と思う患者さんでも、別れて数年もすると
わたしと別れ、別の医師とであったからこそ、ということをたくさん経験して成長されています。

精神科医なんて、ずーっとつきあっていくものではありません。
忘れられていくのがいいと思う。

というのが、わたしの 美意識です。

大学や就職で家を離れていく子供を見つめるときの母親の気持ちに似ていると思う。

こころの治療は 子育てと同じだから。

                 ☆      ☆       ☆

もっとも、患者さんのために変わっているのではないのよ。動機は自分。

自分が生かされていない、馴れ合いになっているなど感じ始めると、

あえて環境を変えたくなる。

「変わっていく自分」「成長していく自分」を見たくなる。

楽チンで楽しいとか、裕福であるとか、地位や名誉があることより、

「好奇心を満たす」ということが、わたしの人生では 一番大きな要素を占めて。
その誘惑に勝つことはできない。