昨日、100才にも近いご高齢の方が亡くなった。
主治医が不在だったので、私がお看取りをおこなった。
ただただ眠っていて、普通に息をされているかのような感じだった。
でも亡くなっているのだ。
すごく不思議な感覚だった。
悲しくなかった。
病院であたり前におこなわれている看取り。
なんだか感情がない「死」の儀式。
お子さんがもうおられないのか、孫さんが来られた。
孫さんは若い女性で、幼いふたりのお子達を連れておられた。
やっぱり悲しい素振りはなかった。
準備をする間、お子達を笑いながら普通に遊ばせておられた。
なんにも変わらない病院の中、誰かの感情も特別動かない中で、ひとりの人が亡くなった。
病院ではあたり前の、日常的なことだけど、こんなにあたり前でいいのかなと思った。
でも当たり前の出来事のひとつだとも思えた。
初めて医者になった時に、初めて人を亡くした時は泣けた。
今ではもう泣けない。
でも、生きておられるうちは、全然面会に来ない方ほど。
亡くなった時、大騒ぎされたり、大泣きされることがあって。
それもまた不思議に思う。
生きているうちに、もっと喜んだり悲しんだりしたらいいのに。
生きてる時は、全然会いにも来ないのに、会いに来ない人ほど。
亡くなったときに大泣きする。
それも不思議な現象だと思う。
やっぱり、生きているうちに、喜んだり、大事にしたり、悲しんだりしたい。
そう思う。
亡くなったらもうおしまい。
身体は朽ちるので、心の中で出会うしかない。