「趣味と娯楽は別もの」と書かれており、なるほどぉと胸にストンと落ちたのは、もうすごい若いころでした。
実は、ワタクシこの春から趣味としてオカリナを習い始めました。けれど、あとに書く理由、つまり向上の辛さを乗り越えられなくて、ただ今中断しております。
患者さんやそのご家族にとっても「趣味」はかなりの関⼼事です。仕事で定年を迎えたり、うつ病で悶々としていたりする⼈に対して、ご家族が「趣味を持ってほしい」と⾔い出すケースがけっこう多いのです。
その時、私は「趣味を持つことは仕事より難しいのですよ。仕事のほうがまだラクです。だから無理強いしないで」とご家族に⾔います。
こう言われると、みな「?」顔になるので、説明が必要なのです。その説明をこれから書きますね。
仕事は「今⽇からやめます」というわけにいきません。でも趣味をやめる理由なんて⼭ほど⾒つかります。
みなさん、思いあたることがあるでしょう。
実は若いころ出会ったのは、こんな⽂章でした。「趣味とは向上の苦しみが伴う愉しみ。娯楽とは向上の苦しみが伴わない愉しみ」。
それ以来、⾃分の中で趣味と娯楽をはっきり分けるようになったのです。
そして患者さんには「趣味を持つことは難しいので考えなくていい。でも娯楽はできるだけたくさん持っていた⽅がいいよ」と話すことにしています。
娯楽は向上の苦しみが伴わないので、続きやすいですよね。ビデオや⾳楽の鑑賞、散歩、ウインドーショッピング、気ままに楽器をつまびく、読書、ゲーム、テレビ…挙げたら切りがないでしょう。
気持ちが乗らなければしなくていい娯楽をたくさん持っていることは、病気の回復や⼈⽣の充実度にとても大切です。
さて、話を「趣味」に戻しましょう。
趣味を持つことは難しいのであまり考えなくていいと思うけれど、ないよりはあった⽅がいいかもしれません。「趣味」の⾒つけ⽅ですが、⼦どものころどんなことに関⼼があったか思い出すと割合みつけやすいようです。
何も思いつかない場合には、現実の⽣活の中でいろんなことに関⼼を持ち、機会があればなんでも⼿を出してみることですね。
深く考える必要なんかないですよ。
「忙しいから無理」「三⽇坊主に終わるんじゃないか」「⾃分の苦⼿分野だから」というのが三⼤妨害要素ですが、そんなこと考えていたら何もできません。
そう。⼼配なんかいらないんです。
これは私の説ですが、⼀つの趣味を⼀⽣かけて追求する⼈はどこか特別だという気がします。
ここがポイント!
特別な人ではない我々凡人は、趣味より娯楽をいくつか持って楽しみましょう。平凡なことを愉しみに変えましょう。
信念と頑固は紙⼀重だし、⼀つのことに固まってしまうより、いろんなことに挑戦する⽅が楽しいではないか、という考えもあります。いったん始めたものをやめると、やめ癖がつくと⾔って、⽇本⼈は⾃分にも⼦どもにも無理を強いる傾向があります。でも合わないものを無理に続ける必要などどこにもありません。やめるからまた、新しいことに挑戦できるというメリットはとてつもなく⼤きい、そのほうが大きい気がします。
「○○1⽇講座」に出てみる。合わないと思ったら3⽇でやめる。3年、10年と続けた趣味も現実の暮らしの中で無理が⽣じると思ったら潮時です。好きなものや得意なものより、苦⼿だと思っていたことの⽅が「伸び代」が⼤きいのでやってみるといい、というのは認知症予防のアドバイスのひとつですが、これは⼀般にも通じることです。
無理に趣味など持たなくていい。が、あれば時にはとってもつらく、そしてちょっぴり楽しい。
みなさんは、どちら派ですか?