残り物に福あり? の 医者暮らし

長い間、女性としては珍しく、常勤医として働いてきた。

女性医師の場合、出産や育児があるので、たいていはどこかで休んだり、パート医になることが多い。

しかし私の場合、常勤とは言っても夕方には帰るし、当直も最低限しかしてこなかった。

夜の仕事は、男性医師が全部やってくださった。だから常勤といってもカッコつきの「常勤」である。

いくら能力があっても、夜や休日にアテにならない医師は、半人前。そんな世界だ。

医師の世界では、そんな半人前の医師だったから、能力があっても管理職にはなれない。

別に名誉がほしいわけではないが、管理職になれないということは、組織の中にあって、自分の意見は通らないということ。

いつも誰かに従っていなければいけないということ。

だから、いつも誰かに従い、波風は立てず、ただただ真面目に診療するだけだった。

そのおかげで、自分で納得のいく、丁寧な診療をできる医師にはなれた。

 大きな組織にいた40歳半ばのとき、思うようにならない組織を離れたいと思って開業した。

男性でさえ、精神科で開業しない時代だったので 華々しい転身だった。

しかしここでも男性医師は、奥さんの内助の功あっての開業。

男性は家事がないぶん、どの世界でも 奥さんとふたりで一人前のような気がする。

内助の功がないまま、何から何までひとりでやるのは 大変なことだった。

経営は順調で診療そのものも充実していたが、結婚したのをキッカケに 勤務医に戻った。

され、勤務医になったのはよいが、夜や休日は活動したくない、あいかわらずの「半人前医師」なので

いつも 管理者の言うことには ぜったい従わないといけない。

そういうことには慣れているものの、ちいさな私立病院ともなれば 我慢することのほうが多くなる。

 このたび 4回目の転身をはかり、大きな総合病院2つをかけ持ちのパート医となった。

本来なら 大きな総合病院は 妻子を養っている中堅の医師で うまっているはずだ。

ところが 最近は 誰もが精神科クリニックを開業する時代になったので 逆に総合病院に空席がある。

 まさに 残り物に福 なのだ。 ああ 良かった!

しかし、パートなので立場がなく、仕事も決まってなくて泣けるときもある。

かけ出しならいざ知らず、キャリアや能力があっても立場がないってそりゃあ ギャップが大変よ。

でも 今 考えている。

これからは一匹狼で行こう。 自由で わたしらしい。

「クリニック」という砦がなくても。病院の常勤医として守られている、ということがなくても。

一生、こんなに真剣に丁寧に仕事をしてきたんだもの。

こんなに 自分らしく仕事をしたいと願い、転身に転身を重ねて、自分らしい居場所をさがしてきたんだもの。

一日きざみで 働く場を変えようと、そして 毎日が戦場に赴くみたいその日かぎりであろうと。

その日一日の仕事が 自分で納得のいくものなら、その先には きっと 何かがある。

先日、ある病院の精神科のドクターが うつ病で入院してきた。原因は精神的ストレスと過労だ。

精神科医という仕事は精神的にハードなのだが、わたしは 健康を維持して長く続けたいと思っているので

毎日工夫を重ね、クールに自分を見つめ、自分をコントロールする日が続く。

「これで良し」という日は訪れないかもしれないが、それが「生きている」ということだ。