夫婦とは、たった⼀つしかない椅⼦を取り合いっこする営みである、と⾔ったのは⼩説家の⽥辺聖⼦です。
つまり、どちらかが先に「私、働かない」と宣⾔すれば、もう⽚⽅が⼀⽣働かねばなりません。
⽚⽅が「俺、料理は苦⼿」と⾔えば、もう⼀⽅が⼀⽣キッチンに⽴つことになります。
お⾦の管理しかり、⼦育てしかり、先に椅⼦に座った者勝ちの世界です。
理屈もなにもあったものではありません。
⼆⼈の暮らしに、椅⼦が1個しかないというのは実に激しい現実です(笑)。
そして⼆⼈の役割は結婚当初の「椅⼦取り合い合戦」で固定されたまま、何⼗年と続くのです。そんなこと、考えたことありましたか?
それがいろんな病理を⽣みます。(最近は、殺人事件にまで発展することもありますね)
認知症もその⼀つといえるかもしれません。
それは⽚⽅がやり過ぎると⽚⽅がやらなくなる。⽚⽅がわがままになると⽚⽅が我慢する。たったそれだけのシンプルな法則です。
そしてやらなくなる⽅は、能⼒がどんどん落ちていく、という事実です。
A⼦さんは77歳。68歳まで勤め続けました。しかしどんなに良いことでもパターン化してしまえば、脳への刺激にはなりません。
⼀⽅、ご主⼈は家計管理、書類関係などに⼏帳⾯で、仕事の傍らA⼦さんを⽀えたのでした。「できた優しいご主⼈ね」と⾔われ続けたといいます。
しかし数年前、ご主⼈が病に倒れて亡くなったのでした。
⾯倒なことをすべて夫に任せてきたA⼦さんは、混乱し茫然としていましたが、間もなく認知症の兆しが出始めました。
A⼦さんの認知症は⻑い年⽉をかけて、ご主⼈が育ててきたともいえるのです。
優しいはずのご主⼈が、A⼦さんの能⼒を奪い続けていたとは何と残酷な話ではないでしょうか。
でも、夫婦がお互いに相⼿の能⼒を奪い続けた結果、より奪われた⽅が認知症になったケースは多くみられます。
誤解しないでほしいのですよ、優しさが悪いわけではないのです。また夫婦の役割分担は合理的だし互いに好都合だと思います。相⼿の領域に踏みこまず、少し距離を置いて喧嘩を避けるやり⽅は賢明でもあります。
ここがポイント!
しかし、⼈としての成⻑や頭の訓練という観点から⾒たらどうでしょう。性格や能⼒の違う⼆⼈だからこそ、喧嘩や葛藤を通じて成⻑できるのが夫婦ではないでしょうか。
⼀⽅が相⼿に遠慮して気遣うあまり、相⼿の⽋点がむしろ増⻑されていると感じる場合もあります。
相手に無頓着になっている。相手との険悪な雰囲気をただただ避けている、などなど。
相⼿の顔⾊をうかがい、出来上がったパターンを崩すことを恐れると、互いの⽋点が修正されないまま増⻑し、加齢によってエスカレートしたり、能⼒が衰えたりするのかもしれません。
固定化された夫婦の役割を⾒直し、交代を検討してみてはどうだでしょう。
また苦⼿だと思って避けてきたことをやってみることで、眠っていた能⼒が⽬覚めた例は年齢に関係なくしばしば⾒られることです。
さあ、あなたは今⽇から、何に挑戦してみますか。