⼈⽣には何が起こるか分からないものです。
あなたは普段からそのことを、どのくらい⾃覚しているおられるでしょうか。
先⽇、私の先輩である医師が愛する娘さんを亡くされました。
娘さんも素晴らしい医師として活躍されていた中での突然の出来事でした。
彼の悲しみようはとても⾒ていられないほどでした。
実は10年前、私も同じ体験をしました。
⼦どもたちの無病息災を祈っている⼀⽅で「うちだけは⼤丈夫」という根拠のない安⼼感があったかもしれません。
まさか、自分の子が・・・とは誰もが思っていることです。
しかし、ある幸せな⽇曜⽇の朝、息⼦が事故で亡くなった知らせを受けたのでした。
わたしは突然奈落の底につき落とされてしまいました。
⼈⽣には“落とし⽳”があって、いつ誰がそこに落ちても不思議ではないのでしょう。つくづくそれを思い知らされたのです。
でも誰でもそれくらいの覚悟をしておいたほうがいいし、また、だからこそ平凡な⽇々の有り難さが⾝に沁みるのだと思います。
滋賀に⽣まれ育った私の⽗も号泣するほどの悲しみの淵に落ちたことがあります。
91歳の夏、頼りきっていた妻が病気で急死すると、亡骸を前になりふり構わず号泣し続けたのでした。
悲しみと絶望から酒に溺れ、怒鳴ったり、失態を演じたりするようになりました。
品格のあった⽗とはとても思えない⾔動が進み、⼭梨に住む私の元に嫌々連れてこられることになったのです。
つらかったことと思います。
誰もが思うでしょう。
「90歳を過ぎるまで幸せに暮らしてきたのだもの、悲しみや絶望かも、もう無縁だろう」と。
でも⼈⽣の落とし⽳に年齢は関係ないことの過酷さを知ったのでした。
最後は⼩さなグループホームでお世話になり、1⽇1合のお酒を楽しみつつ落ち着いた暮らしを取り戻すようになりました。
⼣⽅になると⼥性職員に「家族が待ってるだろう。早く帰ってやれよ」と声をかける優しさがあったと聞いています。
やがて私の顔も分別がつかなくなっていましたが、最期まで品格だけは崩れなかったように思います。
落とし⽳にいったん⾜をとられましたが、⾒事にそこを乗り越えた⼈の⼈⽣は、さらに輝くことを⾒せてもらったと思っています。
最近、ニュースで⾒るような事件や災害、世の中で起こるすべてのことは、あなたにも起きうることです。
しかし、⼈⽣の落とし⽳は、必ずしも⼈を不幸のどん底につき落とすだけのものではないと思っています。
それは⽣きている以上避けられないものであり、私たちがふたたび這い上がって成⻑するきっかけとなり得るのだと私は信じたいのです。