孤独死

友人がちょっと重い病気にかかりました。

遠くに住んでいる息子さんが心配して、一緒に住もうと言ってくれるそうです。

家族思いで 家族のために生きてきたような彼女ですから、当然同居を選ぶと思っていました。

けれど、彼女の口からは意外な答えがかえってきました。

自分は孤独死を選ぶって言うんです、同居しないって。

先日95歳で亡くなった彼女のお母さんは、ずっと彼女と同居していました。

お母さんの最期は、彼女と隣あわせで寝ている最中に自然死のように亡くなったんです。

なんてしわあせなこと・みんなが そう感じていた矢先だったから 彼女の選択は意外です。

でも彼女はお母さんの一生を見ていて、そう 決断したんだそうです。

経験しない者にはわからないことが、いっぱいあるんですね。

彼女は哲学者なので、死についての考え方が わたしとは違うんです。

医師は 生かすことが仕事ですから、いかに死ぬかなんて 考えません。

でも ぜんぜん立場の違う人から「自分は 孤独死を選ぶわ」って 言われたとき。

そりゃあ、彼女だって どうせ孤独死になんかならないわ、って言うのは カンタン。

でも、そういう考え方があるのだと思い、気概があるのだと思うだけで 心が広がる気がする。

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先日、新聞にこんな話が載っていました。

ある有名だったアナウンサーが 90才近くで タバコによる火事で自宅で焼死された事件。

彼は離婚して 妻と2人の娘とは とうの昔に別居。

アナウンサーをやめてからも ずっと東京でひとり暮らしだったそうです。

娘さんとは行き来がなく、亡くなったあと、娘さんは 父親の孤独な最期を思い、胸を痛めたとか。

ところがどっこい。

その彼には、最期まで 趣味の付き合いで仲間がいて、とても親しまれ尊敬されていて、ということを

亡くなったあと、知ることになったそうです。

世間から見たら孤独でさびしい晩年。

でも彼の心は最期まで 自立心にあふれ 輝いていたことを知った娘さんの話でした。

ひとり暮らしというと「さびしいでしょう」「かわいそう」と思うのが 人の常。

あさはかな私たちのこころは「家族の近くで」また「子供たちと一緒に」暮らすことを

しあわせと考える風潮があるけれど、そんなのは 風潮に過ぎない。

まさか子供たちの手前「わたしはさびしかった」なんて口が裂けても言いたくない、

思いたくないってのが、親心ってものでしょう。

「ありがとう」って死んでいくのが穏便でかわいい年よりって決められているから。

だけど、 しあわせは人が決めるモンじゃない。

「孤独だったけど、しあわせだったわ」と思える人生も なかなかのものじゃないかとわたしは思う。

 年とったら子供の近くに行かないとマズイかなあと思っていたわたしだったけど、

彼女と話しているうちに、なんだか気分がすっきりしてきた。

人に気を使い、こころがどこかナイーブで優しい面があるわたしは(自分で言うのだから

間違っているかもしれないが)

人に気を使わなくてもいい気ままな暮らしのほうが合っていると思う。

いずれは地域のお世話になり、孤独死する生き方を目ざすことにしよう。