わたしは、人生の目的はしあわせになることだと思っていた。
しかし「悩む力」という、今売れている本を書いている作家が雑誌に出ていたので読んでいたら
「人生の目的はしあわせになることではない」という。
しあわせなんていうものは、美味しいものを食べたとき、美しい景色を見たとき、友人と楽しく
語らったとき、そんなささやかなことの積み重ねで得られるものだ。
人生の目的は、そんなささやかなしあわせを目的とするのではなく、「生きている意味」を
それぞれが求めることだという。
わかったような、わからないような話である。
「悩む力」などという本がよく売れる理由も私にはわからない(といっても私も買ったのだが)
私がその本を買ったのは、何か講演のヒントにならないかと思って。
わたしは、自分が生きている意味を求めて、辛い仕事だと思いつつ、毎日診療を続けている。
それだけに飽きたりなくて、講演をしたり原稿を書いたりして、苦しんでいる。
お金にもならず、苦労も承知で、そんな余計なことをしている理由は、人生に意味を求めているのかも
しれない。
また、こんなブログを続けているのも、人生に意味を求めているせいかもしれない。
精神科医などという仕事は、誰にでもできるものではないし、続けられるものではない。
だから そういうすべてを考えあわせれば十二分に、人生の意味をもとめている、それを果たしていると思う。
だけど、それがしあわせかというと又別である。
わたしは、人生の目的は やっぱり しあわせになることだと思う。
人生に目的を見出したい、意味を見出したい。生きた証を見つけたい。
そう思えばそうすればいい。自然にそういう風になっていればそれでいい。
だけど、ささやかなことにしあわせを見つけることも能力のいることだ。
「人生に意味を求める」などという うさんくさい考えはきらいだ。
わたしの講演では「悩むことは人生の必須事項だ」という内容なんだけど、でもその目的は
人がしあわせになるためである。
機嫌よく暮らし、楽しいと思う時間を持ち、なかなかしあわせな人生ジャン!と思えるように
生きることは、十分に人生の目的になると思う。