脳の可能性

今日、職場に行きましたら

「先生、よくこの雪の中を運転してきたね。私は夫に送り迎えしてもらってるよ」

わたしよりはるかに若い看護婦さんが、そう話しかけてきました。

彼女の家は病院から30分、なのにわたしは一時間もかかります。それも毎日です。

わたしは雪国の出身なので、雪道には慣れてはいます。

でも、それ以上に脳の可能性を信じているので、どんなことでも少しづつ少しづつ慣らしていけば
出来るようになることを信じた結果です。

脳の可能性を信じるようになったのは、囲碁を習った時からです。

40才のとき囲碁をゼロからはじめ、毎日やっていたら10年後に3段までなりました。

我ながら「すごい!」と思い、その経験が一生の財産になりました。

その後、50歳をすぎてピアノをやったときも、毎日やっていたら弾けるようになりました。

数年前には、ゼッタイ無理と思った高速道路の運転を 毎日毎日3ケ月続けたとき
「あ、運転できる」という瞬間がおとずれました。

普通だったら 3ケ月もの間、手に汗して こわくてくわくて・・・・・という状況ならあきらめるでしょう。

でもわたしは必要性を感じたし、できると信じていたので 3ケ月 汗をかき続けました。

自分は鈍いので 普通の人ならやれることでも時間がかかるのです。それは仕方ありません。

どんな苦手なことも「続けるだけで」 やれるようになります。

要は 続けることを決心するかどうかだけです。

今、思い出しましたが、囲碁をやるはるか以前、35歳で スキーをはじめた時。

とにかくこわくてこわくて 悲鳴ばかりあげていたのに シーズンに20回くらい通って
レッスンを受けたら 2年くらいで 子供たちと一緒にすべれるようになりました。

そうそう。医学部を受験したときも、塾も家庭教師もいない 田舎の高校で普通の授業を受けただけで
すんなりと受かりました。
すごく頭が良かったわけではなく、他にすることもないまじめな子供だったので ただただ毎日
日課のように机に座っていただけ、が 効果的だったんだと思う。

こつこつ続けるだけで何事も成就できます。

今、こつこつ続けて成就をねらっていること、それは 暮らしの中でやれる体操。

ずっと働いているためには、からだが資本。

特別の習い事や散歩などの時間がとれないので
暮らしの中にからだを動かす体操をとりいれたら からだが鍛えられるのではないかと思っています。

毎日 こつこつと続けることで ずっと仕事が続けられるからだを作りたいと思っています。

きっと何事も、特別の教室などに通うより、とにかく「毎日、短時間でも続ける」ほうが

みのりは大きいと思います。

脳は だれにとっても、すごい可能性を秘めていると思います。