先日書いた「脳の可能性」は、とても反響がありました。
「励まされた」「わたしも何かつづけたい」という感想が一番多く、
二番目が反対に「わたしはそんなにがんばらない、気楽に生きていこうじゃないの」という感想でした。
ところが、今日、継続のコツを教えられる出来事がありました。
今日診察した50歳の女性のお母さんは、80歳のちょっと手前。
娘さんの診察にともなって来られました。
そのお母さんがふと「わたしはピアノを続けているので。。。。。」とおっしゃる言葉を
わたしは聞きのがしまんでした。
診察が終わってトイレに行くと、ばったりそのお母さんと出くわしたので、思わず
お母さんに「さっき、ピアノっていいました?」と聞きました。
「そう、ピアノです。40歳代で始めて、30年習っています」
「習いに行くのは月に一回。でも30年、休みなしです」
「楽しくて楽しくて。娘もわたしのように、うちこめるものがあれがいいのですが」
「乙女の祈りも下手ですが、弾けますよ」
わたしは感嘆しました。
なぜかというと、7年前にピアノを始めたわたしですが、しょっちゅうやめてしまいます。
やめて再開し、再開したけどやめ、やめたけど再開し、でもまたやめてしまい・・・・・・・
今では再開する自信もない。
といいながらまた再開し・・・・・・・・・・それほどの未練がありながら続けられません。
素人で30年も続けるなんて 並大抵のことではありません。
その女性とわたしの違いは何でしょうか。
今日はそのことについて考察します。
☆ ☆ ☆
7年前に結婚したときに、夫の趣味は 水泳とピアノでした。
夫はピアノを20年、水泳を15年続けています。
わたしは水泳はダイキライでしたが、ピアノは以前から関心があったので影響されて
ピアノを習うことにしたのです。
さて、好きだったピアノは、ものすごい情熱で習いました、当然上達もしました。
しかし、習慣になって、快感ホルモンが出る前にやめてしまいました。
もうひとつの水泳は、夫が週3回プールへ行くので、しぶしぶプールに
ついて行くことになりました。泳げないのでプールを歩くのです。
夜、ひとりで家に残されたくなかったし、プールのあとの温泉も魅力だったから。
3年くらいは いやいやしぶしぶだったので、理由をつけては休んでいました。
ところがそのうち、一ケ月も休むと 夫から催促されます。
家に残っていても、ダラダラ過ごすだけだってわかってきます。
なんとなく体調も悪くなります。なんか「やっぱり行こうかなあ」となってしまう。
プールに行っているほうが都合がいいんですね。で、再開してつづけます。
そうこうしているうち、7年たった今では プールやジムがすっかり快感になってしまい、
生活の一部になってしまったんです。やめるなんて考えられません。
せっせと週3回、夫と一緒に通い続けている始末。
大好きだったはずのピアノが続けられず、きらいだったプール通いが7年も続いている。
それはなぜでしょうか。
☆ ☆ ☆
答えはカンタン。
それは「プールはただただ続けたから」です。
そんな答えはおかしいよ、って思いますか? 続けるコツを聞きたいのに、って。
けれど、患者さんの80才の女性にしても、夫にしても口をそろえて言うんです。
「やると決めたらただただやるだけ。たったそれだけ」って。
くらべてわたしときたら「今日は行こうかやめようか」
「本当に上手になるだろうか、ならないだろうか」
「こんなこと意味があるかしら、ないかしら」
「上手になるのはどうしたらいいだろうか」
「今日は忙しいから、明日こそ、あさってこそ」
余計なことを考えすぎるんですね。続ける人って何にも余計なこと、考えていないんです。
やると決めたら迷わずやる。
やることが都合が良くなるまで、快感になるまで、とにかくやる。
どんなに好きなことでも、最初の間はただだだ続けなければだめです。
そうやっているうちに、快感になってきたり、依存になってしまう。
そこまでいったらシメタもの。
続けるって 一種の「依存症」ではないでしょうか。
何かを続けるって、タバコや酒やコーヒーをやめられないのと同じ。
一種の依存に陥るってこと。
そう、何かを続けるコツは、それが習慣となるまでは、何も考えず、ただただ
続けることに専念する。
どんなに好きなことでも、
「続ける」と決心し
「続けられる条件を整え」
「ただただ続ける」
そうしなけれが続けられません。
キー ワードは 「依存」です。
☆ ☆ ☆
何かを続けることって大変といえば大変。マ そこまでしなくてもね。お気楽にいけばいいのでは。
そう考える人がいても不思議ではない。
何かを続けるということは 時間もとる、エネルギーもいる。時にはお金も。
何かを続けるってことは、別の何かをあきらめるっていうこと。
それもさびしいじゃあないですか、ねぇ・・・・・
だから飽きっぽいと言われようとなんのその、いろんなことに手を出し、好奇心を満たし、
でもすぐ飽きてしまってまた別のことに手を出し、それにも飽きて何かを探し・・・・
という暮らしもわたし的には好きです。
囲碁にめぐりあったとき、子供が言いました。
「お母さんって 何と飽きっぽいと思っていたけど、好きになれることをずっとさがしていたんだね」
涙が出ましたよ、周囲から「飽きっぽい人」という烙印を押されていた私に、
さすが子供ですね、 お母さんを見つけめるまなざしはどこまでも温かい。
というわけで、何かを続けても 続けなくても 人生はしあわせになれると思いますが、
次回は「続けることの意味」=「依存」について 書きます。