中学二年生・講演・その5

ちょっとひるみましたが、温かいコメントなどをいただき、
そのまま続けました。
まず自分の中で整理するために。

一才をすぎた子供にとって、つぎの課題は排泄です。
ウンチやおしっこをもらさないことはとても大事なことです。
これは筋肉や神経が発達していればいずれ誰でも出来るようになります。
訓練をやらない民族もあるのですが、日本人はかなり神経質にやる民族です。
ただその訓練がどういう風におこなわれたか、
などということを普通は誰も母も子も覚えていないでしょう。

わたしが今話していることはすべて「こころの基礎工事」です。

家を建てるときには地下何メートルまで掘って、どれだけコンクリートを
入れたかなど、基礎工事のやり方で家の丈夫さが決まります。
だけど建ったとたん、基礎工事は見えなくなります。
家にとって一番大切な部分が実は見えない仕組みです。

心もそれととても似ています。

「心の基礎工事」はお母さんによって大部分を幼児の間に行われますが、
誰も覚えていない隠れた部分です。

トイレのしつけひとつとっても、心理的にはとても意味のある行為だと
言われています。

子供のこころは、お母さんをいかに喜ばせるか、そのことに心をくだく
過程が「こころが発達するプロセス」になるよう仕組まれています。

人見知りなどというものも、お母さんを喜ばせることこの上ない行為です。
赤ちゃんはそれを自然にやるなかで、一生懸命子供を育てている
母親を喜ばせ、同時に笑顔が人を喜ばせるという社会性まで
身につけてしまいます。

排泄に関しては、もっとお母さんを喜ばせます。
お母さんとの関係が良好であるなら、お母さんの喜ぶ顔をみたい一心で
がんばって訓練にのぞむでしょう。
お母さんとの関係が良好でないなら、お母さんを困らせたくなります。
失敗すればすればするほど、おかあさんはこまります。 

もちろん赤ちゃんが意識してそのようなことをやるわけではありません。
自然にそうなってしまうのです。

このパターンは、赤ちゃんとお母さんとの関係だけにとどまらず、
対人関係のパターンとして社会の中に入っても
繰り返されるようになります。

人が社会性を持った存在になれるかどうかに関係してきます。
いろんな人との関係の中で自分をさらけ出したり、こころを開けたり。
本来ならさらけ出さないような部分でもさらけだして、一緒に喜んだり、
悲しんだりできるか。

あるいは自分の殻にこもったまま、あまり社会の中で自分をさらけ出す
ことをしない人として生きていくか。

どんな証拠があるんだ、と言われそうですが。

しかし、赤ちゃんを見ていますと、普通で想像する以上に、
赤ちゃんはこころを持っています。

たとえばとてもいい子で育ち、トイレ訓練もスムーズに行った子が
社会性を獲得するのも早いかというと、そうでもないんです。
後々、母親に暴力をふるうようになった子供のケースもありました。

なぜ、というのはわかりませんが、たとえばお母さんの強硬さに負けた。
つまり子供のほうで身を引いた、ということも十分考えられます。
人間というのは、どこかで必ず帳尻を合わせるようになっています。

あるいは「困難をきわめた」という幼児がいました。
困ったお母さんが、あの手この手で工夫したのです。
その工夫した、努力した、という心そのものが子供に伝わって、
結果オーライとなったりします。

人間のこころは尊いのは「結果」ではありません。
どれだけ関わって、どれだけ心をくだいたか、なんです。

そうです、「いい」とか「悪い」とか一面的に見れないのが心です。

そして。赤ちゃんがあの手この手で、お母さんを喜ばせたり
困らせたりする様子は、
わたしたち大人になった人たちも、
日常の暮らしの中で繰り返し使っている
同じ手口なんです。

そうしてこころの基礎工事はこうやってまだまだ続くことになります。

さて、そんなある日、とんでもない事態がおきました。
わが家は夫婦ふたりの暮らしです。
夫は会社に行って働いています。
わたしは家にいて、毎日ご馳走をつくって夫の帰りを今か今かと
待っているのです。

と、ある日のこと。
夫がきれいで若い女性を伴って帰宅したのです。
そして言い放ったのでした。

「今日からこの女性がこの家に住むことになりました。
僕は彼女を愛しているのです。あなたもこの方に優しくしてね」
わたしはびっくり。寝耳に水。
「はい、そうですか、どうぞ、どうぞ」というわけにはいきません。
怒ったり泣いたり大騒ぎとなりました。

弟や妹の生まれた三才の子供も。
こういう人生の悲哀をもはや避け難いものとして体験しているわけです。
その不条理な状況を誰も救うことはできません。
子供が自分で処理するしかないのです。

お父さんとお母さんが喧嘩をしたり。
兄弟喧嘩が始まったり。
いろんなことがあります。

そして「心の基礎工事」に3年。
家を建てて「10年。」
立派なおうちが建ちました。
もう大丈夫かな。

雨もりがしたり、壁がこわれたりはするでしょう。
でも倒れることはないだろう。

そのおうちから、お父さんとお母さん、そろそろ出ていくよ、やれやれ。
それが今の時期。

それが、今のあなた方の置かれた状況です。