心と体

人間の体は、無数の細胞で成り立っている。

「心の細胞」というのはない。

こころの細胞は「脳」にあると思うかもしれないが、脳というのは体の細胞だ。

だから 「脳」という体の細胞が すなわち こころを作っているということ。

だから こころと体は切りはなすことが出来ない。

こころが疲れているとき、体に働きかけるといいのは そのせいだろうか。

       ☆      ☆      ☆

さて、うつ病などのように、こころが病的に疲れているときには、体も休ませたほうがいい。

心が病的に疲れていると、それは 体の細胞も疲れはてているということだから。

 でも 病的な疲れでない場合には、細胞が疲れはてているというより

バランスが悪くなっているだけだから、

体を動かしたほうがよい。

       ☆    ☆    ☆

そんなことを考えたには理由がある。

仕事のストレスでこころが疲れているな、と感じたからだ。

 多分、バランスが悪くなっているのだろうから体を動かしたほうがいいのだろうな。

そんなことを考えながら、家の掃除などをやってみた。

仕事の中で、こころと頭はしっかり使わせてもらっているという人は、

できるだけ、普段の暮らしの中では 体を使ったほうがいいと思う。

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窓から外を見ると 

青い空が広がっている。

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雪道

 雪が降ると、難儀だなあとは思うけど、

次の日、からっと晴れて 雪道を車を走らせるとき

雪も景色もきらきら輝いて

こころから「美しい!」と思います。

雪が降ると、変わりばえのない人間の暮らしにドラマが生まれ、

家族や地域の人々が一体となって、声をかけあったり助けあったりするので

雪の雰囲気は好きです。

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脳の可能性

今日、職場に行きましたら

「先生、よくこの雪の中を運転してきたね。私は夫に送り迎えしてもらってるよ」

わたしよりはるかに若い看護婦さんが、そう話しかけてきました。

彼女の家は病院から30分、なのにわたしは一時間もかかります。それも毎日です。

わたしは雪国の出身なので、雪道には慣れてはいます。

でも、それ以上に脳の可能性を信じているので、どんなことでも少しづつ少しづつ慣らしていけば
出来るようになることを信じた結果です。

脳の可能性を信じるようになったのは、囲碁を習った時からです。

40才のとき囲碁をゼロからはじめ、毎日やっていたら10年後に3段までなりました。

我ながら「すごい!」と思い、その経験が一生の財産になりました。

その後、50歳をすぎてピアノをやったときも、毎日やっていたら弾けるようになりました。

数年前には、ゼッタイ無理と思った高速道路の運転を 毎日毎日3ケ月続けたとき
「あ、運転できる」という瞬間がおとずれました。

普通だったら 3ケ月もの間、手に汗して こわくてくわくて・・・・・という状況ならあきらめるでしょう。

でもわたしは必要性を感じたし、できると信じていたので 3ケ月 汗をかき続けました。

自分は鈍いので 普通の人ならやれることでも時間がかかるのです。それは仕方ありません。

どんな苦手なことも「続けるだけで」 やれるようになります。

要は 続けることを決心するかどうかだけです。

今、思い出しましたが、囲碁をやるはるか以前、35歳で スキーをはじめた時。

とにかくこわくてこわくて 悲鳴ばかりあげていたのに シーズンに20回くらい通って
レッスンを受けたら 2年くらいで 子供たちと一緒にすべれるようになりました。

そうそう。医学部を受験したときも、塾も家庭教師もいない 田舎の高校で普通の授業を受けただけで
すんなりと受かりました。
すごく頭が良かったわけではなく、他にすることもないまじめな子供だったので ただただ毎日
日課のように机に座っていただけ、が 効果的だったんだと思う。

こつこつ続けるだけで何事も成就できます。

今、こつこつ続けて成就をねらっていること、それは 暮らしの中でやれる体操。

ずっと働いているためには、からだが資本。

特別の習い事や散歩などの時間がとれないので
暮らしの中にからだを動かす体操をとりいれたら からだが鍛えられるのではないかと思っています。

毎日 こつこつと続けることで ずっと仕事が続けられるからだを作りたいと思っています。

きっと何事も、特別の教室などに通うより、とにかく「毎日、短時間でも続ける」ほうが

みのりは大きいと思います。

脳は だれにとっても、すごい可能性を秘めていると思います。
 

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休日の朝

忙しい日々の暮らしの中で

今日は久しぶりにゆっくりと朝食をとった。

朝は食欲がないので、できるだけきれいな色で、と思っています。

イチゴは自家製です。

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独立で得るもの、失うもの

知人が55歳で会社をやめ、趣味を仕事にして独立した。
仕事は順調、マイペースでいかにも楽しそうである。
それでも彼は「組織にいたほうが楽しかった」という。
それを聞いて、思うことがある。

医師というのもまた、誰もが開業を夢みる職業のひとつだ。
開業したいと一度も夢見ない医師は少ないのではないか。
わたしもそのひとり。15年前から10年くらい、開業していた。

家庭の事情で再び勤務医になって、7年。

両方やってみて思うこと「勤務医のほうが面白い」ということ。

組織にいるということは、開業しているよりはるかに大変なことが多い。
そもそも大変なことが多いから、独立したくなるのだから。
でも苦労の種が、一番の喜びの種であることは、「不肖の子が一番かわいい」
ということわざからもうかがえる。
組織というのは「やめたくなる」ほどの大変さがまた、 楽しみの種なのだ。

たとえば、たくさんの人に囲まれていろんな刺激を受ける。
つぎつぎと難題がふりかかり、みんなでワイワイとこなしていくうちに、人の情にも触れる。
ひとりやふたりで仕事をしていると味わえない楽しみだ。

両方やったから初めてわかることだけど、

「会社」って大変だけど、面白い。

今、医師が100人近くもいる大きな病院で働いていて、困難は絶えず訪れるし、
我慢しなければいけないことも はるかに多いのだけど、
「刺激がある」という一点でもって やはりひとりで仕事しているより楽しいと感じている。

どんなに情報が発達する世の中になっても、
人が人から受ける刺激や情報以上のものはないのではないだろうか。

わたしの目標、それは「組織の中にあって自分らしさを発揮すること」

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ブログでデトックス

一年ぶりでマイ ブログを再開しました。
誰にも教えていないので、見ている人は多分、ほんの数名のはず。
でも、誰か見つけてくれるかな、というひそかな楽しみもあります。

毎日毎日、診察に明け暮れています。
そこでは 人の話を聞くばかり。どんどん何かが溜まっていく・・・・・・・

だから自分は自分でデトックスしないと自分がだめになるの。

最初はね、エッセイでをまとめて本を出したい、その場としてブログを考えていたの。
でも、今は違う。
ただただ デトックス(笑)

パソコンの先生がね。
「こころのエッセイと暮らしのあれこれは 別のブログにしなさい」って言うの。

でも考えてみたら、このブログはわたし自身を表現する場。
わたしの頭の中には、いろんなことがゴチャゴチャまざっているから
ひとつのブログの中に エッセイあり 景色あり、料理あり、自分史あり。
それでいいと決めたの。

何かを発信したいという目的というより
わたしが唯一「ひとり」になって、自分のこころと対話するための場。
だから夫も子供たちも、わたしの近しい友人たちも仕事の仲間もこのブログ、知らないの。

「夫がね、家内がね、子供がね、孫がね・・・・・」って言う話ならカンタン。

ごめん。大事なことだと思うよ、だれにとっても家族って。
でもね。それって相手が聞きたいこととはかぎらないって知ってる?
「あなたは何を考え、あなたはどうしたいの?」って聞き返したくなる。

 何を感じ、考え、どう生きる人なのかを語れる人でありたい。

とは言っても、日記と違って、「読者」がいてこそのブログ。
読んでくださったあなたに感謝しています。

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②精神科医になるまで

医学部に入学したものの、医師になりたい!と具体的にイメージして入ったわけでなかった私。
そのころ、手塚 治が医学部出身だと知り、医学部に入っても漫画家にだってなれるんだ、
と気持ちの中に安心感がありました。

ここで書くのは恥ずかしいのですが、中学生のころ「キュリー夫人伝」を読み、研究者に
憧れがありました。

そこで卒業してすぐ、基礎医学の研究室に入りました。
半年ほど通いましたが、「自分には合わない」と思ってやめました。
一日中、顕微鏡をのぞく仕事は退屈でだめでした。
また 教授以下数名の狭い世界は、わたしには封建的に見えて、一生をこんな狭い
世界の中で生きるのはいやだ、と思いました。

やっぱり臨床医しかないか、と思ったものの・・・・・・・・・・・・
体力的に医師を続ける自信がありません。
見かけによらず、からだが弱いのです。
また 手が不器用です。医師は器用さがぜったい必要な職業です。

小児科のベッドサイド研修で、赤ちゃんをうまく抱くことができず
男性医師から「女性のくせに・・・」という視線で見られて傷ついてしまいました。
注射の練習をしても下手でしたので、自信をなくしました。

外科医にでもなろうものなら、おなかの中に鋏を忘れてしまうのではないかという
恐怖感にとらわれそうで。

内科医だって、いろんな検査があります。
眼科や耳鼻科や皮膚科だって 手が器用でないとつとまりません。
そんなこと、医学部を受験する段階では知らないことでした。
医学部に入ってからも、卒業するまで知らないことでした。

手を使わなくていいこと。夜中にしょっちゅう起こされなくてもいいこと。
それは精神科しかなかったのです。

憧れだった研究者はだめだった。
臨床医も、体力と手の器用さ、そして 徹夜できるくらいの強靭な精神とからだ。
医師に要求されるのは、そういうものです。

でも、わたしにはすべて自信がなく、消去法で選んだ道が、精神科でした。

このころから「好きな道を進む」というより「いやだと思うこと、合わないと思うことはしない」
というのが、進む道を決めるわたしのやり方のように思います。

精神科医としてのスタートは、25才の秋でした。

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