ブログでデトックス

一年ぶりでマイ ブログを再開しました。
誰にも教えていないので、見ている人は多分、ほんの数名のはず。
でも、誰か見つけてくれるかな、というひそかな楽しみもあります。

毎日毎日、診察に明け暮れています。
そこでは 人の話を聞くばかり。どんどん何かが溜まっていく・・・・・・・

だから自分は自分でデトックスしないと自分がだめになるの。

最初はね、エッセイでをまとめて本を出したい、その場としてブログを考えていたの。
でも、今は違う。
ただただ デトックス(笑)

パソコンの先生がね。
「こころのエッセイと暮らしのあれこれは 別のブログにしなさい」って言うの。

でも考えてみたら、このブログはわたし自身を表現する場。
わたしの頭の中には、いろんなことがゴチャゴチャまざっているから
ひとつのブログの中に エッセイあり 景色あり、料理あり、自分史あり。
それでいいと決めたの。

何かを発信したいという目的というより
わたしが唯一「ひとり」になって、自分のこころと対話するための場。
だから夫も子供たちも、わたしの近しい友人たちも仕事の仲間もこのブログ、知らないの。

「夫がね、家内がね、子供がね、孫がね・・・・・」って言う話ならカンタン。

ごめん。大事なことだと思うよ、だれにとっても家族って。
でもね。それって相手が聞きたいこととはかぎらないって知ってる?
「あなたは何を考え、あなたはどうしたいの?」って聞き返したくなる。

 何を感じ、考え、どう生きる人なのかを語れる人でありたい。

とは言っても、日記と違って、「読者」がいてこそのブログ。
読んでくださったあなたに感謝しています。

わたし流しあわせの見つけ方

②精神科医になるまで

医学部に入学したものの、医師になりたい!と具体的にイメージして入ったわけでなかった私。
そのころ、手塚 治が医学部出身だと知り、医学部に入っても漫画家にだってなれるんだ、
と気持ちの中に安心感がありました。

ここで書くのは恥ずかしいのですが、中学生のころ「キュリー夫人伝」を読み、研究者に
憧れがありました。

そこで卒業してすぐ、基礎医学の研究室に入りました。
半年ほど通いましたが、「自分には合わない」と思ってやめました。
一日中、顕微鏡をのぞく仕事は退屈でだめでした。
また 教授以下数名の狭い世界は、わたしには封建的に見えて、一生をこんな狭い
世界の中で生きるのはいやだ、と思いました。

やっぱり臨床医しかないか、と思ったものの・・・・・・・・・・・・
体力的に医師を続ける自信がありません。
見かけによらず、からだが弱いのです。
また 手が不器用です。医師は器用さがぜったい必要な職業です。

小児科のベッドサイド研修で、赤ちゃんをうまく抱くことができず
男性医師から「女性のくせに・・・」という視線で見られて傷ついてしまいました。
注射の練習をしても下手でしたので、自信をなくしました。

外科医にでもなろうものなら、おなかの中に鋏を忘れてしまうのではないかという
恐怖感にとらわれそうで。

内科医だって、いろんな検査があります。
眼科や耳鼻科や皮膚科だって 手が器用でないとつとまりません。
そんなこと、医学部を受験する段階では知らないことでした。
医学部に入ってからも、卒業するまで知らないことでした。

手を使わなくていいこと。夜中にしょっちゅう起こされなくてもいいこと。
それは精神科しかなかったのです。

憧れだった研究者はだめだった。
臨床医も、体力と手の器用さ、そして 徹夜できるくらいの強靭な精神とからだ。
医師に要求されるのは、そういうものです。

でも、わたしにはすべて自信がなく、消去法で選んだ道が、精神科でした。

このころから「好きな道を進む」というより「いやだと思うこと、合わないと思うことはしない」
というのが、進む道を決めるわたしのやり方のように思います。

精神科医としてのスタートは、25才の秋でした。

わたし流しあわせの見つけ方

卵と野菜のあんかけ

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帰宅して冷蔵庫を開けたら、野菜の残りがちょっぴりしかない。
白菜と えのき そして大根が少しづつ。

う~ん、何をつくろう・・・・・
そうだ、たまごを使って。

ねぎと蟹缶で卵焼きをつくり、野菜あんをかけたら
あっという間においしい一皿ができました。

わたし流しあわせの見つけ方

お金とこころはセットです。

お金とこころもセットになっています。

精神を診る医者だから、お金のことなんかそれほど気にしないでしょ?って
思うかもしれない。

でもこれは私の考えなんですが、お金ほど心に影響を与えるものは他には
ないと思います。

患者さんを診ていて「食べたくない」とかの訴えがあるとします。

どんなものが好きなの?
だれが作っているの?
どこで買い物するの?
お金は十分にある?

とかそういう現実的なことを聞くことがあります。

私自身、ふだん現実の暮らしをしているわけだし、どんなにカッコいいこと言ってたって、それだけじゃ生きていけない。

そうすると 必然的に 患者さんの金銭的な面があらわになっていくこともあります。

「食べたくない」って 一言に言うっても、

お金があるのとないのとじゃあ 話が違ってきます。

愛情とか優しさも お金に影響されます。
すごく影響されるってこと 知ってました?
わたしは「すごく影響される」のが ごくフツーの人間の性(さが)だと思う。

すごく優しいお嫁さんと、冷たく見えるお嫁さんがいます。

でも 結婚して、夫の働きが悪くて、しかも舅姑たちに借金があって、お嫁さんも
必死で働かなかったら食べていけない。

そんな余裕のない暮らしをしていて、病気で入院したお姑さんに、こころから優しくできます?

わたしだったらむつかしい。

だから 経済的に、その人がどんな状況に置かれているかについては、わたしはかなりつっこんで聞くことがあります。

優しくて余裕があって・・・・・という場合には別だけど、イライラしていたり
気持ちがすさんでいたり、人に思いやりがかけられなかったり やる気がイマイチ
出なかったりって場合には、経済的に心配のない状況にあるかどうかについて
思いをはせてみるのも ひとつの方法かもしれません。

その人の経済面を心配してあげるということは その人の気持ちを気にかけてあげると
いうことと同じです。

そうそう。反対のこともあります。
親が子供に金銭的に甘くしたり ルーズにしたりして 子供の心をだめにすることなんて
本当に簡単にできます。

お金に恵まれている場合、お金が悪さしないように知恵を働かせないと、子供をだめにする
場合が、おうおうにして見られます。

反対に貧乏な中で子育てすることは大変なご苦労だと思いますが、ごく自然に我慢させたり
工夫したりできるので、いい子が育つことも想像以上に多いのですよ。

わたし流しあわせの見つけ方

顔と気持ちはセットです。

気持ちが沈んでいるとき。

口角をあげ、無理に顔をニッコリ笑顔にする。(気持ちは沈んでいるんだよ)

そして無理に「ふふふ」とか「ははは」と声を出して笑う(楽しいわけではないんだよ)

すると、最初は変化がないけど、それでも それを続けていると

本当に だんだん 楽しい気持ちになってくる。

つまんないなあ・・・と思うときや、気分の冴えないとき

一度ぜひためしてみてください

わたし流しあわせの見つけ方

雨の日曜日

今日は休日! という日に雨が降ると ゆううつになる。

実は、今日は土曜日だけど、私にとっては久しぶりの休日。
ところが、外は雨・・・寒そうな霧雨・・・・・

仕事の日はどんなお天気でも、あまり気にならないのだが
せめて 週一の休日には カラッと晴れてほしい、と いつも思う。

雨の休日は、家にいても 気分がうっとうしいので
思いきって買い物に行ったり、温泉やプールに行く。
そんな風に決めているわたしだが・・・・・・

今日は、あれっ?
いつもと違う。
ゆううつにならないばかりか、かえって気持ちが落ち着くではないか!
どうしたんだろう。

かたや夫は?と見ると「気分が晴れないから出かけようよ」と
は言わない。でもしっかりと顔にそう書いてある。

結局、気分転換にと夫はひとりで出かけ、私は家に残ることになった。

☆   ☆   ☆

快晴の日は気分が晴れる。
雨の日は、うっとうしい。これ 健康な証拠。

うつ状態にあるときには、真っ青な空、日本晴れみたいな日には
なんか自分の気持ちとそぐわない、不釣合いな気分におそわれる。
逆に 雨の日には 気持ちがしっくりときて 意外に落ち着くことが多い。

うつ病の患者さんが「今日は雨なので うつ気分が余計ひどい」とか
「快晴なので いつもより気分が良い」などと言われると
わたしはニッコリと笑い「うつ病は治ってきてますね」と言う。
怪訝な顔のマイ患者さん。
だけどわたしの目はごまかせないのだ。

さて。

「うつ状態」という診断のついたわが心には、
出かけるのはやめて 家事はほどほど。
ゆっくりお風呂に入り、早めに休んで、しっかりケアが必要のようですね。

そんな今日の休日でした。

わたし流しあわせの見つけ方