疲労度6?

今日は暖かかった。
ついこのあいだまで零下だったのに、今日は15度。
おそい春がもうそこまで。

今日は久しぶりの休日。
朝起きの気分は良かったのだけど、なんとなくダルイ気がする。
冷蔵庫にたまっている食材を半料理するのに、だらだらと
一日かかってしまった。
わたしの理論でいくと、これは疲労度、相当のもの。

19、20日の東京行きも、23日、30日の演奏会もキャンセルしよう。
3月は忙しいから、無理は禁物。

キャンセルって決断するのに勇気いるんだけど、ブログに書いて
しまったことは、自分にも適用しないとね。

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わたし流しあわせの見つけ方

心身の疲労度の測り方

毎日の暮らしはとめどなく続いていますが、暮らしはいくつもの家事でなりたって
います。それを思いつくかぎり細分化して書きだしてみます。

たとえば、朝食作り、茶碗洗い、生ごみ出し、洗濯、洗濯干し、アイロンがけ、新聞読み、昼食作り、
スーパーの買い物、車の運転、銀行や郵便局、草取り、花の水やり、夕食作り、夕食後の茶碗洗い、
テレビ、生協の注文、掃除機をかける、部屋の整理整頓、おふとん干し、ふとんの準備、
友達と長電話、パソコン、編み物、洋裁、ピアノレッスン、種類書き、散歩、プール、などなど。

そしてそれを

依存しているものは、そこからのぞいて、残りのものを 三つに分けます。

Ⅰ、好きな家事、好きな趣味

Ⅱ、どちらでもないもの

Ⅲ、苦手なもの

に分けます。

わたしの場合、パソコンとか編み物などは 疲れていても、ついついやってしまうものなので
それはのぞくとして、家事の中味を以下のように分けます。

Ⅰ、料理、茶碗などの洗い物は 好き。

Ⅱ、だいたいは どちらでもない、に入る。

Ⅲ、部屋の整理整頓、車の運転、友達との長電話、などは 苦手。

好きなことというのは かなり疲れていても出来るもの。
好きなことがしたくないときは かなり疲れていると考えてよい。

苦手なことでも、とても元気があるときには出来るもの。
苦手なことでもしたい気分のときには「心身が健康的なんだな」と認識する。

仕事から帰って、夕食の準備をいそいそと出来るときはいいのですが、
料理を作る気分になれないときには「疲れている」と判断しています。

これを使うと、仕事から帰宅したときには その日の疲れ具合が一目でわかります。
疲れた日には手抜き料理に、早寝を決め込みますし、
そんな日が続くときには 要注意。早めの対策を考えるというわけです。

反対に、苦手なことは よほど元気でないと気分の乗らないもの。気分の乗ったときに
するようにすれば、無理がきません。

         ☆      ☆      ☆

心身疲労度を見る作業は、ずっとおうちにいてマイペースで動ける方や、心身ともに健康で余裕の
ある暮らしをしている人にはあまり関係ないかもしれません。
しかし、何事も自分のペースだけでは決めれない忙しい仕事をなさっている方、それから 
こころの病をもっていて、療養中の方、それから ご高齢の方には 参考になると思います。

わたし自身はこの方法で自分を管理していて、無遅刻、無欠勤を更新し続けて37年になります。

うつ病の方などでも、その方が好きなことでも出来ないときは まだまだ回復しないときと考えます。
そしてじょじょに好きなことからやっていただきます。苦手なことはしなくていいよ、と
アドバイスします。そういう指針をしめしてあげることがとても治療的になります。

        ☆     ☆     ☆

ところで 心身の疲労度を測る必要もないほど マイペースで余裕のある暮らしをしている方
は 心身面で問題ないでしょうか。

最近わたしの友達が癌になりました。その友は 田舎暮らし歴20年。本当にマイペースで暮らして
きた方です。そんなに健康なのに、って感じです。

その友と話したのですが、あまり緊張のない暮らしというのは 副交感神経が優位になりすぎます。
それもまた 体に良いことばかりではないようです。

人間には、ストレスも緊張も必要なのではないでしょうか。

忙しいと思う人はたまにのんびりと。

 のんびりと暮らしていると思う人は たまに緊張感のあることを。

といったところでしょうか。

わたし流しあわせの見つけ方

相談その2

何かをしようかな。
それともやめておこうかな、というとき。
だれと相談しますか?

ふつうは自分の「こころ」と相談しますよね。

でもそんなとき。
たまにはあなたの「からだ」と相談してみてね。

やりたい気持ちはわかります。
やりたい気持ちも行きたい気持ちも大事です。

だけど。

こころと同じくらい大事なあなたの「からだ」。

 「からだ」がついていかないということもあるでしょう。

何かをしようかどうか迷うとき、

ぜひあなたの 「からだ」と相談してあげてくださいね。

                 ☆      ☆      ☆

とは言っても、心身の疲労度は どうやったらわかるでしょうか。 

前に こころの状態や気分は、朝起きた瞬間の気分に一番反映しやすいと書きました。

心身の疲労度はどのように判定すればいいでしょうか。

患者さんの診察のときには、なかなか時間がないので使えない方法ですが、

自分の心身の疲労度を測るときに使っている方法があります。

それは10年以上も前のことです。テレビを見ていたら「激務のため、帰宅が夜遅くになる人にとって

夕食(夜食)にどういうものを食べると つぎの日に元気が出るか」というのをやっていました。

そのとき疲れ方の判定や元気が出た、出ないを判定するのに使われていた方法が 実は

目からウロコだったのです。

それを自分なりにアレンジして使っていてとても便利がいいのです。

次回はそれについて書きます。

わたし流しあわせの見つけ方

相談その1

何かをしようかな。
それともやめておこうかなというとき
だれと相談しますか?

ふつうは自分の「こころ」と相談しますよね。

でもそんなとき
まわりと相談していませんか?

まわりからどう見られるかなってね。

でも自分の「こころ」と相談するのが一番です。

何かをしようかな。

誘われたけど 行こうかな やめようかな というとき。

ぜひ あなたの「こころ」と相談してくださいね。
 

わたし流しあわせの見つけ方

精神科の役割

30年前には多分2桁だった精神科外来患者数が、1996年には185万になり、

2005年にはなんと268万人になったという。

まだまだ精神科クリニックは増え続けるであろうが、それでも対応しきれる数ではない。

うつ病は「こころの風邪」で(わたしはこの言葉に共鳴していない)、早めに精神科を受診するように、

というのが、最近の合言葉だ。

しかし、精神科を受診する患者さんが、こんなに増えてもいいのだろうか。

「早めに受診する」ということ自体は、間違っていないと思う。

でもあえて言う。半分は間違っている。

           ☆       ☆       ☆

うつ病の患者さんが、早めに発見されるような対策として、啓蒙活動をするとか、

一般医と精神科医が連絡とりあうとか、かかりやすい精神科クリニックをたくさんつくるとか。

そういう対策をすることは正しいと思う。

わたしもそういうことは、できるかぎり進めていきたいと心底思っているひとりだ。

しかし、その上での発言なので聞いてほしい。

         ☆      ☆      ☆

どこの精神科クリニックも混み合っていて「わたしは一日50人の患者さんを診ている」というのが

精神科医のひそかな自慢話になっているのをご存知だろうか。

しかし、一日50人ということは、ひとりの診療時間数分以内である。

精神科の診療点数は、「精神療法」という診察代金だけで成り立っていて、それは 3600円なにがしか

である。再診料や処方箋代を含めて4600円くらいだと思う(7年前に開業していたころのこと。今もだいたい

同じのはず)

3分間の診療でも 4600円、一時間の診療でも同じく4600円いただける。たくさん診るほうがいいに決まっている。

その上、人の心理として スーパーでも何でもそうだが、混みいっているクリニックほど人は行きたくなる。

たいした診療ができなくても、とにかく一日50人を診療すると、一日の売り上げは25万。

そこからビルの賃貸料金やナースや事務員の給料を支払うと、医師の給料は 勤務医よりは高くなる。

しかしもし、ひとり20分かけたらどうなるだろう。

一時間4人、正味7時間で28人。売り上げは12万。

しかし、ちょうどいい具合に 28人の患者さんは来てくださらない。医師の給料は勤務医の半分以下になる。

だから精神科のクリニックというのは、「はやる」 か 「はやらない」かのどちらか。

というより、はやらせるしか 生きぬいていく道がない。

丁寧に診ていると、その日の売り上げから ビルの賃貸料やナースの賃金を支払えなくなる。

クリニックを開業するということは「必死で患者さんの数をこなさないと経営できない」

ということになる。

ということは 医師は「軽い患者さんほど歓迎する」ということだ。

患者さんになおってもらったら困ることになる。

時間のかからない軽い患者さんがいないと経営がなりたっていかない。

            ☆     ☆     ☆

現在286万人の精神科外来患者さんがいるというが、その人たちは いったいどれだけの

診療時間をかけてもらっているだろう。

そして、「治療が終結する方法」を医師から教えてもらっているだろうか。

多分、一回かかりだしたら「はい、薬。はい次回は。。。」という具合に 一生精神科から

足が洗えないような しくみの中に いやおうなく はまっていないだろうか。

            ☆       ☆      ☆

本当の名医は、その人のこころの癖をさがし、それを克服する方法を一緒になって考えてくれる医師。

しかしそんな医師は、日本国中さがしたって そんなに いやしない。

いや、みんな良心的だし、まじめだし、まちがいなく誠実に仕事をしていると思う。

そういうことじゃなく、意識のレベル、しくみを含めての話なんだ。

それともうひとつ。

「早めに精神科に」という啓蒙活動も わたしは好きではない。

なんでもかでも、精神科医に丸投げしている気がする。

自分で考え、家族で考え、賢い友人に相談し、学校や職場で解決できることまで

精神科に行けば・・・という風潮が今、あきらかにあると思う。

半歩先を歩くわたしとしては、そこのところを わかってもらえる診療活動をしたいと思うのだが。

あ~あ、半歩先でなく、一歩先を歩ける能力がほしいよ。

            ☆       ☆       ☆

人が一生の間に、精神科に一度でもかかる確率は 4人に一人だそうです。

家族が4人いたら、誰かひとりは、一生の間に精神科医のお世話になります。

そういう時代にわたしたちは生きています。

このブログでは、読み手の方たちが、自分のこころの問題を自分で引き受け、自分の頭で考える

きっかけになるといいなと思っています。

わたし流しあわせの見つけ方

わたしの夢

わたしの夢は、あまり大きな声で人に言えない。
夫は知っているけれど、人には言わないで、と口止めしているし、夫からも口止めされている。
住んでいる地域をよくしようと一緒にがんばっている周囲の人たちに漏れたら大変。
抜け駆けしちゃうことになるから。

でも、このブログでは わたしは特定されていないし、ユーモアもある方たちが
読んでくださっていると思うので 言ってしまいます。

小さな声でいいます。わたしの夢は「老人ホームに入ること」
夫からはあきれられています。
理由は「自分以外の人が作った料理を食べて暮らしたい」その一念で。

昨日のコラムと反対のことを言うようですが、わたしは一生、妻の手料理を食べれる
男の人というものをうらやましく思うことがあります。

何不自由なく暮らしていたわたしが、下宿生活に入った18歳のとき、唖然としたんです。
そうか、女性って一生涯、自分で作らないと誰も食べさせてくれないんだ。
すごく唖然とした覚えがあります。

女性は結婚して誰かの食事を作っていくことが定め、と思っていた方たちにとっては
理解に苦しむような感慨かもしれません。

でもわたしは、すごく唖然としたことを今でもよく覚えています。

いつか誰かの手料理を食べて暮らして行きたい。それがささやかな夢。

ヘンですか?

 結婚するなら料理の出来る人がいいな、わたしの夫は、カレーライス、肉じゃが、野菜炒めなど
手際よく作ってくれます。がしょせんは「料理派」じゃなく「掃除派」だったんですよねぇ・・・・・

あ、でも知ってますか?

こましな食べ物を出してくれる老人ホームってとても高額だってことを。年金も退職金もない
わが家の経済状況では、ぜったいといっていいほど入居できないことを。

 今日のコラムは「現実」で味付けしたユーモアを解してくださる方に届けます。

せっせと今日も料理を作ります。

今日のコラムは聞かなかったことにしてください。

お昼は手製ソースで焼きそばを作りました。↓

蒸しそばは炒める前に電子レンジ2分が コツ ですよ。

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わたし流しあわせの見つけ方

料理の能力(脳力)を磨こう

職場の昼休みに、新聞から切り抜きをして手帳にはっていたら看護婦さんが「何しているの」と聞いた。

「美味しそうな料理が載ってたから切り抜いたの」と話すとその看護婦さんが目をむいて

「先生、料理するんですかぁ」と言う。

「先生は料理するようにはぜったい見えない。仕事から帰ったら、さあ!原稿書きだぁ、って感じで

机に向かっているように見える」という。

別の看護婦さんたちもみな口々に「料理やってるようには見えない」と言う。

7年も一緒に働いているのに、皆さんなんて見る目ないんだぁ。

料理は特別うまいほうではないと思う。が、好き。

若いころからずっと毎日手を抜かずに作り続けているし、デジカメで撮った写真で

料理日誌を毎日つけている。楽しいから。

などしゃべっていたらみな目をまん丸にしてあまりにも驚くので、おかしかった。

「そもそもさあ、食べてくれる人を確保するために結婚したんだもん。ひとり暮らしのときは、全然やる気

おきなくて。ろくなもの食ってなかったのよ。それでね、これではアカン。誰かわたしの料理を食べてくれる

人を探さなアカン、そう思って探したのが夫よ」そう言うとみんな大笑いしている。

でね、毎日毎日「ああ 腹減ったぁ」というのが口癖の人だから助かってるの。

そう言うと、そこにいた全員の看護婦さんたちが「そう、そう、そう。腹減ったぁ、って言われると

俄然料理しなくっちゃあって思うよね。わたしたちの料理の原動力って 「腹へったぁ」の声だよね。

久しぶりで皆で笑ったこと笑ったこと!

料理談義はまだまだ続いた。

料理が苦手、何作っていいか毎日悩む、という人から、冷蔵庫の中を見て、チャチャチャと作るのが得意という人まで。

つぎはわたしの持論である。

料理を作るために必要な能力は、家事の中でも上級に属する。

想像力、段取りや手際の良さ、一度に3つ4つのことを同時にやる能力はかなりのもの。

特に、冷蔵庫の中の物でいくつかの料理が作れる人は、かなり上級主婦だ。

家事の中でも 料理に使う脳と、掃除や整理、洗濯に使う脳では場所が違う。

だから両方得意ということが少なく、主婦はだいたい「料理派」と「掃除派」に分かれる。

料理が得意な人の家は、けっこう家の中がガチャガチャしていることが多いし、

家が見事にすっきり片ついている人は、案外新しい料理につぎつぎチャレンジということが少ない。

料理は想像力や独創性が必要なので ある程度 もって生まれた素質が必要に思う。

手際よく美味しい料理をずーっと作り続けているかぎり ぼけない。

あるいは、ぼけにくい脳力と料理が得意な脳力が脳力的に一致するのかもしれない。

と、たくさんのお年よりを診たわたしの経験論である。

わたしが すごく得意というわけではない料理にとても熱心になっているのは、そういう理由。

料理を作るという行為は、こころをかけなければいけない。頭も使わなければいけない。

磨けば磨くほど、こころの力も脳の力も伸びる大切な行為だと思う。

わたしの料理日誌 ↓

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精神科医のブログ

子供のころからずっと、いつも人より半歩先を歩いて来た。

一歩じゃなく半歩というのがビミョーで、有名にも立派にも金持ちにもならなかった。

また、出る杭は打たれるという諺があるが、頭2つも3つも出る能力があればよかった。

頭ひとつ分しか出ていないのがまた微妙で、いつも打たれっぱなしだった。

だからこの年になってまだ 新米面ひっさげて病院内をうろつく運命に甘んじている。

ちょっと悔しいと思う日も、ひそかに涙する日もある。

       ☆     ☆     ☆

わたしが精神科医になったころは、精神科医なんて一番嫌われる職業のひとつだった。

患者さんから水をかけられたり、葡萄の皮を投げつけられたこともある。

もちろん病気のなせる技だから、腹は立たない。

患者さんの親から「あなた(精神科医)にだけはかかりたくなかった」と
にらみつけられたことも一度や二度ではない。

でも、インフォームド コンセントや セカンド オピニオンなどという言葉ができるはるか以前から
そういうことを大切にしてきた。わたしにとってはあたり前のことだった。誰に習ったわけではない。
普通の感覚持った 普通の人だったからに過ぎない。

わたしがHPを作った10年前は、精神科医のHPはほんのわずか。いや、ほとんどなかった。

それがどうだろう。

最近再開したこのブログにも、「精神科医」という検索でやって来る方が多くて驚いている。

そこで調べてみたら 精神科医のブログが山ほど(というのは大げさだが)ある。

そして、私など足元にも。。。。。という立派なブログも。

だけど、精神科医がもてはやされる時代なんて、ぜんぜんいい時代なんかじゃない。

わたしはそう思う。

ただ今、精神科医歴37年。

時代と共に生きてきたという実感だけはたしかにある。

そして時代の変化に敏感で、人間のいろんなことがこわいほど見えることもある。

        ☆      ☆      ☆

今、わたしにとっての「半歩先」は何だろうと思う日々である。

「精神科医です」と胸をはって言うなんてはずかしいことと思っていたが、今もそれは変わらない。

今、目の前にいるひとりの患者さんを大事にする、ただ普通の医者でありたいと思っている。

このブログは、そんなわたしのデトックスである。

わたし流しあわせの見つけ方

人生の転機?

ずーーーーーっと仕事仕事で走り続けていて私に、とうとう転機が訪れました。

4月から仕事量を減らせられる状況がとうとう到来したのです。

もちろん「常勤で働いてほしい」という要請があり常勤に魅力を感じます。

でも昨夜から考えに考え、出した結論。

これからは 時間的余裕を持って働こう、ということ。

        ☆    ☆    ☆

「いつまで働いているの。人生、楽しまなくちゃあ損よ」というアドバイス

      でも、仕事する人=楽しんでいない、 というわけではないね。

「年なんだから 健康第一、無理しないで気楽に」というアドバイス

      病気するのは、働いている人も働いていない人も確立は同じですよね。

                健康は大事ですけど、働くとなったら 気楽には働きません。

定年になった人には時間がたっぷりあるから なんでもできる。

しあわせなことに違いない。

でもわたしの場合は 定年になったら・・・・と夢見るより、もうちょっと先を見たい。

「80才になったとき、何に熱中し、何に誇りを感じ、何を楽しんでいるか」

もう一度、自分の将来の姿を心に刻みながら 今日明日の生き方を見直そうと思っている。

わたし流しあわせの見つけ方

春の雪

昨夜降った雪は、春の雪。

優しく木々を包みこんでいる。

雪の朝は地上のちりあくたが全部清められるせいか、神々しい美しさです。

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わたし流しあわせの見つけ方