友達とは何か。

甲府に50年近く住まわれている幼なじみの女性が、出版祝いの会を

開いてくださった。

50年もの長きにわたって根をはり、教授として活躍されていた方なので、

おつきあいも多いだろう。

逆に「私は、結局、山梨に友達はできなかった」とあいさつの時に言った。

そうしたら、出席していた素敵な年配の男性が「自分でよかったら友達になりましょう」と言ってくださった。

その時には軽く受け流していて、本気に思えなかった。

しかし、帰る頃には「友達ってなんだろう」「友達になれるかどうかは自分たち次第じゃないか」と思うようになった。

☆    ☆    ☆

そんなことを考えるきっかけは、先日読んだ、何かの身の上相談の記事だ。

若い女の子の「友達が出来ない」という相談に、小説家の方が答えていた。

彼は言う。

友達は、いないよりいたほうがいい。

しかし無理に友達を作るのと、孤独に耐えることと比べたら、どうだろう。

友達を無理に作ろうとするより、孤独に耐えるほうがいい場合もある。

 

そもそも友達って何だろう、とその小説家は言う。

自分は、友達とは「お互いにおみやげを与えあえる人同士だ」と思う。

自分も相手に、おみやげをあげられる人間でいなくてはいけない。

友達からももらうべきだ。

それは、ギブ & テイク というのとは違う。損得勘定でもない。

 

そんなことが書かれていた、と思う。

それを読んでから、「友達って何だろう」と考えるようになった。

おみやげって何だろうと思うようになった。

おみやげって相手を思いやる気持ちではないかと私は考える。

 

たとえば、私にもともだちはいるが、関係が一方的になってしまったら

それはもう友達ではない。

一方的とは相手を思いやる気持ちやちょっとした努力が失せた時だ。

電話をする、手紙を書く、メールやラインを入れる。そうやって相手が元気か?

近況はどうか?など気遣う必要が互いにある関係だということだ。

 

友達のことを気にかけて、声がけするには努力が必要だ。

だって、夫や親や子と違って、いなくてもすむものだし、ギブ&テイクもない。

ほおっておけばほおっておける。

そこを努力してお声がけし、相手を思いやること。相手が病気していないか。

困っていないか、たずねていること。

それをお互いにやれる関係が、友達関係を作り深めていく。

一方的になっていたら、私はもう、それは友達ではないと思っている。

というか、どの人と、そんな努力のいる関係を作っていきたいと思っているか。

それをしっかり自問自答すべきではないだろうか。

☆     ☆     ☆

私にもたくさんの友達がいたが、遠くに離れるに従い、少なくなった。

疎遠になる一方だ。

そんな中で、ひとりの女性を思い浮かべる。

彼女は、私より10歳以上年上だ。

そもそも、私が夫と知り合う前に、夫が建てた建売の家を買ったご夫婦だった。

20数年も前のことだ。

それ以来、夫の前妻や子たち家族を別荘に招待したりされていたらしい。

私が再婚した時にも、結婚祝いに当時珍しかったデジカメをお祝いにいただいた。

お金のある方だったので、私がその方にものをあげることはなかったが、たまに

お電話したり、近況をたずねたりしていた。

再婚して新築した私たちに、珈琲カップをくださった。

ありがたく頂戴し、今も使っている。

あいかわらず、ものをあげることはなかったが、私は近況をおたずねしたり。

家に来ていただいたりした。

 

そのうち、ご主人が亡くなり、子供のいない彼女は、甥や姪たちを頼りにしていた。

私も寂しいだろうと、お声がけだけは絶やさなかった。

今もラインで、近況を教えたり、たずねたりする。

先日は、甥の家に来たついでに私の自宅に来ていただいた。

 

子どものいない彼女は、甥や姪や友達をことのほか大事にする。

私もさびしいだろうと、折にふれ、お声がけだけはする。

 

彼女と私は、何の関係もない人間同士だった。

夫が建てて売った別荘を昔、買った、というだけの関係だ。

その後に再婚した私など、本当にうすいうすい関係である。

しかし、お互いに相手を思いやって、お互いにお声がけしているうちに

温かい関係ができている。

フェイスブックの力は大きい。居ながらにして、相手の近況や考え方がわかる。

しかしそれだけでは関係は続くものではない。

お互いに対する尊敬と愛着と思いやり。

 

先日、東京に行ったときラインで知らせた。

「寄る時間はないよね。でも食事くらいなら出来るね」と返事がきた。

「きっといつか。きっといつかね」と書かれていた。

人生なんていつ終わるかしれない。

私はジーンときて「きっといつかね」と返事を出した。

私は忙しい。東京に行っても人に会う時間はない。

でもたまには、無理してでも、食事をしようと思えた。

東京に行くと、食事をする人がもうひとりおられる。

忙しいので、もう何年も食事しないが、信州に来られると会うことはある。

やっぱりそれも互いの努力がないと、出来ないことだ。

 

ともだち。

それは互いが思いやって作り上げていくもの。

一方的になっている場合には、もう友達ではない。

声をかけられたら、自分からも声をかける。

来てくださったら、自分からも出かける。

電話をくださったら、電話嫌いの私でも何らかの反応をする。

そんな関係をつないで、これからはちゃんとした友達関係を築いていきたい。

 

友達はいなくても、全然さびしくない。

でも、いたほうが心があたたかくなることは間違いない。

これからは、どの方とどんな関係を作りあげていくか、しっかり考えたいと思った。

 

わたし流しあわせの見つけ方

動画に挑戦

動画って撮ったことがありません。
本日、挑戦。
余分なものを切り取るまでの編集に成功。
でも写真よりはるかにむづかしいです。

曲を唄うのが写真、曲を作曲するのが動画、というくらいに違いがあります。

夫は動画の編集がとても上手です。
無料のソフトでやっています。
音楽や字幕も入れます。

わたしは合っていないかな。
最近、インスタでも24時間だけみれる短時間動画がはやり。
それくらいならば、挑戦してみたいです。

わたし流しあわせの見つけ方

オカリナの再開?

ピアノとオカリナをすっかりやめて3年以上になる。

何ケ月前のこと、整理していたらオカリナが出てきたので吹いてみた。

まったくドレミさえだめだった。

懐かしくてオカリナの先生に電話して「再開しようかな」と話した。

それからまた一年近くたった。

 

昨年もあまりに忙しくて、趣味どころではなかった。

そして今年も忙しくなりそうだ。

そこで却って疑問を感じるようになった。

 

たしかに仕事は忙しく責任がある。充実していることも確かだ。

しかし・・・・・・仕事だけが私の人生のすべてではない。

もちろん、暮らしが大事だ。

そして楽しみも。

 

以前あんなに楽しくやっていた音楽を始めてもいいのじゃないか

やるべきではないかと思うようになった。

 

今日は先生のお宅に一時間のレッスンを受けに行った。

日曜日を利用すれば月二回くらいはいけるかもしれない。

 

家の中を大掃除して断捨離を決行したことがきっかけだ。

「家事、家事、家事、掃除、整理」と思わなくていいようになった。

ものを大整理して、あとは買わない、増やさない。

そうすれば時間にも心にも余裕が生まれるかもしれない。

 

わたし流しあわせの見つけ方

東京から帰りほっとしています。

木曜から金曜にかけて、東京でした。

大きな案件でしたので、ほっとしています。

土曜日は仕事、今日は外が雪模様なので、ゆっくり家にいます。

 

頭の中がごちゃごちゃで。

写真もアッとランダム。

上は、今日からスマホに入れたBluetooth。

かわいいスピーカーですよね、音楽が好きなのでうれしいです。

瓶は、東京で食べたジャーサラダをまねて、今朝つくったジャーサラダ。

右は、東京で会議の時だけ着替えた久しぶりのスカート コーデ。

たまにはスカートをはかないと体型は崩れる一方です、あえて!

あえて! はきました、載せました。

今日は珍しく、レモンといちごが並びました。このショットも珍しい。

 

頭の中が混乱していて、何を書いていいかわからず寄せ集めの写真になりました。

わたし流しあわせの見つけ方

がんばりました。

今回、がんばりました。

10年に一回の大整理です。

年末大掃除と違って、価値観の変化についていけなくなったものの整理。

拭き掃除、掃き掃除はしていません。モノの整理です。

 

今年は暮れから正月にかけて、二日半しか休日がありませんでした。

食べ物は無視、とにかくその休日は正月であれ、整理すると決めました。

そしてこの1月12,13,14日、珍しく三連休をいただけたのです。

暮れと合わせて合計6日間、毎日毎日整理をしました。

 

引きだしという引き出し、押入れという押入れをすべて開きました。

家が広いので、ものすごい数です。

 

過去の思い出の品、アルバムや写真、新聞や雑誌に載った切り抜きなど。

過去と決別しました。

テーブルというテーブル、机などにも何も置かないですむように

モノの居場所を決めてあげました。

 

12年前に、この家に住み始めたころを思い出し、すっきりさせました。

 

今までとっておきたかった過去のもの、30年前、20年前、10年前のもの、

捨てました。

すごい重労働でしたが、ひたすら続けました。

 

すごく気持ちいいです。

続けて休みがとれたおかげです、どこにも出かけませんでした。

 

これで今年も何か始めれそうです。

モノが増えないものを始めます。

 

 

わたし流しあわせの見つけ方

私のインスタグラム

二年前からインスタグラムをやっています。

私が何か新しいことを始めるきっかけがあります。

若い人です。

子どもたちが近くにいませんし、職場で私的なことはできません。

 

実は姪たちなんです。私には甥も姪もおらず。

全員、夫の姪たちです。4人います。

甥が結婚したのでそのお嫁さんを加えると5人。

 

昔は子供たちに影響を受けていましたが、巣立ってから20年。

今では姪たちに影響を受けて進化し続けています。

 

最近、スマホの画面をそのまま撮るスマショーを覚えました。

上の写真は私のインスタの一部です。すましょーで撮りました。

すましょーを教えてくれたのは、また別の知人女性です。

 

老いた人は若い人から学びますが、若い人は老いた人から何を得るでしょう。

食べ物やお金だけだったらさびしいですね。

わたし流しあわせの見つけ方

正月も、終わり・・・

 

暮れ正月はあっという間に終わった。

いずれ休日がとれないのなら、「ふつうに暮らす」と決めた。

ふつうの食事をし、仕事に行き、プールにも行った。

暮れ正月もプールには三回も行った。

3日は休みだったので、掃除と整理の詰めをおこなった。

これでだいぶすっきりした暮らしに戻った。

 

昨年は忙しすぎて、家の中は乱れ放題。

料理もやっつけでしていた。

今日は冷蔵庫の整理を兼ね、久々に料理らしきものを丁寧に作った。

 

家をきれいにすると、猫ってきれいにしたところに必ず来るね。

わかっているのかな。

わたし流しあわせの見つけ方

元旦から仕事です。

元旦から、仕事。

年賀状を数枚書いて出勤。

パソコン教室に二年間通った結果は、ホラ!年賀状に現れています。

うれしい。

 

二日も仕事。

冴えないかも。

でも、夕方になったら帰る家があることが幸せ😃💕

そう考えると、幸せは足元にあり。

 

スマホからサクサクとブログが書けるのも、パソコン教室の成果。

今年はオカリナを再開したい気持ちもないことはない。

わたし流しあわせの見つけ方