負担に感じたらことわる

山梨日々新聞に石原加受子さんという方の連載があります。

いたわろう よりそおう という連載名です。

この方は心理カウンセラーなのですが、本をたくさん書いて

おられますね。書店でよくお名前をみかけます。

 

カウンセラーとしてだけでなく、ライターとしての資質のある

方だとお見受けします。

 

今日の新聞では、こんな感じ・・・・・・

 

自分で頑張っている人、自分にきびしい人は、相手が自分の思う

ようにやらないとイライラしてしまう傾向にある。

自分にきびしい人は、自分に対しての「ねばならない」が強い人

である。そういう人ほど、相手にイライラして、あげくには自分の

ことも苦しめてしまう。

自分に優しく、自分の気持ちや欲求に添った選択をするようになる

と、生きるのも、他人との関係もラクになりますよ。

自分に寛容になりましょう。嫌だったらことわりましょう。

出来ないことは、頼りましょう。手伝ってもらいましょう。

そうすることで、きっと人に優しくなれるのです。

と書かれていました。

上手に言うなあと感心します。

いつも感じていることでも、それをわかりやすく、すっと心に

入るように書くのはライターとしての才能が必要です。

どれだけ立派なことでも、人の心に沁みいらなければ伝わらない

ですよね。

 

私自身は、患者さんにかみくだいて、とてもわかりやすく話す

ことに定評がある(と誰も言わないけど、自分の得意技だと思って

いる)

でも、書くことは正直、苦手。

こうやって話しているように書くから書けるだけで、ライターと

しての才能はない。

 

連載をやっているが、本当はあまり得意科目ではないのだよね。

ことわることも大事なことだと思えます。

 

連載はともかく。

断ることの達人になろうと決心しました。

もっとひとにやさしい女性になれるでしょうか。

 

 

とことん・謝る

 

 

今日いらした患者さんは、私のファン。

もう二年以上通院されているちょっと軽度の認知症の方。

いつもいつも「月一回のこの日が楽しみ」とおっしゃる。

 

ところが、今日にかぎって雲行きが怪しい。

「先生との信頼関係は崩れました」と固い表情でおっしゃる。

 

今日はヤバイと思い、ご主人に出ていってもらった。

聞くところによると。

なんでも、先月来院された時、患者さんは私にまず、挨拶をされた

のに、私はろくろく挨拶をせぬまま、ご主人と話し出したのだと言う。

 

「患者が挨拶しているのに、挨拶を返さぬまま、他の家族と話し

だす医者など、古今東西にいない。本当に失礼だ」と言いつのる。

 

心当たりがあった。

その方はいつもご主人がそばに付き添い、こまかい説明をしてくだ

さる。先月は、そのご主人が入院されていたということでやつれて

おられ、心配だったので、まずご主人をいたわった覚えがあった。

 

また、二年という歳月の中での「慣れあい」もあったかもしれない

い。初めての方だったら、ぜったい患者さんしか見ないだろう。

 

私はあやまった。言い訳はいっさい無し。

でも、患者さんはいっこうに許してくれない。しつこく責めたて

る。今日は私の体調もことのほか悪く、堪忍袋の緒が切れそうに

なったが、相手の気持ちを100%受け止めて、あやまり続けた。

 

でも拉致があかず「そこまで信頼されていないのなら、もうこの病

院を卒業できる時に来たということでしょう。診察は今日で終わり

ということにしましょう」私は診察室を出た。

その患者さんも固い表情で診察室を出て行かれた。

 

ご主人にも、その旨を伝えた。

「残念だけど仕方がないです」とおっしゃってくださった。

 

看護師にも経過を伝え、つぎの診察に向かった私は・・・・・

 

突然、待合室に行き、まだ怒っている患者さんに向かって。

「もう会えないね。ぜひ元気でいて!」とニコニコして言った。

びっくりされていたが、かまわずに「さびしいな。もっともっと元

気になってね。さよなら」と言うと・・・・・・

 

突然、以前みたいに私の頭を、ぽこん と叩かれた。

 

そしてふたりは和解したのだった。

 

Yさん。いつまでもご夫婦仲良く、元気でいてください。

 

☆    ☆    ☆

 

私はプロなので、いっさい言い訳をせず、あやまることができる。

しかし、家ではこうはいかない。

「でも」

「だって」

「・・・・・・」

ごめんなさい、の一言は、なかなか出ない。

主婦のプロになったら言える言葉だろうか。

タイムカプセル体験

母の日だった(らしい)ですね。

というのは、子供たちから花と珈琲が届いたのです。

子供たちも気まぐれですから、音沙汰ない年も多いのです。

 

さて、今年は驚きました。

海外に住んでいる娘が、たまたま金沢に戻っている(らしい)です。

私がよく行っていた珈琲豆屋さんの珈琲パックを母の日ということで送ってくれたのです。

 

そこにちょっと汚れた手紙が入っていました。

 

「いかがお過ごしですか。

こちらは親子三人で元気に暮らしています。」

 

から始まり、生まれて一才になった長男のことが、こまごまと

書かれています。「可愛い、可愛い」の連発であるその手紙は

遠く離れて住む孫を心配する姑に私が書いた手紙だったのです。

 

47年後に見た、自分の書いた手紙!

 

私は30年前に離婚していますので、もう元の婚家とは縁がありません。昨年姑が亡くなり、家の整理をしていた娘が見つけて送って

くれたのでした。

 

その手紙は、若い母の、子供への愛情や姑への優しさにあふれた

手紙でした。今の自分とはまるで別人。こんなにも変わるのかしら。

 

実は私は10年前の母の日のころ、この手紙の長男を亡くしています。それも、カーネーションを送ってもらい、そのお礼の☎を入れたけれど、息子が出なかったので、留守電に「元気?」と入れたのが最後になってしまったのです。

 

しつこく☎しておけば良かった、と後悔ばかりです。

 

それ以来、悲しくなることが多い4月、5月なのでしたが、自分が出した手紙がブーメランのように自分に返ってきて、なんだか嬉しいような、優しいような気持になりました。

 

思わずタイムカプセルを開けたような気分です。

 

ブログ「私流・しあわせの見つけ方」ももう10年以上になります。

 

きっと、年老いたある日。

 

このブログを開いて、まるでタイムカプセルを開いたように「ああ、そんなこともあったなあ」とはるか昔を懐かしみ、そこから愛や優しさや勇気をもらえることもあるかもしれません。

 

☆    ☆    ☆

アマゾンから下記の本が買えます。

ひとりでカフェに行きますか、行けますか。

 

漫画家の弘兼健史がわざわざ本を出して、モノの整理、人の整理そして「孤独」について書いていた。
「孤独」というと誤解があるかもしれない。
「心の自立」とも言いかえられるかもしれない。

彼は、喫茶店にはひとりで行くと言う。
雑然とした中で、孤独感を感じながら漫画の構想を練る時間はとてつもなく楽しいと言う。創造活動をしている人だからか。

旅もひとり旅がいいな、と言う。
それも、行く宛てや行き先の決まっていない旅もいいな、と言う。
なんでも「夫婦ふたりで」というのが考えられないと言う。
奥さんは 柴門 ふみ さんだ。

別の記事だが、柴門 ふみ さんにも言い分があった。
柴門さんの言い分を聞くと、夫の行動は若いころらか自分と仕事だけを大切にした「気ままで身勝手」なふるまいが多かったという。

本での言い分は一方的だ。奥さんにはまた、違う思いがあったということだが、それはそれとして・・・・・

職場で話が盛り上がっても「ランチしに行こう」と「飲みに行こう」という話は多いが「喫茶店にひとりでは行けない。行かない」という人が大半だ。
ほとんどの人が、そういう行為をしないらしい。

でも昔だけど、ニューヨークに行ったとき、カフェはほとんどが「ひとり」だった。アメリカ人は、喫茶店にはひとりで行くことが多いようだ。
男性も女性も、老いも若きもひとりで珈琲を飲み、のんびりと新聞や本を読んだりしていたのが印象的だ。

私は、ひとりでカフェにいる時間って、人間の成長に必要な時間だと思っている。

カフェでなくても、家でもいい。「部屋を閉めきって、ひとりでいる時間」も必要だと思っている。
多くの家庭人は、「ひとりでこもる」ことをしない。

だから、他の家族の心にずかずかと入りこんで、あれこれとうるさく言うようになる。あるいは一緒にいるのに、他に無関心だ。

やっぱり「孤独」は「心の自立」の第一歩。

ただ、家族がいる人の場合には、家族とのの時間も意識的に持っていかないと、だんだん煩わしくなってしまう。家族っても「夫婦」だけどね。親子は血がつながっているから、努力しなくてもベタベタする傾向にあるから。

自分にメリットがあると思って家族を持ったのでしょ?だったらメンテもしっかりやらないとね、と弘兼さんには言いたい。もちろん彼の言うことには私も同感なのだけど。

 

ただ妻の柴門さんが、ほとんど満足していなくて、まあ合わせているしかないかとあきらめながら相手を理解しようとしていることに切なくもなった。

わいわい騒ぐことしかできない、喫茶店にもひとりで入れない人は、私はあまり・・・・・・
だけど、自分勝手なだけでは、「社会人」として成り立っていかない。

バランスよく、両方の時間を持てるようになりたいと思った。

ただ・・・・・・

きわめてつきあいの悪い。冠婚葬祭にも出ない。ちょっぴりヒジョーシキを認める私としては、弘兼さんのように、白昼堂々と言ってくれる人がいると、ついホッとするのである。
“ひとりでカフェに行きますか、行けますか。” の続きを読む

動脈硬化度の検査

(松本・丸善のミカフェにて)

 

暑いですね。
今まで厚手のシャツでしたが、とうとう薄手にしました。

今日は朝から松本の病院で仕事でした。夕方、松本から韮崎に移動(110㎞)して韮崎で当直。明日は韮崎で夕方まで仕事です。

ちょっとバテテはいますが、久しぶりの強行軍。

私の健康度の高さは何でしょう。私の年齢と仕事量の多さを聞いたら、きっとびっくりされると思います。

働き過ぎているようにも見えますが、実際は自己コントロール力がとても強いです。ぜったいに無理していないのです。力を入れるところと抜くところが上手い。また、自分にも人にも厳しくない、つまり「ゆるい人」なので、ストレスが少ないのだと思います。

今日は松本で仕事のかたわら、検診を受けました。
「検診はあまり受けないほうがいい、おおらかにしていたほうがいい」という説もありますよね。

でも、私は検診大好き人間です。

医療関係の仕事ですから、いろんな数値の意味を深読みできるせいもあるかもしれません。

たとえば、今週の「ためしてガッテン」でやっていました。
「長寿のために必要なこと」というタイトルでした。
そこでは、血液検査の中の高感度CRPの値と長寿が相関しているというものです。

私はすでに、これに関する知識がありましたから、自分の時々の値は知っていました。
今日のテレビでは「高感度CRPの上昇と肥満」が関係するというものでした。たしかに 90歳100歳の方で、おデブさんはいませんね。

ちなみに、私は 0.02 くらいにずっとおさまっています。血液検査で簡単にわかりますので、機会があったらみなさんもやってみてくださいね。

さて、私の本日の検診ですが、動脈硬化度を調べる検査だけしていただきました。
先回の結果で、同じ生活習慣である夫との差が、あまりにはげしかったからです。

病気はありませんし、血圧も高くない、肥満もない。食べ物も悪くはないと思うのですが。夫との差はどんどん開いていくんです。

まったくもって不思議で、再検査。
しかしだいたい何回やってもそんなに変わるものではありません。

やっぱり、やっぱり運動習慣でしょうか・・・・・・

だとすれば、困りました。運動ダイキライなんですもの。

今日行った病院の検診センターの所長さんと話しました。
「この春から、職場が変わり、歩いて50分。今までは車でした。
それが楽しいんです。楽しくて楽しくて。もうワクワクしながら
歩いて通っています」ですって。

楽しく運動できるのが一番。

苦行のようにはやりたくありません。

なかなか所長さんのようには出来ないですね。
所長さんのカッコいい体型にほれぼれとしました。
余談ですけど、靴がピッカピカでしたww

桜とこぶし

今朝は、ベランダで珈琲を飲みました。

起きてから2時間以内に15分くらい外の空気を吸うといい。

そんな本を読んで、なんとなく外で過ごそうと思ったのです。

 

ウグイスが鳴いていました。

空を見上げると、白い雲が左へ左へ流れていきます。

とても雄大な気分を味わいました。

 

家の前の道路は桜の盛り。

そして一本となりの道は、ピンクの桜と白いこぶしの饗宴。

(写真をクリックしてみてね。こぶしが本当にきれい)

 

芽吹きはまだまだの当地。

でももう十分に春の真っ最中。

 

今夜は生姜焼きです。

生野菜をいっぱい買うので、つい洋食ばかりに

なってしまいます。

わたしの好きな「この通り」

この通りは、八ケ岳鉢巻道路。

八ケ岳の麓を鉢巻のように囲っている。

鹿があたり前に歩いているので、冬場は大変だけど。

春から夏は鹿も出ない。

今日の通勤途上で撮影。

オートバイも気持ち良さそうに走っている。

走っている最中に、脇を見ることはないが。

車を止めて、まわりを見たら・・・・

桜と桜の合間に見える甲斐駒がこんなにきれいだった。

 

 

精神科医「くもりのちしあわせ」