フォトエッセイ「くもり のち しあわせ」

10年前、見ず知らずの山梨にたったひとりで来た。

勇気のいる行為だが、私はそれが軽々と出来る人だ。

「わたしだって出来る」というのとはわけが違う。

「言う」と「行う」ではぜんぜん違うのだ。

誰も私のことを知らない、認めてもらえないのにはマイッタ。

ゼロからのキャリアで、忍耐の連続だった。

何か自分らしさの証明をしたくて、フォトエッセイ集を出そうと決めた。

原稿を持って東京の出版社に行くと「エッセイ集なんて無理です。有名な人でないと売れ

ません。医者だったら、やはり実用書から始めることです」とにべもなく言われた。

新聞に連載したものを持っていったら「これだったら本になる」と言われ、お金を支払った

(どうしてもお金がいるのです)。けれどそこの編集者が優秀には思えず、別のところを

紹介してくださる方があらわれたので、変えた。お金はフイになった。

前著「わが子の気持がわからなくなる前に読む本」はそうやって世に出た。

きちんとした出版社で、お金が必要と言われて納得はしていたが、本ができあがった

日に、真っ先に3000部を買い取ってくれた。4000部目から印税が入り、印税の額は

50万ほどであった。

つぎはエッセイ集だと思ったが。数年があっという間にたった。

だから10年目の実現である。思いたってから10年だ。一度もあきらめたことはなかった。

トライにつぐトライでやっと実現した。

「本を出したい」と言う人は多い。が、断言する。

出来ない。

簡単ではない。

今回はとても幸運な出会いがあった。その出会いのために10年かかった。

また、今の場所に家を建てたことも大きい。

とにかく景色がいい。きれいな景色がいたるところにあって、腕がない私が

バカチョンカメラで撮ってもさまになったのだから。普通はあり得ない。

表紙はまだ決まっていない。これはひとつの案である。

この表紙のためにだけ、一冊の本を出したいと思うくらい、かわいい。

これが採用されるかどうかはわからない。

別にこんな案もある。

みなさんなら、どちらに手をのばされるかな?

多分、半々なのでしょう。私の好きなほうでやることにしましょう。

おどりこ草

看護師さんが、診察机に道端の草花を摘んで飾ってくれた。

どうってことのない雑草。

でも、かわいい。

こうやって飾ると、ついのぞきこみたくなる。

彼女はパートで週何日かだけ働いている。

常勤の医師や看護師は、いつも殺気だっている。

そういう輩には花を飾ろうなどいう精神的余裕がない。

私もそのひとりだ。いやだ。

私も含め、がむしゃらに働いている人によって、社会の経済が支えられている。

しかし、彼女のような人によって、社会が潤ったり、文化が継承されていく。

どちらがなくても、社会は成熟・発展しない。

そうそう。今日は軽井沢の桂並木の写真を見せてくださった方もいた。

今年、この並木の場所を教えていただく予定。

楽しみだ。

都会の人に。

遊びにおいでよ、もっと。

森林ウォーク。豊富で新鮮な野菜。透明感のある澄んだ空気。

温かな陽だまり。青い空。風の音。輝く光。静寂・・・・・・

いいよ。

味わってしまうと病みつきになるが、味わわないと永久にわからない。

桜の花と雪山

「桜が咲いているから見てきたら」と職場の人に言われた。

当直の帰りに寄ってきた。

いろんな災難があり、こころが重いので、桜といわれても、心がはずまない。

ああ、いつの間にか、桜の季節が巡ってきてたんだ、と思った。

遠くの八ケ岳はまだ冠雪している。

桜と雪。

家に帰ったら、庭にはまだ雪が残っていた。

☆  ☆  ☆

ブログで一悶着あった。私のブログはホンネで書いているのでいい、と言ってくれる人がいる。

一方で、あそこまで書くか!とか「あんなこと書いて」とか批判的な人もいるらしい。

批判的な人は見ないからいいのだけど、耳に聞こえてきたので、気にかかる。

個人攻撃や個人を特定していないし、「書いていい?」と聞いてから書いていることも多い。

気を使いながら、本音も出して書くということはかなりむづかしい。

いろんな人がいる。

あたり前である。わかっている。

しかし読者の数はじわじわと増えている。掃いて捨てるほどのブログの数。

その中から選んでいただいているのだから、悪いものだったら増えていかないと思う。

しょっちゅう登場させられる夫や妹、娘も平気だ。偉いと思う。

時に本音でぶつかる友人なども「いいよ」と言ってくれる。

肝がすわっている。尊敬している。

精神だけでは生きていけない。

いつもバタバタと動いているので、今日は動かないと決めた。

最初は良かった。

3週間ほど前に知人からいただいたホルショフスキーが95歳で初来日した時の

カザルスホールでの演奏のDVDを見て、聴いてご満悦だった。

95歳と思えない力強くみずみずしい演奏に感動しながら、そのしわくちゃの手を

見つめた。

99歳まで演奏会をやっていた彼はレッスンと散歩は毎日かかさないと言っていた。

いい休日になるぞという予感があった。

ところが3時ごろだった。

毎日家にいる夫が「さすがに退屈する」と言い出した。わが家は家にいると、お互いに

背中を向けあって過ごしている。喧嘩をしているわけではない。まあ別々ということだ。

夫を無視して新聞をかたつけたりしていたが、だんだん、なんていうのかなあ。

整わなくなってきた。

なんとなく駄菓子を食べてしまったり、寒いので厚着をしているせいか肩こりが始まったり・・・・・

夕食をつくるころには体調も気分もサイアクで、なんとかありあわせでお好み焼きを作る

ことにしたのだけれど、出来は最低だった。

夫から「まさかこの写真載せないだろうね!」ときつく言われるほどの出来だった。

「載せるわよ。なんだぁ、自分のほうがマシってみんな安心するわよ」と私は屈託がない。

どこにも出かけないのんびりした暮らしもいいかもしれないが、やはり体を動かさないと

だめだとつくづく思った。

腰は痛くなる。肩はこる。無理はちっともしていないのに体調が悪すぎる。

これから何年働くか知らないが先が思いやられる。

人は精神だけでは生きていけない。

ブログにリンク

最近はブログにリンクをはることが盛んです。

リンクつながりでいろんな方がやってこられるのにはびっくりします。

ところで、ある方から「リンクをはってほしい」と言われたのをきっかけに

リンクはる方法を体得して、はってみました。

よく知っている方のブログやHPばかりですので、たくさんではありませんが、

気合いの入ったものばかりですので、またのぞいてみてください。

HPの時には、必ず相手方に了解を得てからというのがルールでしたが、

ブログの場合には勝手にはってもいいようですね。

気軽でいいなと思います。

いずれ本のご紹介もやりますので、みなさまのご協力もおねがいできると

大変ありがたいです。

今日から新しい年度

4月1日。新しい年度の始まり。

たくさんの新入職員が入って、あわただしい雰囲気に包まれた。

まもなくやめる私の名前は診療表からはずされ、机もなくなった。

10年前に人生の舵を大きく切って、今の地方に来た。

4年前にも舵を切って、大きな総合病院に変わった。

しかし今回は、何も変えることができなかった。

これからはもう、大きく何かを変えることは出来ないだろう。

しかし、行く末遠くを見つめながら、ゆるくゆるく舵を切り続けていかないと、

私は目的の地に到達しないだろう。

10年前から6年間続けたHPを復活させようかと思う。

実名入りのHPはしかし、とてもストレスになる。

本を出すことは、目的のように世間から見られる。

やったね!と言われるがそれは違う。単に出発点である。

本は誰でも作れる。お金さえあれば。

作るより、売るほうが大変である。

先日、割合名前の知られたプロの作家が「昨年の年収は300万だった」と

書いていた。

私などは持ちだしにつぐ、持ち出しである。

お金の計算をしていたら本は出せないが、やっぱり売れてほしい。

写真は遠くに見える雪の中央アルプス。

朝、この景色を眺めながら、ひたすら通勤路を走った。

             ☆    ☆    ☆

リンクのページを新しく作りましたので、よかったらのぞいてください。

ちょっと元気に。

このところの精神疲労で、昨日は12時間 寝た。

よっぽど疲れていたらしく、風呂から上がるなりダウンして朝まで寝てしまった。

今日はさすがに元気になった。

ところが仕事が思いのほか少なかった。

「こんな日、めったにないね」と看護婦さんと手に手をとって、病院を離れた。

行くところがなくて、わが家に来ていただいた。

レモンとイチゴがうれしいらしく私たちから離れようとしない。

猫だって、やっぱり女性が好き、華やかなのが好きなんだ。

看護婦さんが帰ったあとも、まだ陽が落ちない。

本を読む時間まであった。うれしかった。

こんなに早く帰宅していても、夕食をゆっくり作ろうという気持にはなれなくて、

例の「3点セット野菜とキャベツだけ料理」にした。

買い物なし、簡単料理を必要としているのは、

奥さんが病気になった私の患者さんではなく、実は私自身だったのだようやく気づいた。

「わたしは簡単料理研究家よ。だって、料理きらいだから」と看護婦さんに言うと

「簡単にしようと研究すること自体、好きな証拠だ」と言う。

でも、好きじゃない気がする。

「簡単にしよう、しよう」と一生、その研究をしている気がする。

これって、本当は好き? それとも嫌い?

自分でもわからない。

わたしの娘も妹も「料理なんて苦にならない」と断言しているから

やっぱりわたしは好きなほうじゃないと思う。

「一生、料理を作るのは嫌。老人ホームに入るのが夢」といって

はばからなかった私だが、最近その夢を返上した。

20年後30年後には老人が増えて、しかし老人施設のスタッフがほとんどいないという

状況になること。

スタッフのいる施設はお金が高すぎて入れそうにないことがわかってきたからだ。

一生、料理を作るしかない、と覚悟を決めた。

どんなに疲れていても簡単に作れる料理をこれからも研究したい。

運命のいたずら?

運転免許の更新に塩尻まで出かけた。

せっかく40分もかけて走ってきたからと思い、街を歩いてみた。

塩尻に来ることはまずない。でも思い出が少しある。

☆      ☆      ☆

12年も前のこと。当時、大阪に住んでいた。

あるサイトで知り合った塩尻の男性とメールでつきあっていた。

私が出不精だというと、その人は「塩尻まで来させて見せる」と意気込んだ。

その一言で私は彼をふった。

強制されることが、人一倍きらいな私なのだから。

塩尻なんて、どこ? まわり中、山に囲まれた田舎町?

何で私がそんな田舎町に行かなきゃいけないの。いやだ、行くもんか。

そう思ったことを覚えている。

そのあと、今の夫と知り合って、結婚した。

塩尻なんか比べものにならないくらい、もっともっとド・ド・ド田舎の、年よりばかりが多い、

コンビニもない田圃と山にばかりに囲まれた人口3000人のちいさな村だった。

大阪の友たちが、「なんでまた? うっそでしょう?」と信じてくれないくらいの田舎だった。

大阪と山梨を電車で週一で通った。夫は毎週名古屋の手前まで迎えに来てくれた。

☆      ☆     ☆

夫のハイな気分が少しさめてきたころ、突然言われた。

「塩尻まで来てくれると助かるんだけど・・・・・・・」

私はわが耳を疑った。なんで塩尻なの?

関東圏の山梨が日本のど真ん中に位置する塩尻とかいう町と、なんか関係ある?

それがあったのだ。

大阪からは山脈が邪魔になって、ぐるーっとまわりこまないと東京方面には来れないのだ。

私は毎週金曜日夜11時半、塩尻の駅に降りたつこととなった。

「塩尻に来させてみせる!」といったその前の彼の言葉が的中したのだ。

ぜったい来たくなかった町に。それも毎週、苦労して。

「偉そうなこと考えてるから罰があたったんだよ」と夫から笑われた。

自分でも可笑しすぎた。

☆      ☆      ☆

免許更新で塩尻の町を走りながら、その人もこの町に住んでるんだなあと思った。

大学に勤めていると言っていた。

小学校4年の男の子と暮らしていると言っていた。

指で数えた。もう成人して、大学を卒業するころかしら。

塩尻にうらみがあるわけじゃない。

でも中学校の教科書に出てきた塩尻市はとうてい魅力的と思えなかった。

☆      ☆      ☆

街を歩くと、友達が教えてくれたうなぎ屋さんがあった。

鯉の炊いたのを売っているおかず屋さんがあった。鯉を買った。

入りやすそうなレストランもあった。

青果店でりんごを買った。

好きな映画を上映している映画館も、この街だ。

どこに住んでも似たり寄ったり。歩ける範囲なんてどうせ限られている。

ぜったい来たくなかった街、塩尻を歩いて、買い物して食べている自分がいる。

診療所にて

今日は村の診療所での仕事でした。

とても温かく、そしてひなびた小さな診療所です。

私はここで仕事をする日が一番好きです。

スタッフとも、患者さんとも、かなり本音で向き合える場所です。

☆    ☆   ☆

ある患者さんに小冊子を見せて「もうじき本になるのよ」と言いました。

彼女はびっくりしながら小冊子を見ていました。

「本当に先生が撮った写真? 先生っていつもチャカチャカと動いているし、豪放磊落に

見えるけどこの写真、全然わたしたちが見てる先生と違いますね」と言うのです。

「この写真の目線、好き。見ていてほっとする。先生ってこんなに優しい面があるのね」と

言います。

わたしは「そうなの。すごく神経質なの」

スタッフも「そうそう。まわり中の人にいつも気を使っている」

私「これ、欠点なの。余計なことまで気を使うの。困っているの。震災のあと特に、疲れるの」

そんなこんなをぶちまけることもできる雰囲気なんです。

☆    ☆   ☆

そうこうしているうちに、同僚の女性医師が往診から帰ってきました。福島の、海から100キロの

ところに親と姉妹が住んでいて、半被災状態なのです。最初はパニックっておられたけど、

今はどんと構えています。

「原発のことで疲れてしまうんです。だんだん状況が悪くなる気がして」と話しかけました。

彼女は原発の近くで生まれ育っただけあって、たくさん勉強をしていました。

「最初から反対だったの。いつかはこんなことになるだろうと思っていた。こんな負の

遺産を子孫に残すことはゼッタイ出来ない。それくらいだったら今の快適生活は手放しても

いいと思っているの。

だからいずれ反対運動をするために帰ると思う。家をこちらに建ててるから、ときどき帰って、

反対運動だけはするわ」と話してくれました。

私は「原発のことなんか、今まで考えたこともなかったの。だからこの事態を受けとめがたくて

苦しいの」と打ち明けました。「大丈夫よ、一緒に考えていきましょう」と言ってくれました。

とても落ち着いて話してくれたので、私もなんだかたのもしく、うれしかったです。

20才も年下の先生です。

いつもは私のほうが偉そうにしていますが、でも今日は彼女のほうが20才くらい

年上に見えました。

看護師さんもとても優しいです。

看護師さんたちはたまに来る私の存在が刺激になるようで、私は看護師さんや、

ここの医師の優しさや率直さにいつも痛んだこころを治してもらうのです。

この診療所がとても好きです。

大切な職場のひとつです。

ちょっとした思い

 

今朝、仕事にでがけに「そうだ、誕生日だ」と突然思い出した。

きりの良い数字だし、今日はさすがにたいていの人が仕事をやめる年齢だ。

なので、ちょっと深い思いがあるのだ。

私のブログを見てる方も、誰も私の年齢には到達してんぞ、エヘン!! 

といばりたくなる。

大変なんだぞ、生きてるだけで。 私より若いくせにエラそうなこと言うなよ。と

釘をさしたくなるような年齢だ。自分でびっくり。

ベランダでわが子と共に、夫に記念写真を撮ってもらった。

これから。

ランチや芝居見物や旅行三昧には.

・・・ならない。

習いごとは・・・・・・しない。

ボランティアもしたいけど、もうちょっと先でもいいかな。

じゃあ、また 仕事だけ?

う~ん、そればかりもねぇ・・・・・・・いばってはいるけど、困っているのは。

実は自分だ。

まあ、今日はちょっとした感慨があっただけ。

あっという間に夜が更けた。