わたし、出会ったかもしれない・・・・・

ピアノを習い始めて、8年が経過したことは、以前に話した。

8年の間に3回挫折して、今4回目。つい一ケ月ほど前から初級の初級を4度(たび)始めた。

8年のうち、ピアノを弾いた期間は、ほんの2年半くらいだ。

だから休んでいた期間のほうが多い。

子供だったら無心でできる。

おとなであるが故に迷いが生じ、飽きが生じて、ういういしい気持ちになれないでいた。

また暮らしにも変化があり、いつもピアノを弾く時間があるとはかぎらなかった。

8年の間に、習った先生の数が9人。

出会いを求め続けることだけはやめていなかった。好奇心があり、行動的なのだ。

最近、とうとう出会ったかもしれない。

「習っていて楽しい、すばらしい」と思える先生に。

連れ合いをさがすのでもいい、主治医を求めるのでもいい。友達でもそうだ。

相性ってあると思う。

相性のあう関係を求め続けることに貪欲である私。

しあわせを求める力が誰よりも強い私。

そんな自分が好きだ、と 言いきる私を、夫は「ノーテンキ過ぎてしあわせだ」と言う。

私の自己肯定感の強さは、幼児の時からの生い立ちに関係していると思っている。

育てられ方って大事だとつくづく思う。

初心に返ってビョーキを治す。

何事も、治りの悪いときやうまくいかない時には、初心に返ることが一番だ。

心の病気を治すときにも、基本をおろそかにして、早く早くとあせるから治りが悪い。

治りが悪く長引くほど、こじれているから、ますます始末が悪くなる。

口を酸っぱくして言っても、わかってくれる人は少ない。

しかし、自分のこととなると話は別。

自分がこれほど自分をわかっていないとは思っていなかった。

熟年になってから始めたとは言っても、器用だし飲み込みも早い。

それに、3年もしないでショパンの夜想曲原曲を弾けた人なんて、まあいないだろう。

自分を評価していたが、実力がなく形だけだった。おとなだからってプライドばかりが高いのだ。

いや、ピアノの話である。

早く上手にとあせってばかりで、実際は中断につぐ中断、今ではドレミくらいしか弾けない。

とうとう観念した。

バイエルなんて、と 馬鹿にしていたが、そのバイエルの初歩の初歩から始めることにした。

5、6才の子供がやるところである。

それでもいい、いや、もう それしかないと観念した。

8年もたって、ようやく納得したなんて、馬鹿みたいに回り道した。

病気が長く治らない人も、こんな感じになっているんだろうなと思う。

♪♪どれみふぁそらしど♪♪・・・・・・と弾いていると、易しいので気分が良い。

いらいらすることもない。

やはり「自分を知る」「初心にかえる」大事なことだ。

仕事では「わたしは出来ません」と言えない場所にいる。偉そうにしている。

だからこそ、こどものように、若い先生に注意されたりしかられたりしながら、ちいさな子供と肩を並べて

「生徒」になって「学ぶ」時間が貴重だと思う。

何より楽しみながら。