わたしも写真女子?

写真と言えば、男性の趣味だった時代は終わった。
高校生写真甲子園の応募も入賞も8割が女の子になっているという。

女性のほうが自分を表現したいという気持ちが強い。
そのツールとして、写真を用い、高いコミュニケーション能力を発揮する。
新聞には、そう書いてある。

プロのような写真を撮るという時代は終わりつつある。
高校生の撮ったという、この母と子の写真。

プロでなくても感動的だ。
というより、素人のほうが感性の点では、優れている場合もある。

これはわたし。
先日、プロの方にこのカメラで撮っていただいてから、調節がおかしくなった。
白っぽい写真しか撮れない。

写真を趣味とする男性方へ。

プロのような写真を目指さず。
あなたの感性を発揮してくださいね。

時代はどんどん変わっていますよ。

今日のフェイスブックより引用

ただいま~ 
喫茶店でひと仕事してから。
ひさしぶりに友人の家に行った。
ペンションをしてるので、夏の間、会えなかった。
一番のともだち。ピアノの話。電子書籍の話。猫の話・
楽しかったです。

今朝、夫が出かけた。
鼻唄を歌っていたら「ぼくが出かけるの、そんなにうれしいの?」と
聞かれて・・・・・・
みなさん、どうですか。 
みなさんはさびしく感じるでしょうね。
愛があるでしょうからね。

以下 コメント

Eさん:そう言える事に愛を感じます♪

わたし:Eさん、こんにちわ。夫がね、一泊ニ日で、旅行に行ったんです。
    わが家は夫が主夫。それにきわめて口うるさいの・ 
    (まあ、私が抜けているからなんですけどね)昨日から、
    どうも鼻唄ばかり歌ってたみたいで・・・・・自分ではきづかなかったの。
    で「うれしいの?」って言われてびっくり。なんだかわたし喜んでいる
    みたいなの。ふふふ。

Eさん:あやこさん、うふふ〜〜♪

わたし:Eさん うふっ!(ここ、男の人、あまり読んでないよね、うふっ♪♪)

Eさん:あはは〜〜♪

私:ふたりでおはなし・なんだかたのしいね♪♫•*¨*•.¸¸❤¸¸.•*¨*•¸.•*¨*ི♥ྀღ •♫♪

  おなかの皮がよじれてしまったふたりでした。(おわり)

Uさん:わかりますよ。うん、うん、大いにわかる。

Mさん:わかる、わかる。

Yさん:ギャ,、’`,、!!ヾ(T∇T)ノ彡☆バンバン!! 
    それ同感だったりしてダメかな・・・( ̄ー ̄)ニヤリ

Sさん: 夫さま クシャミの連続かもね(^_-)-☆

Iさん: だー(りん)車中「あやこさん。ごはんできるのかなぁ。
     毎日マックはないだろうね。
     イチゴととレモンが心配だにゃ~」なんてね(→ܫ←)♡

私:  あれれ? 見えるの? ごはんは作ったけどサ。

Iさん: 「あ~よかった!」

私: マックなんてないもん。まわり山しかない(→ܫ←)♡ ← これ盗んだ。

Tさん: レモンくんといちごちゃんと楽しいお留守番かしら?

とまだまだ続くのでありました。

えっ?

暇だねって?

お金かからないし、家事やりながら頭の体操。

コメント返すのって頭使うんですよ。私以上にも以下にもなれません。

きわめて高級な(疑問の声あり)頭の体操です。

中学生で受けた「日記療法」

今、球技大会のことでクラスがもめています。今日はちいさなけんかになりました。
わざわいは口からと言うが、Y子さんも私ももうちょっと口をつつしんでいれば
良かった。
私たちはよくけんかみたいになる。けれど、わたしはあとまでネチネチしない
ほうである。
今回もなんとも思っていなかったのに、Y子さんが私とはもう口を聞かないと
いうので困っています。
声をかけても、ロクに口をきいてくれません。そこで私も腹をたてて、口を
聞かなくなりました。
今日も仲良くしようと思って近づいていったら、廊下でであっても、こちらを見て
じっとにらんだのでわたしはつい声をかけそびれてしまいました。
こんな喧嘩はもうしたくないと思います。もう口を聞かなくなって
12日にもなるのです。
先生。
今日はこころにわだかまっていたことを全部日記に書いてしまいました。
だから私の心から出てしまったのです。
あしたはもう。わたしとY子さんの明るい笑い声が教室から聞こえてくると思います。
先生、見ててくださいね。
         
      ☆     ☆     ☆

中学二年になった春の日記である。
Y子さんとはそのころの一番の仲良しで、東京に住んでいるので、
今も続くおつきあいがある。ときどきお手紙もいただく。
このブログも読んでくれていると思う。
毎日の日記に、赤ペンで先生の丁寧なコメントがつけられている。
友達とのいざこざ。
気分がすぐれなかった日のこと。
つばめが巣を作ったこと。
なんでも話せて、心から笑える家庭を作るのが夢だというようなこと。
家庭が不幸なので、かわいそうだと思う友達のこと。
進路の相談。
      
☆     ☆     ☆

「毎日、この日記でけんかがおこる。
「なあ、見せてんか」と誰かが言う。「いやや」ともうひとりが言う。
見せて、見せないでの喧嘩が毎日2回はおきる。
女の子は本当にねちねちとなんでも喧嘩の種にしてしまう。
そして、泣いたり笑ったりをくりかえしている。
わたしはあっさりした性格だし、なんでもしんぼう、しんぼうと言い聞かせて
いるのだけど、見てるだけでも大変です。
先生、わたしは男の子に生まれてきたかったです。
男の子はなんでもすっきりさっぱりとしているのでいいなあと思う。
神様、今度生まれてくるときは、男の人間にしてください。

なんていうのもあって、笑ってしまった。
先生のコメントは「男、女は人間の宿命だから仕方ないよ」と書いてあった。

中学1年から3年間、こんなにしあわせな出会い(先生と生徒)があったことに
心から感謝した。
       
        ☆       ☆      ☆

感謝という言葉はこんなときこそ使いたい。

「アフタークリニック」の夢をふたたびーNo.2

「ある試み」と言いました。
インターネットで「診療」「相談」をする試みです。
12年前に志しましたが、うだうだするうち、あっという間に12年です。
鳴かず飛ばずのHPやブログを細々と続けるだけが精いっぱいの12年。
あまりにもあっという間のこの年月でした。

しかし突然、この「試み」を書いても不思議に思われると思うので、若いころ
のことから書くことにします。

興味のある方は読んでくださいね。

高校のとき進路を保健師や薬剤師などの医療職に決めました。
医学部はまったく選択肢に入っていませんでした。
ところが父から「同じ医療職なら医者が一番働きがいがあるんじゃないか。
医師は人間の汚い面ばかり見る仕事だが、それがいやでなかったら医学部を
受けたらどうだ」
というのです。

受験間際になって医学部を受けることにしました。

「医者はいろんな働き方ができる。研究者にもなれる。専門分野も多い。
手塚治みたいに、最後には漫画家になる人だっているんだ」
自分で納得した理由がそれでした。

またまた遡ります。

中学2年のときの日記に「わたしは、わたしの長所、自分らしさを生かして
仕事をしたい。それで社会の役に立ちたい。結婚はしたいけれど、自分を生かす
仕事のために結婚できなかったとしたら一生、独身でもいい」

そんなことをきまじめに書いている少女でした。

「女性でも手に職を!」とおおっぴらに言われるようになった一番最初の世代です。

卒後すぐ、研究者を目指しました。
けれど研究者は合わないと思い、臨床医に方向転換しました。

精神科医になったのは、手が不器用で、立ちっぱなしで脳貧血をおこす、やわな
身体だったから。
手を使わなくていい、座ってやれる仕事で、末長く仕事をしていこうという理由だけです。

本当に、そういう消極的消去法で決めたのです。

当然、精神科医になった後も、働きやすい方法、働きやすい病院、
自分を生かして働く。

そのことを一番に考えていました。

医学部を出ても医局にはいらない人などほとんどいなかった時代に、
医局には入りませんでした。

自分の働き先を、教授に決められるなんてとんでもない、という理由です。

また、働きやすい病院を見つけたあとも、そこに安住することを
良しとしませんでした。

県立病院にいたときには「こんなに働きやすい病院はない」と思っていましたが、
「安定して過ごすのは、自分の成長につながらない」
「いろんなことをためしてみたい」

それだけの理由であてもないまま思いきってやめました。

みなさんに言われます。

あなたね、医者だからやれるのよ。

医者だからよ。

そんなこと、なんの関係もありませんよ。

医者でなかったら、もっと簡単にやめて、やめて自分の道を手さぐり
していたと思います。
医者は責任があるので、むしろ簡単にはやめれません。

公立病院にいたときには、治療という枠組みの中で、いろんな試みをしました。
院長から「あなたの病院じゃないっ!」と一喝されるほど、改革に熱心でした。

けれど、ひとり社会にほうり出されてからは、自分を実験台にして、
「社会復帰訓練」を続けたようなものです。

いつも考えてきたこと。

それは、自分が楽しく、自分がもっとも生かされる立場に立つこと。

インターネット診療を考える直前には、自由診療をためしました。
ちいさなアパートに一室を借り、カウンセリング主体でやりましたが、
自由診療の根づいていない日本の地方ではやっていけず、一年ほどで閉じました。

この自由診療のことはすっかり忘れていましたが、最近になって思いだしました。
ですから「試み」は他にもあったかもしれません。

「なんでもやってみる」主義のわたしも、

そろそろ年貢の納め時だと思っています。

ある人から言われました。

「失敗だと思ってもやめなければいいんだ。手を変え品を変えて続けるということが
肝心なんじゃないか」

そうかもしれません。

言われてみて。
長い時間をかけてきた今、初めて見えることがあります。

インターネットが好きだということです。

リアルなつきあいより、インターネットのほうが好き。

これはわたしにとっての真実です。

フルタイムの仕事をしながらHPを更新し続ける。
「大変」の一語です。
HPやブログを「見えない相手に向かって発信し続ける」
それを一貫して続けてきたじゃないか。

きっと好きなんですね。

鳴かず飛ばずでやってきた自分を、今日はそうやって

うんと肯定的にとらえてみました。

「アフタークリニック」への夢をふたたびーNo.1

「アフタークリニック」とは何だろう。
これは私の「相棒」の造語だ。

わたしの精神科医歴は長い。

私立の大きな精神病院。県立の大きな精神病院を経て、開業した。
開業は正直、大変だった。
男性には助けてくれる「妻」のいることが多い。
雑用やナースへの対応など、こまごましたことを夫婦で協力している。
私の場合、クリニックの診療と経営や人事のすべて。
それに子育てや家事が加わる。

ある日の夜。
仕事を終えて、スーパーに寄った。
ぼろ雑巾のように疲れていて、駐車場を見まわすゆとりさえなかった。
一番近くの障碍者マークの駐車スペースに車を入れた。

その時。
突然、近くの止まっていた車から男の人が顔を出して。

「バッカヤロー。てめえ、障碍者かあ」と叫ばれた。

ものすごく怖かった。
びっくりしてそのまま車を移動した私は・・・・・
駐車場のはしっこに車を止めて泣いた。
患者さんに負けず劣らずこころが弱っていた。

「障碍者の方より、わたしのほうが疲れているのに」

つくづくそう思った。

精神科のクリニックが流行りだす前だったので、最初の経営は大変だったが。
時をおかずして、患者さんであふれるようになった。

しかし、患者さんを診ることも大変だけど、スタッフに対する心遣い。
これがまた気を遣いすぎる私にとってストレスとなり、クリニックを大きくすることは
私には合わないと思うようになった。

わたしは金沢のクリニックを友人に譲った。

後半の人生をどこで送るか考えたとき、老親のいる滋賀に近い大阪を選んだ。
大阪に再び、ちいさなクリニックをつくった。
場所は大阪のド真ん中だったが。
ナースをおかず、受付の女性とふたり。たった10坪のちいさなクリニック。

医師が開業することさえ多くはないのに、生涯で2回も開業した医師なんて
いないだろうな。

大阪のクリニック開業は12年前平成10年の秋だった。

そのとき、ある試みを始めた。

過酷な運命

今日は、結婚されたばかりの若い女性が。
脳に腫瘍ができた後、手術をされたが。
不安障害を併発して診療に見えた。

過酷な運命だと思った。

視線をあわせるのも辛かったが、しっかり見て話した。

付添いのお母さんの気持ちを考えると胸がつぶれた。

けれど、過酷な運命はだれの元にも容赦なくふりかかる。

自分だけのがれることは不可能である。

毎日そう思って生きている。
ふだんから練習しておくと、過酷な運命に見舞われても、
仕方ないか。
自分だけまぬがれるなんてありえないもんな、と思えるようになれる。

悪いことは考えない、という考えもあるようだが。。。。。
そんな人に何かおきると立ちあがれない。

わたしは人生の酸いも甘いも誰の身にも起きること、という
ふだんのレッスンが大事だという立場をとっている。

無理にフタをして、プラス思考を謳うことは、まやかしだと思っているから。

その前提の上でで明るく生きていけばいいんだよ。

美しく老いる

私の患者さんNさんは、原因不明で突然不眠症に。
そこで私の外来にみえた。
それ以来のおつきあいである。
お宅にうかがって、中華料理を習ったこともある。
中華はプロ並み。

今日はその方の外来日だった。

いつもお洒落である。

お洋服は、30年前に亡くなった最愛の(ここがポイント)
ご主人ご存命のころ買われたもの。
たしかに今風ではないが、着こなしがうまい。

美しく素敵に老いることが目標だという。

じゅうぶん、素敵ですよと言って、写真を撮らせてもらった。

ひとり暮らしをうまく管理されている、もうじき80才。

80才ですよ。もう、完璧お手本です。

すばらしいお写真を、自由に載せていいという。
考え方もお若い。

英語が堪能で、しかし何よりこの笑顔がすばらしい。

パソコンをされないので、息子さんのおうちにお電話してブログを教えた。

N さん 見てください。ますます若くすてきでいてください。

遠くに住まう息子さんや娘さんにも、お母さんの姿、見ていただいてね。

助けてもらえる能力

台風一過の夜。
当直なので、何気なく新聞を読んでいた。

育児ノイローゼになったという誰か著名人のエッセイだった。
こんな言葉がのっていた。

足りない、能力がない。知らない。
それは、人からもらえる能力に変換できる力があるということ。

いい言葉だと思えた。

女性の患者さんの多くに彼氏や夫がいる。
彼氏を見つけてくる力は、健康なキャリア ウーマンよりずっと上だ。

理由がわかった気がした。

患者さんの多くは、病気でいろんなものをなくす。
仕事や能力を失う。

でも、それが男性から見たら「与えてあげたい」
「助けてあげたい」と思える。
相手が入ってこれる場所を空けていてくれるんだ。

男性と縁が遠いと思ったら考えてみてほしい。

男性が入ってこれる場所を、自分からふさいでいませんか。

失ったり、能力がなかったりする自分を。

率直に認めるとたくさんの人が助けにきてくれるに違いない。

わたしの大切な仕事

今日いらした患者さんは、わたしのブログの愛読者さんだった。
わたしの本を買ってくださった。
アマゾンにレビューまで書いてくださった。

その方が、わたしのブログは短い診察をおぎなうものだとおっしゃった。

短い診察は、わたしだけにかぎったものではない。
一時間6人の患者さんを診ていかないと、経営が成り立たない。
私は4人の方しか入れていないが、それは特別だ。
4人でも、ひとり10分。
6人だと、ひとり数分だ。

なぜなら処方を書いたりする事務的な時間が相当あるからだ。
10分では、ゆっくり話す時間なんてない。

どの医者も、時計とにらめっこだろう。失礼な話だ。

だけど、診療報酬が安いから仕方ない。
患者さんのほうも、安いことはわかっていてほしい。

さて。

立派なホーム ページができて大喜び。

フェイス ブックにも ファンページができた。
早速、好きな写真を載せた。

アーティストの方から、とてもおほめの言葉をいただいた。
写真のプロとしてほめられたのではない。
素人だからほめていただいたと思う。

不思議なものだ。

ほめられた途端。

カメラマンになりたい夢が満足してしまった。

自分の本業に力を入れたい気分になれた。

せっかくのホーム ページを使って、なにか、日本国中で横行している

短い精神科診察をおぎなうことをしたいなあと思えた。

階段をひとつでも上に上ると。

違う景色が見えてくるんだなあと思った。

☆   ☆   ☆

「くもりのちしあわせ」を「お気に入り」の登録お願いします。右に入り口あり。

わたし、透明人間になる。

今日は休みだった。9月から少しだけ働き方を変えた。
当直入りまでの間、自由時間だ。
うれしい。
ウイークデイの休日は数年ぶりなのだ。

わが家は夫がずーっと家にいて、おおざっぱな私と違ってけっこぅ小うるさい。
そこで朝食のときに宣言した。

「わたしは今日は透明人間よ。あなたからは見えないからね」

昼ごはんの時に「今日は女房はいないしなあ。どうしようかなあ」と言っている。

私は知らん顔をしていた。

だって、透明人間だから、夫からは見えないはずだ。
ときどきやる透明人間ごっこは楽しい。
家庭内別居の人なんかもたまに「透明人間」になればいい。

それぞれが勝手にひとりごとを話した。

家にいることも好きだけど、用事があったので出かけた。
そのうちのひとつは、近くのちいさなレストラン。
私の写真を展示してくれている。
ひさしぶりで覗いたら、本が売れたので、もう10冊ちょうだい、と言ってくれた。

出版を通じて、いろんなひととつながっていっているので。
けっこう楽しんでいる。
あれだけ嫌だった講演もやってみようと思っている。

稲穂が色づいてきた。
空が広い。