わたしが再婚した理由(わけ)

わたしの現在の結婚は、8年前の再婚です。

花の都会で「仕事」にも「お金」にも「住まい」にも「友人」にも不自由してなかったんですよ。

証人、います。 

なのに、何を思ったかクリニックまで閉めて単身、信州の山の中に来てしまったの。

いくら夫がいい男(???)だったとはいえ、そのいさぎ良さたるやちょっと不思議と思われる

結婚です。

結婚した理由は、自分でもわかってはいたのですが、今日はあらためて再確認してしまい

ました。

わたし、弱虫だし、ひとりはこわいんです。さびしいし、料理を作る気になれないし、遊ぶ気に

さえならないんです。特に料理する気にまったくなれないのは困ったものです。

 いえね。今日、結婚以来初めて、夫が家にいないの。大腸にポリープができて2泊3日で

入院したんです。入院を勧めたのは私ですが、勧めてから「シマッタ!ひとりになるじゃあな

い」って後悔したけど遅かったの。

夫は「おかしい」って言うんです。気が強くてしっかり者で、口達者なわたしが、今夜は別人み

たいに 弱弱しくて元気がないから。

お・か・し・い・で・す・か?

でもね。「70才からの老い支度」って本を読んでいたら、まった く同じことを書いていたし、知

り合いのナースも同じことを言っているし。

音がするだけでこわいんですよ。子供のころの 心的外傷でもあるんですかね。

        ☆      ☆      ☆

でもでもでも。知り合いの女性なんですけど、夫を都会において、奥さんひとりで 私の住ま

いよりまだ山奥の、しかも 周囲にまったく家のないところで住まっているんですよ。

そんな女性が、もうひとりいます。周囲一キロに 人家がないって言ってる。ぜんぜん淋しく

ないって。

同じ女性で、どうしてこうも違うんでしょうね。

ホント、人間って見かけではわかりませんね。

ああ。今夜は夜が長いです。

        ☆     ☆     ☆

こんな日は友達のところに泊まりにいけば?って 思うでしょ? 私もそうしたい。

 でもね。自分でがんばってみたいの。だって これって ほとんどビョーキでしょ?

治さなくっちゃ!

ライフワークバランス

住まいのあたりは高原なので春が遅い。
今日は雪が降った、ちょっと愕然とした。
桜なんてまだまだ見ようも出来ない。

 3月まで、何十年とフル回転で働いていたが、思いきって4月から休みを多くした。
まだまだ常勤で働ける年齢なのだけど、思いきって少なくしようと決めたのだ。

 ところが、長年常勤で働いてきた身には、パートというのが、いかにも肩身が狭い。
机さえない。名前も知られないし、責任を持たせてもらえない。

病気というのは、曜日や時間を選ばない。
だから常勤ということは、「夜も日曜日も責任を持つ」ということだ。

ところが「夜も日曜日も責任を持つ」ということは並大抵のことではない。
わたしにとっては、今までも一番苦手なこと。

だからできたら「日曜日も夜も責任を持たなければいけない」常勤医の 助っ人でいい。
それくらいが気持ちが楽。

そう決めてパート医を選んだのだけど、まだ時々、欲や迷いが出る。

欲が出るのは、精神科医というのがどこでもひっぱりだこだからだと思う。
「来てほしい」「もっと働いてほしい」と言われたら悪い気がしない。

 でも、本当にいい仕事をしたいと思ったら、時間的には ちょっともの足りない、って
いうくらいが、ちょうどいいと思う。

だって、医療器械なんだもの。
精度を保とうと思ったら、これ以上仕事を増やしたらだめ。
そう言いきかせているわたし。

友人たちは「もっと遊ばなくってはだめ。働き過ぎよ」って言うんだけど、

働くことが辛いことで 仕事をやめたら 楽しいことばかり待っているわけではないと思う。

やっぱり 仕事と生活のバランスが大事。ライフワークバランスの良いことが 一番だと思う。

                           ☆      ☆      ☆

ところが、がむしゃらに働いていたときには、何かを埋めるように、ホームページを整備したり
ブログにもがむしゃらに何か書きたかった。

なのに、仕事に余裕が出たら、あまり書きたくない。
なんか憑き物が落ちたような気持ち。
ブログを再開したばかりなのに スミマセン。

今日は久しぶりで ピアノを弾いた。楽しかった。

仕事と 私生活の間で 揺れ動くわたし。

でも、いかにも わたしらしくて いいではないか、と思うことにしよう。

「医療器械」の不調

精神科医の見立てや治療は、他の科のように血液検査や内視鏡というわけにはいかない。

精神科医の検査器具・治療器具は「自分の体」。体しかない。

しかも、相手はもっとも傷つきやすい患者さんだ。

だから、少しでも体調不良だと、見立てはともかく、治療の際に影響してしまう。

疲れているときの一番の失敗は「つい一言多くなること」

「口は災いの元」を地でいく結果になってしまう。

人間は疲れてくると、おしゃべりになる。年とるほどにおしゃべりになるのも
抑制がきかなくなっているからだ。

抑制をきかして人の話を聞くためには、体調が良く、しっかり抑制がかかっていないと出来ないのだ。

だからふだんからものずごく、神経質なくらい体調管理をおこなう。

日曜日は、たいてい「医療器械」の整備に追われるというわけだ。

             ☆    ☆    ☆

このところ気分がぱっとしない。

でも今日は久しぶりで ひじきの煮物を作った。

料理できるということは、わたしの理屈からいくと疲れているわけではないのに。

なぜだろう。

人間は「自分を知る」ということがもっとも難しいと思う。

天気のせいにはしたくないが、各地で桜が咲いているというのに今日はこちらは雪模様だった。

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冷たい医者

8年前から勤めていた病院を、3月一杯でやめることになって、患者さんたちと
お別れの挨拶をすることが多くなりました。

若いころからこれで5つ目の病院。これから働く病院は 6つ目です。

精神科医としての治療は、できるだけ医療の分野をはみ出さず、あっさりあっさりを心がけて
いますが、人格と人格のふれあいの中で治っていく方も多く、精神科医と患者さんのつながりは
どの科にもまして深いものがあります。

ですから、長く勤めた病院をやめたり、開業を閉じたりするたびに、患者さんたちにはとても
さびしい思いをさせてしまいます。

それでもあえて、わたしは病院を数年から十数年でやめてしまいますし、新しい病院に患者さんを
ひき連れていくということをしません。

患者さんの人生まで背負ってしまう状況がおきてきがちな中で、だんだん肩の荷が重くなって
きます。
反対に、患者さんの側にとっても、どんなに良い医者だと思ったとしても、別れを経験して、また
新しい出会いを持ってほしいと思う。

わたしという主治医と出会ったことで良くなっていった、と思う患者さんでも、別れて数年もすると
わたしと別れ、別の医師とであったからこそ、ということをたくさん経験して成長されています。

精神科医なんて、ずーっとつきあっていくものではありません。
忘れられていくのがいいと思う。

というのが、わたしの 美意識です。

大学や就職で家を離れていく子供を見つめるときの母親の気持ちに似ていると思う。

こころの治療は 子育てと同じだから。

                 ☆      ☆       ☆

もっとも、患者さんのために変わっているのではないのよ。動機は自分。

自分が生かされていない、馴れ合いになっているなど感じ始めると、

あえて環境を変えたくなる。

「変わっていく自分」「成長していく自分」を見たくなる。

楽チンで楽しいとか、裕福であるとか、地位や名誉があることより、

「好奇心を満たす」ということが、わたしの人生では 一番大きな要素を占めて。
その誘惑に勝つことはできない。

人生の転機?

ずーーーーーっと仕事仕事で走り続けていて私に、とうとう転機が訪れました。

4月から仕事量を減らせられる状況がとうとう到来したのです。

もちろん「常勤で働いてほしい」という要請があり常勤に魅力を感じます。

でも昨夜から考えに考え、出した結論。

これからは 時間的余裕を持って働こう、ということ。

        ☆    ☆    ☆

「いつまで働いているの。人生、楽しまなくちゃあ損よ」というアドバイス

      でも、仕事する人=楽しんでいない、 というわけではないね。

「年なんだから 健康第一、無理しないで気楽に」というアドバイス

      病気するのは、働いている人も働いていない人も確立は同じですよね。

                健康は大事ですけど、働くとなったら 気楽には働きません。

定年になった人には時間がたっぷりあるから なんでもできる。

しあわせなことに違いない。

でもわたしの場合は 定年になったら・・・・と夢見るより、もうちょっと先を見たい。

「80才になったとき、何に熱中し、何に誇りを感じ、何を楽しんでいるか」

もう一度、自分の将来の姿を心に刻みながら 今日明日の生き方を見直そうと思っている。

ブログでデトックス

一年ぶりでマイ ブログを再開しました。
誰にも教えていないので、見ている人は多分、ほんの数名のはず。
でも、誰か見つけてくれるかな、というひそかな楽しみもあります。

毎日毎日、診察に明け暮れています。
そこでは 人の話を聞くばかり。どんどん何かが溜まっていく・・・・・・・

だから自分は自分でデトックスしないと自分がだめになるの。

最初はね、エッセイでをまとめて本を出したい、その場としてブログを考えていたの。
でも、今は違う。
ただただ デトックス(笑)

パソコンの先生がね。
「こころのエッセイと暮らしのあれこれは 別のブログにしなさい」って言うの。

でも考えてみたら、このブログはわたし自身を表現する場。
わたしの頭の中には、いろんなことがゴチャゴチャまざっているから
ひとつのブログの中に エッセイあり 景色あり、料理あり、自分史あり。
それでいいと決めたの。

何かを発信したいという目的というより
わたしが唯一「ひとり」になって、自分のこころと対話するための場。
だから夫も子供たちも、わたしの近しい友人たちも仕事の仲間もこのブログ、知らないの。

「夫がね、家内がね、子供がね、孫がね・・・・・」って言う話ならカンタン。

ごめん。大事なことだと思うよ、だれにとっても家族って。
でもね。それって相手が聞きたいこととはかぎらないって知ってる?
「あなたは何を考え、あなたはどうしたいの?」って聞き返したくなる。

 何を感じ、考え、どう生きる人なのかを語れる人でありたい。

とは言っても、日記と違って、「読者」がいてこそのブログ。
読んでくださったあなたに感謝しています。