わたしの妹自慢(自慢することなどない私の)

わたしは自律神経がやや過敏な体質です。
仕事中はかなり交感神経優位になります。

今日は帰宅して玄関をあけると、鶏肉の焼けるいい匂い。
妹が来ていたのです。

あ、あげ膳すえ膳だ! こんなうれしいことはありません。

栗ごはんに中華風鶏肉、炒り豆腐に焼き茄子、かぶらの味噌汁。
妹はひとり暮らしなので、仕事休みの日に遊びに来ます。
来ると美味しいものを作ってくれます。

ああ、しあわせ・・・・・・・おいしい、おいしいと食べているうちに・・・・・

ドーン!と疲れがやってきました。

普段、疲れて帰宅しても、キッチンに立っている間に自然に。
交感神経から副交感神経に切り変わるのです。

家事をやっているうちに自然に切り変わるのがいいのですね。

知人が、家事全般をやってくれる男性と結婚して3年もしたら。
体調不全になってしまいました。
私の夫は家事をしない人で、友人の評判はつとに悪いのですが。
私にとっては、やはり自分で家事をすることが健康の元なのです。

でも一匹狼が三匹も集まるとかしましい。

腹の皮がよじれるくらい笑ってしまいました。
笑っているうちに自然に神経がほぐれました。

妹が来なくなったら、わが家はさびしいです。
子供たちと遠く離れて暮らすことを選んだ夫婦ふたりの暮らしに
笑いはちょっと少ない。

妹が来たときだけ、腹の皮がよじれるほど笑ってしまいます。
妹は夫の妹ですが、妹のいる人と結婚してよかったと思います。
きょうだいっていいですね。

今日はわたしの妹自慢でした。
つつましい庶民の夫婦生活の、本当にささやかでつつましいしあわせ。
こんな時には、妹の子供自慢も聞いてあげます。

さて私の猫自慢と妹自慢くらいなら聞いていただけたのではないでしょうか。

からだ改造倶楽部2ケ月の報告

知人が「からだ改造倶楽部」というものを作って運営している。
深い気持ちはなく、気軽に入ってみた。
チェック項目がいくつかある。
うまくいったものに〇印をつける。
栄養と、運動と、暮らし方の三項目だ。

それから、一日を反省して簡単な日記をつける。

それだけである。
管理人が、日記に対し、コメントをつけてくれる。
仲間のコメントがつく場合もある。

毎日、寝る前にそれを続けた。
疲れた日でも日課にして一行でも書くようにした。

ダイエットはまったくやっていないばかりがよく食べる、なのに2キロやせた。
腰のこわばりが、かなり取れた。
腰回りもスリムになった。

入会している人はジムに行っている人が多い。
だけど、わたしには、その時間がまったくとれない。
だから特別なことはやっていない。

なので、単に意識が変化しただけである。

それでも、自分の身体に関心を持ってあげること。

それをまた誰かに支えてもらうこと。

それだけで、からだが変化した。

不思議な効果である。

これを実感・体験して気持ちが動き、これの「こころ版」を作る予定である。
「こころ版」はプロの精神科医である私にしかできない。
これは困難な仕事だと思う。
だけど、歩きだしてみようと思っている。

こころに意識を向けるだけで人生が変わる。

コスモス畑も、遠くに見える山の景色も雄大で美しい。

ハイテンションの後始末

一昨日と昨日、ハイテンションだった。
今朝起きたときも元気。
午後、仕事に行ったが、そこでもまだハイテンションだった。

ところが・・・・・・2時を過ぎたころから、気持ちが落ちたきた。
どうしようもなく、ゆううつだ。
エネルギーが切れてきたんだよね。

プールには行きたくなかったが、夫から連れ去られるように連れていかれた。
プールを歩いたら少しよくなったが、いまだ気分が冴えない。

わたしの場合、ハイテンションは続かないから、うつ病になれない。
あっという間にガソリンが切れるから、大事にならないのだ。

今日みえた患者さんが、花が好き。
ブログを見るのも好きとおっしゃったので、ここをお教えした。
見てくださっているだろうか。

その方がお好きだという花を何枚か載せてみた。

一晩寝たら、明日は元気になるだろう。
悩み事があって落ちているのではない。
ハイテンションになったあとは、かならずエネルギーが切れる。

FBなどでは「今日も元気で!!!」という方が多い。
わたしにはついていけない。

人生の機微があり、人のこころのひだというものがあったら、

元気ばかりだなんて、ありえないと思うのだが。

うつ病の方には、あまりテンションをあげないよう。
できるだけマイペースで暮らすようアドバイスする。

「時間無限大」・・・の結果

数年前一緒に仕事したカウンセラーの男性と久しぶりに会った。
楽しかった思い出がよみがえり、一瞬で時を越えた。
本を出したことを伝えたら、たくさん買ってくれた。
「アフタークリニック」の話で盛りあがり、夢を語りあった。

わたしはふだん、ものすごく人づきあいが悪い。
ところが、本を出したときにかぎって、きわめて「社交的」になる。
どんどん外に出ていく。
その落差がはげしくて、「どっちがホント?」自分でも悩んでいる。

彼は今、落語に熱中しているといい、高座のちらしをもらった。

高校生のとき好きだった。とても忙しい仕事を持ちながら、落語レッスンには
空き時間のすべてを注ぎ込んでいるという。
楽しくて楽しくて、と言うその顔がもうこたえられないくらい喜んでいた。

落語は人前でやるわけだから、相当レッスンはきびしいらしい。
「超忙しい仕事を持ちながら・・・」と私は相当驚いた。

本当に、本当に、好きなことやっていると、時間無限大だ。

これは私が今回、フォトエッセイ集を出した経験でもいえる。
とてもじゃないが、無理と思っていた。時間がない、できるわけがない。
だけど好きだったからやれた。

好きで好きで仕方のないことをやるときには、時間の壁を超える。

それは真実だ。

しかし、彼は仕事以外は落語だけ。インターネットもやめたという。
出来ないのだ、何かに熱中すると他のことが。

わたしは釘を一本さした。太い釘だよ。

好きなことを一生涯貫くことも立派だけど、
あまり立派すぎると脳が偏るよ。
適当に飽きたり、中断したり、あれやこれやに手を出したり。

そのほうが脳にとっては健康的だよ。

実は彼の親友が、40年貫いた趣味の世界のつまずきで、
心を病んでいるという。
だからすごくよくわかると言ってくれた。

凡人でよかったね、ということも多いのだ。
いやいや、凡人のほうがしあわせであることは多い。

能力の高い人ほど、悩み・苦しみは大きい。

さて、あなたはどちらのタイプ?

自宅の前の道。
日に日に紅葉していく。
朝起きたときが楽しみだ。

しかし、へんな現象が・・・・・・
6月から咲いているナスタチウムと紅葉が同じ庭で見られる。
ここは年の半分が春。残りが冬。
春と冬しかないところ。

帰りを待ってくれる いちごちゃん。

人と人の距離

ki01

わたしには、治療上の語録がいくつもある。

○○○○子・語録である。

そのうちのひとつが、「人間関係のトラブルは8割以上がその距離の取り方の

問題である」というものだ。

どんなに適応能力のある人でも、距離のとり方を間違うとトラブるし、悩む。

人間関係が不器用なら、人とうまく距離をとれる環境を選んで生きていくことだ。

        ☆     ☆     ☆

さて、私は今悩んでいるのだが、自分の語録を自分にあてはめてみた。

毎日、日替わりで 3つの病院に行っている。

それだけでもストレスだ。普通ならやれない働き方だ。

ということは、それぞれの病院で、よほど人との距離をとっていないと大変なことに

なっても不思議じゃない。

ということに、今日ハタと気づいた。

過剰適応じゃないけれど、たくさんのみんなと協調しようと、無理をしてたかもしれない。

というわけで、昨日にひき続き、今日の病院でも、引きこもっていた。

精神科医って内科医などと違って仲間がいない。どこでもひとり体制だ。

孤独なのに、責任だけはすべて自分だけにかかってくる。

そして責任はあっても、権利や権力はまったくない、なさ過ぎ。まったくない。

そういう構造がストレスなのだ。

「精神科医としての状況の構造」というのは、そういう意味だ。

でもマ、ひきこもることである程度解決するかもしれないと思えてきたので

今日はちょっとうれしかった。

用事のある人が、私をさがしてやって来ればいい。

「あああーーーさびしーっ! さびし過ぎて狂うわーっ」って叫ぶくらい、ひきこもってみようっと。

診察だけしてるのが、一番楽だけど、開業も楽ではなかったし。

まあ 楽な商売はないってことだ。

心の病向きあうために15 健康の目安

精神科医の小倉 清 先生が その著書の中で 健康とは の目安として あげるおられるものが

あります。

1、不安をどれだけコントロールしているか。(不安があるのはあたり前という前提で)

2.怒りをどれくらいコントロールしているか。(怒りがあるのはあたり前という前提で)

3、人に与えているか。

4、変化に対応できているか。

5、現実をみつめているか。

こころの健康とは何か? という答えは 優れた精神科医であっても、人をすぐ納得させられるような

 ぜったい正しいという答えを持っていないのではないでしょうか。

それくらい 言葉で伝えることがむづかしい問題です。

わたしは「その人が その人らしさを生かしながら 周囲と適応して しあわせ感を持ちながらで生きているか」

だと思っています。

こころの病気とは 一言でいえば 適応障害です。

その人らしさを生かしていないとき 病気になります。

環境になっとくして、それなりにその環境に適応していければ 健康です。

能力は関係ありません。それぞれの能力に応じていればいいのです。

わたしが言葉で表現すれば、そういうことになります。

こころの病気になるということは、 あれ? 何か 違うぞ。方向が違うぞ。

違う方向でがんばりすぎて、無理がいってるぞ。という感じを カラダや精神が感じ始めたということ。

だから、何が違うのかな? ということを考えていけば良くなるってだけの話。

でも だいたい 人はそれを認めたがらないし、変わりたがらない。

だから 病気から抜けられない。

でも パラドクシカルなんだけど 「ああそうか」と そういうことを感じる感性がある人はまた

病気になりにくいんですなあ。

感性が鈍いから 病気になっているのに 感じろよ、っても無理なことが多いので そこが

問題。

だからそこが医者の腕の見せどころ。また 患者さんが 一世一代の覚悟をしないと治っていかないところ。

こころの病と向き合うために・14 見えない「こころ」にものさしを

自分を大切にするためにはまず「気持ちいい」「好き」を ものさしにして 測ってみようと話しました。

「好き」や「気持ちいい」を基本にし、「嫌い」や「合わない」ことを自分に認めてあげるために。 

自分のこころを観察するためには、その他に自分なりのものさしを持つことが必要です。

以前に私はこのブログで、書きました。

わたしは料理が好きなほうなので、「好きな料理がやりたくない」と思ったら 相当疲れていると判断する。

掃除や整理は苦手なので「今日は掃除しよう」とか「整理しよう」とか思うときは 元気があるとき。

そんな風に、家事を ものさしに 使っています。

自分の中で変化の大きいものをさがして ものさしにするといいと思います。

わたしは他には、「人に会いたい、会いたくない」を ものさしにしています。

たとえば 職場の病院には名誉院長室っていうのがあって、いつもドアが 開いています。

元気のある日は、ちょっとのぞいて「おはようございます」と挨拶したり、ちょっと座りこんで話して

いったりします。でも 元気のない日は 素通りです。

休日でも「誰にも会いたくないなあ」と思うときは疲れているとき。

人に会うと元気がもらえるっていうけど、ホントかなあ。疲れるけどな、ってな具合で 人間みんな

ものさしが 違いますからね。

あなたのこころを単純に、わかりやすく表現してくれるのはまず、どんな感情でしょうか。

わたしのように「疲れ具合」を知りたい人もいるでしょうが、わくわくするベストな自分を知りたいっていう

人もいるでしょう。「やる気満々の自分」を 知りたいという人。

「不安がなく 落ち着いている自分」を 知りたいという人。

「気分の憂うつ度を測りたい」という人。

どんな感情に焦点を当てたいか、まず考えてみてください。それを知ることで 人生が生きやすくなるとか

人生が楽しくなるとか そんなことが目標です。

そして その感情を測るためには 自分の どんな行動や気持ちを ものさしにするといいかについて

考えてみてください。

わたしが 心の疲れ具合を知りたい理由は、精神科医という仕事を大切にしていて、疲れていない状態に

できるだけ保っていたいからです。

病気の人であれば 病気が良くなっている指標が必要でしょう。子育て中であれば、子供にゆとりを持って

接していたいから、とか。営業の人なら 営業成績を 無理なく上げたいからとか。

自分の人生の目的を考え、そのためには どんな気持ちの状態でいることが大事なのか考え、そのつぎには

それを測るものさしを 作っていくといいと思います。

少しは役にたちましたか。なんだか 文章がだんだん 書きなぐり状態になってしまい すみません。

こころの病と向き合うために・13 ケース

「自分の気持ちを大切にする」「自分を大切にする」というテーマで書いた翌日の今日。

ふたりの方が、たまたま そんな例だったので ご紹介します。

ひとり目の方。30才代の男性。

うつ病で自殺を図られた後、外来に通っておられます。事件があった直後、とるものもとりあえず

空路はるばる駆けつけたお母さんは、いかにも田舎の素朴で優しそうな方でした。

彼はお母さんから、幼いころから「人には優しくしなさい」と、そればかり言われて育ったと言います。

だから自分の気持ちを押し込め押し込め、いつもまわりにあわせて生きてきました。

仕事でも有能、家庭でも まわりに優しいおとなしいご主人。しかし うつ病になった今、自分の気持ちが

「うつ」 に傾くと、それを表現できず、どうしていいかわからなくなり、自分を殺したくなると言われます。

誤解のないようにいいますが、うつ病になったことは 育て方と 必ずしも関係ありません。

いくら親が「人に優しく」と教えたところで、そんなこと 端から忘れている人のほうが多いかも

しれない。育て方もまったくの無関係とは言いませんが、やはり生まれつきの気質の影響が大きいと思う。

しかし、どんな人間であれ、人間には何がおきるかわからない、というのが 真実です。

そのひとつが こころの病です。そして、自分の力で病から立ち上がっていかなければならないのです。

そのときに、治りやすいかどうかに関係するのが、自分を大切にしているかどうか、自分に正直に生きているかどうか、

そういうことなのです。

この方が 自分の気持ちを自分で受けとめることができるまで、 落ちこんだり 自信をなくしたりしても その

気持ちを支え続けることが私の仕事。それが治療。根気よく続けている間に、かならずいずれ良くなっていかれると

信じています。

もうひとり、やっぱり30才代の男性。

すばらしく頭の良い方で、東京の一流大学の博士課程を修了。将来を嘱望されていたとき、たったひとりの

妹さんが こころの病にかかったことを知りました。東京で就職することをあきらめ、親を助けよう、妹の

そばにいてあげよう、そう決心して 田舎に身をうずめました。

しかし、その後10年たっても、妹さんは良くならない、 家族のためにと、自分を殺し、合っていない土地や仕事を

選んでしまったツケが回って、今はもう親元からも 離れるにも離れられず、葛藤のはて 病院に来られました。

先ほどのケースもそうですが、「親の言いつけを守りたい」「親を助けたい」「迷惑をかけたくない」

そんな 心優しい子、いいえ 優し過ぎるのですね。そんな優し過ぎる気質の人が一番 犠牲になります。

「優しい子に育てたい」と親は誰も思います。「命を大切にしてほしい」とどの親も願います。

でも、親の仕事って 子供が 親から自立し、自分の足で立ってしあわせに生きることでしょう。

親はずっとそばについていてはいけないんです。

自律(自立)して立ち、しあわせに暮らすために必要なこと。

そのとき必要なのは 人に優しくする事でもない。人に迷惑をかけないことでもない。

親を助けることや 家族のためにと自分を置き去りにすることでもない。

勉強ができることでもなければ、立派な社会的責任を担うことでもない。お金持ちと結婚することでもないし

楽して生きるすべを知っていることでもない。

じゃあなんでしょう。

わたしは そのことを考えたとき、たまたま こころを病んで病院に来る人をたくさん治療した経験から

「まずは自分を大切にすることが先、他のことは それから考えてもおそくない。」と考えたのです。

違う答えがあってもいい。わたしはそう思っているけど、違うっていう人もいるかもしれない。

私の答えが そうだということをお話ししたいだけなのです。

こころの病と向きあう・12 「好き」「気持ちいい」を大事にする。

これから話すことは、私の話の中で一番大事なことです。

神田橋 條治先生の著書「精神科養生のこつ」という本に、このことが詳しく書かれていて、

わずか8頁のその章が、199頁ある残りの章全部をあわせたより、大切だと書かれています。

わたしが4年前に出した「わが子の気持ちがわからなくなる前に読む本」の中や、私の以前のHP「しあわせさがしの

精神医学」でも、うまく言えないながら、そういうことの大切さについて書いています。

              ☆         ☆         ☆

赤ちゃんの時は、赤ちゃんが喜ぶ顔見たさに、お母さんは抱っこしてくれたり、鈴を鳴らしてくれたり、おっぱいを

 あげたりしてくれます。しかし その後、わずか1~2年で、お母さんの態度はガラリと変わっていまいます。

そのあたりのところを 宗教家の井上ウィマラさんが、ご自分の息子さんを育てた経験から、書いていました。

2歳のころ、ウィマラさんの子供がコンビニ デビューをすることになりました。彼は言いました。

「さあ、今日はなんでも好きなものを買ってあげる」 子供は大喜び! 目を輝かせてキャラメルを手にとったのです。

手にとったとたんに ウィマラさんは「それはダメだよ。虫歯になるから」と、思わず止めてしまいました。

止めてから気がついたのでした。「何でも好きなものを買ってあげる」と言いながら、子供が好きなものの名を言うと

「それは高いからだめ」「それは・・・だからダメ」というのです。それなら最初から「なんでも好きなものを。。。」と

言わなければいいのですが、親って つい言ってしまってから「あれはダメ」「これはダメ」を繰り返しているようです。

そうやって、好きなものをさがす気持ちの失せる子供を大量生産してしまっているのです。

こんなこともあります。子供が習い事をやめたいと言い出しました。

「なぜ?」「好きになれないの?」「好きだから続けたいのに、何か続けれない理由があるの?」

そんなことは ただの一回も聞く前に「あきっぽいのはダメ」「やめ癖がつくからやめたらダメ」「自分で言い出したことだから

勝手にやめるのはわがままだからダメ」とにかく、子供の心がどうなのか 聞く耳を持っている親は極少です。

嫌いなことはやめて、何が好きになるだろうなどと考える暇もなく、いったん始めたことをやめると人間がだめに

なる、くらいにおどしにかかるのです。

子供にしたら、もう 何がすきで 何がきらいなのか わけわからなくなってしまう。

そうやって大人になるものですから、好ききらい関係なく、「ねばならない」という意識で生きていくようになって

いきます。

そしてある日、こころが壊れるのです。

          ☆       ☆       ☆

好きな場所で、好きなことだけやって、好きな人に囲まれて、能力にあったことだけをやっていて

それが心地よいと感じることができたなら 、突然心が壊れることはありません。

しかしそんなに気ままに人生を送れることは 普通はあり得ないことです。

じゃあ なぜ 「好き」を大事にするのでしょうか。

実は「好き」「気持ちいい」を見つけるのは、そうやって気ままに生きていくのが目的ではありません。

      自分がどういう人間かを知るためです。

             自分が自分と会話することで「自分って何者だ」ということを知っていくのです。

嫌いな(苦手なこと)ことから 逃げるために、好きなことをさがすのではなく、好きなことを伸ばし、きらいなこと

(苦手なこと)と上手に距離をとったり、きらいな(苦手なこと)ことに それとわかっていながら挑戦するために、

好きや嫌いをさがすのです。

嫌い(苦手)だと知らずに挑戦して失敗して、自分はダメな人間だと決めつけて、うつ病になって 自殺までする人がいます。

でも、嫌い(苦手)だから出来なくても仕方がない、とわかっていれば 心構えが違ってきます。

病気になるか、ならないかは それくらい微妙な問題で 方向が違ってきます。