何年に1回かのシルバーウイークで巷はにぎわっていました。わが家のご近所でも、祖⽗⺟たちが孫を相⼿にはしゃいでいます。
実は今、空前の祖⽗⺟ブーム。元気と時間と経済的余裕のある熟年世代と孫との関わりが密になっています。
そのためか、私の患者さんで祖⽗⺟のいない⼦どもを持つ⼥性がとてもうらやましがる方がおられます。また孫のいない⽅はもちろんのこと、祖⽗⺟のいない家もちょっぴり肩⾝の狭いこともあると聞きました。
思い起こせば、私の祖⺟は「孫かわいい」の典型だったように思います。祖⺟の⽣きがいは私。私だけ。
私が18歳で⼤学に進学して家を出てしまったその後、10年⽣きた祖⺟は寂しかっただろうなあと今になって思います。
毎朝11時になると、郵便受けを⾒に⾏くのが⽇課だったらしい、私から⼿紙が来てないかと。それは祖母の死後に聞いたのですからすこぶる後悔しました。
反対に、⽼衰のため96歳で亡くなった夫の祖⺟は、畑通いが⽇課。猫を飼い、⽥舎町にただ⼀つの映画館に出かけ、そして友達と花札で賭けては「負けた」と悔しがるマイペースで気ままな祖⺟だったと聞いています。夫はかわいがられた思い出もないらしいのですし、あまり良くは言わないのですが・・・でも私は夫の祖⺟の⽣き⽅、「何だか好き」と思ってしまいます。
前置きばかり⻑くなってしまいました。私の⼀番⾔いたいこと。
それは、若い頃の私は、⼦育てが終わってからの⼈⽣がこんなに⻑いとは知らなかったということです。
もし知っていたら仕事の仕⽅も⼦どもの育て⽅も違っていただろうと思われます。
⼦どもに⼿がかからなくなってから30年以上、孫がかわいい盛りを過ぎてからさえ、20年近くあるのが⻑寿社会です。昔はそれを「余⽣」と呼びました。そして「余⽣」は悠々⾃適が理想と⾔われた時代でした。
ここがポイント!
今、第⼆の⼈⽣を「余⽣」と呼ぶには⻑すぎると思います。
かつての私のように若い⼈はもちろんそんな先のこと、想像さえしていないことでしょう。
彼らは⼦育てや仕事やローンに追われる今が。
⼈⽣の最盛期であり本番であり。
世界は⾃分を中⼼に回っていると思っているでしょう。
では熟年世代はどうでしょうか。寿命が分からないのをいいことに「私、⻑くは⽣きない」など根拠のない⼝癖で将来をごまかしています。(この口癖のヒト、本当に多いのですよ。ぽっくり死にたいとかね。そんなに簡単に死ねないって!)
その結果、第⼀の⼈⽣から第⼆の⼈⽣になんとなく惰性で流れ込むことになりがちです。
でも、この⻑さと意味をきちんと知った上で計画を練ってみたらどうでしょう。
若い頃の仕事をさらに充実させて、豊かな刈り取りの時期にするのもいい。新たな楽しい計画だって30年もあれば実現するよ。
あらかじめ、⼈⽣に⼆つの⼭があることを知っておく意味はあると思います。
実は、⼦育ては⼈⽣のリハーサル。それが終わった後の⼈⽣こそ、むしろあなたが主⼈公として活躍する⼈⽣ドラマの本番なのよ、などと⾔ったら、きっと皆さん⽬をまあるくして驚くでしょうね(笑)