連載コラム(42)私論ーお金を貯めるコツ

<42>私論-お⾦を貯めるコツ

福島の原発事故からはや6年を迎えたが、「⾃主避難」されている⽅の住居補助がこの3⽉で打ち切られることになり、⽣活に困窮する⽅は増えるだろう。精神障がいの⽅たちも、お⾦に困っている⽅が多い。外来に通院中の63歳の男性は障害年⾦を受け取りながら、共同作業所で働いている。合わせて⽉に12万円ほどである。将来に備えて貯⾦をしなければ、という話になったので、家計簿を⼀緒に検討した。⾷費の4万円は多いということになり、そこから1万円を貯蓄に回す計画を⽴てた。

精神科医がそこまで︖ と思われるかもしれないが、⻑期に⼊院した⽅が退院していく時など、お⾦の問題は無視できない。そこで今回はお⾦の貯め⽅について考えてみたい。

「お⾦がない」「お⾦が貯まらない」が⼝癖の⼈がおられる。そんな⽅々の家をこっそり覗いてみよう。例えば冷蔵庫。う〜ん、詰まっていますねえ。賞味期限切れがあったり、本⼈も忘れたものがあったり。キッチンやリビングも全体にごちゃごちゃしている。そして収納スペースや押し⼊れはモノであふれている…。しかしよく考えてみてほしい。これらはすべて「お⾦で買ったもの」だ。

つまり「モノはお⾦が形を変えたもの」で、⾔いかえれば、⼈は⾦貨に埋まって暮らしているのと同じなのだ。⼟地も家もモノも元は⾦貨なんですよ。意識したことありますか︖

お⾦を貯めるというと、家計簿を思い浮かべる⼈も多い。確かに家計を“⾒える化”することは必要だが、それはお⾦を貯めるための「最初の⼀歩」にすぎない。なぜなら家計簿は「お⾦を使った結果」だからだ。

根本的な解決法は、「お⾦を使う前に」「これにお⾦を使って良いかどうかを考えられること」ではないかと思う。世の中には「欲しいもの」「⼀⾒必要なもの」でいっぱいだ。それらを⼿に⼊れていたらキリがない。その結果が上記の家の様⼦ではないだろうか。

発想を全く切り替えてみよう。⾃分にとって「欲しいもの」を基準にするのではなく、これがなければ⽣きていけないくらい必要なもの、⼤切にしたいものを⾒つけること。何⽇かけてもいい。まずそれを考えてみよう。ただ、やみくもにガマンしろというのではない。そぎ落とすこと。⾃分にとって⼤切なものを知るプロセスこそが⼤事なのだ。そのプロセスを経た上で、財布の紐を緩める。

そうすれば⽉に3千円でも5千円でもお⾦は貯まるはずである。ならば先にその⾦額を収⼊から引いて「そのお⾦はないもの」として暮らしてみよう。失敗してもいい。緩くてもいい。そうやって買う前に考える習慣を繰り返すことがお⾦を貯めるコツ。

 

わたし流しあわせの見つけ方

連載コラム(41)病気の陰に隠れないで

 

このコラムは好きなコラムです。

新聞の読者欄にも感想が出ました。

その後、亡くなってしまわれましたが、私も彼女の生き方に

勇気づけられているひとりです。

☆    ☆    ☆

歌舞伎役者の市川海⽼蔵さんの妻である⼩林⿇央さんは、病気を隠して闘病⽣活をされていたが、マスコミにスクープされて乳がんを公表。その後、ブログを始めて⾃らの想いを発信していくことを決意された。そのきっかけとなったのは「病気の陰に隠れないで」という主治医の⼀⾔だったそうだ。私もまたその⾔葉に衝撃を受けた⼀⼈である。

先⽇から診ている中年の婦⼈は、⾝体中が痛みだして⾝体科を訪れたが疾患が⾒つからず、精神科を勧められて受診された。そして薬物療法などで痛みは⽣活に⽀障のない程度まで改善していった。しかし間もなく婦⼈は「痛みはなくなったが、⾝体中がだるくて眠い」と訴えるようになった。

私は「痛みがこれほど良くなったのにね。良くなった時、少し家事などやってみた︖」と聞いた。「ええ、恐る恐る。でもまた再発するのじゃないかと怖くて。そしたら案の定、だるくて眠いなと気がついて」と⾔う。「何か新たな病気探しをしてない︖」と聞くと、「そんなことないです、本当にだるくて」と⾔う。「そうね。ここは病院だから、病気の症状を話してくれるのは当然だよね」「はい」「私もあまり家事のことなど聞いてなくて、症状はどうですか、って病気の話ばかりになって。お互いに病院にいるのだから当たり前かもしれない。でも、あれだけ苦しんだ痛みが取れて、すごく喜んでいたあなたは、何か今までやりたくてもできなかったことに⼿をつけた︖ 何か別の症状が出るのじゃないかと戦々恐々としながら新しい病気探しをしているようにも⾒えるよ。今の状態でもできる家事はあるでし

ょう」などと話し合った。

きっと家でも愚痴や⾔い訳が多いのだろう。付き添う夫も私との会話で胸のつかえが取れたような顔をしていた。

ここがポイント!

実は病気の⼈だけではない。みんな隠れるのが上⼿である。私が忙しい仕事を隠れ蓑に⽣きているように、ある⺟親は「まだ⼦どもが⼩さいから」と⼦どもの陰に隠れ、ある妻は「夫がいい顔をしないから」と夫の陰に隠れて⽣きている。「陰に隠れる」とは「その⼈や事柄のせいにして、⾃分本来の⼈⽣を⽣きることから逃げて⼼や⽣活を狭くしている」ということだ。

もし、私に何ひとつ隠れるものがなかったら…と思いをはせてみる。⼀体どんな景⾊を⾒たいと思い、どんな⼈とつながり、何を学びたいと思うだろう。

⼈は必ずいつか死ぬ。

どれだけ頑張ったかより「いかに⾃分の⼈⽣を⽣きたか」にこそ価値があると私は思う。

⾃分は何の陰に隠れて⽣きているのか。隠れるものも、能⼒も失われた時、あなたは誰とどこにいて、どんな景⾊を⾒ていたいだろうか。

 

わたし流しあわせの見つけ方

やっと体調がもどってきた、明日から9月

旅行に行くと、その日の朝から便が止まってしまいます。

日常生活から少しでも離れると、体調が悪くなるんです。

今月は家から10日も離れていましたので、それでうんと体調を

壊していました。

それからも料理をしなかったので体調は戻りません。

つまり、旅行に出る前は冷蔵庫をカラにするので食材を買えない。

帰ってからは、冷蔵庫に食材がそろっていない。

というわけで、ながらく食生活が悪かったからです。

食生活の大切さはわかっているつもりでしたが、ここまで影響するとは!!

3日前からやっと快眠、快便になった次第。

前はやっつけ仕事で、寝る前に朝のサラダの準備などをしていましたが、今は丁寧に心をこめて準備するようになりました。

もう10時過ぎですけど、このブログを書いたあと、キッチンに立ちます。

サラダといっても生野菜ばかりだと身体が冷えるので、できるだけ茹で野菜を入れることにしています。

夫から「朝っぱらから、こんなに食えん」と言われ「あ、作り過ぎた、ごめん」と言いながら、やっぱり作り過ぎているワタシ。

気合いのはいり過ぎは長続きしないからだめですね。

 

わたし流しあわせの見つけ方

いつまでも春

初めて今の住まいに来た時に、好きだった小菊のような花を植えました。

長く長く咲いてくれて、4月から9月まで、なんと半年咲いていたのです。

耐寒性がなかったのか、その花も今は絶えてしまいました。

 

でもこのあたりは、4月から9月まで、夏がなく、春、春、春、という気候なんです。

この都忘れも、もう何ケ月も生き生きと咲いています。

花ってもっとはかないものだと思っていましたが・・・・・

わたし流しあわせの見つけ方

大切なひと

こないだから本当に久しぶりに&珍しく。

心が沈んでいました。

こんなにうっとうしく、重く、気分の悪い状態は本当に久しぶりでした。

遠くに住む2~3の親友に突然助けを求める電話をしましたが、誰も助けてくれません(助けようがないくらい、理由がささいなことだったんです)

こんなにささいなことで、人は落ち込むんだと思いました。

でも結局、悩みって人間関係です。

本当に大事な人のことで悩むのならわかりますが、全然あまり関係のない人のことでかえって気になったり気分が沈んだりしますから不思議だと思いました。

「曖昧な喪失」という連載記事を書きましたが、まさに曖昧でささいなことのほうで気分が沈むことが多いです。

今朝。

突然、滋賀に住むお嫁さんの「大丈夫ですか」メールで朝早く起こされました。

ミサイルのことで心配してくれたのでしょう。

子供たちは遠くに住み、お嫁さんと話すこともメールをもらうこともほぼ、まったくといっていいほどありません。

でも、こんな時、心配してくれたことに有り難いと思いました。

つまらない他人のささいなことで悩むのではなく、こうやって数年に一度でもメールで心配してくれるお嫁さんのことに感謝して暮らしていかなくてどーするの、と思いました。

今日あたりから気分は挽回しています、良かったです(^^)/

人間関係のるつぼにいるので、いろんなことがあります。

私はとても弱いけど、でも結局は強い人なので、乗り切れると思います。

大切なことや、大切なひとをあたり前に思わず、本当に大事にして暮らしていかないとだめだな、と思いました。

わたし流しあわせの見つけ方

原村朝市と野菜

 

日曜日だったので、原村朝市にゆっくり出かけてみました。

何年ぶりだろう。

夏野菜の最盛期のせいか、店の人も金勘定がわからないくらい繁盛していました。人でいっぱいでした。

夏野菜を少し買って、朝食を作りました。

冷蔵庫は野菜でいっぱい。

患者さまのご家族からもいただいたりするので。

じゃがいも、かぼちゃ、モロッコいんげん、トマト、茄子、きゅうり、レタス、白菜、とうもろこし、ミョウガ がたくさんあります。

そこで、下の料理にしましたが・・・・・・

夫の不評を買いました。

味付けも料理の内容も悪いそうです。

でもね。。。。。女性は、できるだけたくさんのある野菜を使いたいと思いますからねえ・・・・・

「じゃあ明日は、まったく同じ野菜で、ご自慢の料理を作ってちょうだい」ときつ~く宣言しました。

 

クックパッドがあるからなあ。大きな図書館を持っているのと同じだよ、あっ、あったあった、とかなんとか言いながら検索をかけています。

あんまりケチつけるので、内心は腹がたちましたが、う~ん、喧嘩するのもあほらしいし、ほおおっておきます(再婚なので、夫の舌が私の料理に慣れておらず、最初から文句つけられてます)

 

そのかわり、明日の夫の料理もしっかりアップしますからね。

 

 

わたし流しあわせの見つけ方

続・定休日

 

仕事行く前に少し散歩した。

どこにでも咲いているのが、アナベルと都忘れ。

わが家のカサブランカもとうとう咲いた。

 

都忘れを、裏から撮ってみた。

 

今日もこのブログ、定休日、みたいなもの。

インターネットとの距離感がとれずにいる。

わたし流しあわせの見つけ方

ブログってむづかしいですね。

 

ブログを再開して3ケ月あまりとなりました。

3ケ月は続けてみようと思っていました。

 

ブログってむづかしいですね。

 

15年前に始めましたが、夫の娘とのやりとりを書いたところ、

そして継母の立場のむづかしさを少し入れたところ。

「ももさん(当時のハンドルネーム)ち、大変ね」とあっという間に@大変な親子関係、というのが広まり、びっくりしました。

「体調不良で」と一言書けば、その日がそういう気分だったから書いただけなのに「このごろ調子が悪いらしい」と言われてしまいます。

そういえば、息子からブログの内容で文句の電話がはいり、ショックのあまり、その夜から一年間、閉鎖したこともあったっけ。ブログは家族が見るものではありませんね。

とにかく、平凡に、食べ物の話、庭の話、お花の話、猫の話、買い物の話、お出かけの話・・・・・そういう他愛もないことにかぎるのが鉄則のように感じました。

 

しかし、今の私の場合、料理は簡単、花は植えていない、庭は手入れしない、お出かけはする時間がない、猫は可愛いけど猫の話だけでは自分が書きたくない・・・・・などなどで、ついつい体調や気分や気合いを入れている運動の話などを書いてしまいます。

 

「書きたい日だけ書けば?」という提案もいただいています。

 

でも「書きたい日」っていうとやっぱりお出かけした、美味しいものを食べた、ということになってしまい、そうそうそんな日はありません。

 

というわけで、私のブログって、励みにしたり楽しみにしたりしてくださる方もいるのかもしれないけれど、あまり意味ないかもと思う今日でした。

「コメントを入れるようにしたら」という提案もいただきましたが、最初のころコメントつきにしましたところ、どんな内容でも意見が反対という方は必ずおられるもので、けっこうきついコメントもあり、即閉鎖にした次第。だって議論するために書いているわけではありませんから。

 

でも私は写真を撮ったり載せたりするのはすごく好きだなあと思います。無理に言葉を入れようとするからむづかしいのかもね。

 

インスタは続いています。

インスタは、言葉を入れてもいい、詩を書いてもいい、何も書かなくてもいい。

コメントも写真に関することだけ。コメントもけっこう楽しいです。

インスタって軽くみていたけれども、けっこういいと思います。

 

個人のHPはいずれすたる、と予測していたらすたりました。

個人のブログも、それで商売しようとしないかぎり、どんどん流行っていくものではないと予測します。

フェイスブックもこれ以上、流行らないでしょう。

インスタは増えると思います。

そのつぎには何が来るのでしょうね。

ツイッターは私はまったく興味がないんですよ。

 

以上、ブログを再開して3ケ月の感想でした。

当たるも八卦、当たらぬも八卦ですが、案外わたしの予測は当たるのですよ。

さてこれからどうしましょう・・・・・・

 

わたし流しあわせの見つけ方

原村朝市

住まいのある原村には7月から9月まで朝市がある。

昨年は、毎朝のように仕事に行く前に、珈琲を飲むのが日課だった。そのために朝早く起きる。

 

ところが今年は、やりたいことが多すぎて体調不良が続き、どうしても朝早く、起きることが出来なかった。

 

朝市は通勤途上だが、寄ったのは、なんと今年になって今日初めてだった。

たまたまお顔だけ知っているご夫婦が来てらして、初めて話をする機会を得た。話がはずんだが、それでも30分ほどをそこで過ごして職場に行った。

通勤距離が遠いので、それなりにけっこういろんな愉しみを見つけることができる。

通勤距離の短い人は「楽だけど、気持ちの切り替えができない」とぼやいている。

 

片道45分の通勤をする、私の通勤の愉しみ方。

 

音楽を聴く、道の駅で野菜を買う。高速PAで体操をする。

写真を撮る。ちょっと散歩をする。途中で車を止めてスマホを見るなどなどである。

さすがに喫茶店に入るほどの時間的余裕はない。

 

それでも結構の気分転換になっていると思う。

わたし流しあわせの見つけ方