自分らしく生きる  6 弱みは個性

美容院に行きました。標高1500メートルの山の中腹に建っています。山に憧れ登山

でやってくるうち、住みたくなって自分たちで建ててしまったそうです。

都会では週に何日も、夜も昼も働いていたそうですが、今は日中だけ。それも週休2日

の完全予約制です。これが理想だったの。本当にマイペースよ。私を好んでくれる人だけが

自然と集まるの。だから精神的にも本当に楽。年は私より一回り以上も若いでしょうか。

私もファンです。月に一回カットに行きます。春夏秋は働き、冬に年一回、

何ケ月もかご主人を残して、東南アジアや中近東の未開の地にリュックひとつで出かけて

しまいます。命の危険に遭遇しながら、言葉の通じるはずもないそれらの国々の貧しく

不便な暮らしの人たちと心を通わせて帰ってくる、勇敢で温かい人柄です。

でも東京で生まれ育ち、ついこのあいだまで有名人も来る大きな美容室で働い

ていた音楽も絵も大好き、写真もうまい。洗練された都会人の良さも持ちあわせています。

そのギャップから生まれる魅力が、多くの人を惹きつけているようです。

素敵な写真ができたそうね、というので、写真は限界、今は文章書いてるのよ。

「自分らしく生きる」というテーマよ。と話すと「わたしなんかそんなこむづかしいこと考え

たこともないわ。本当に自然体。したいこと、気持ちいいことだけして生きてきた。

それで十分」といいます。

そうよ。私が言いたいこともそう。したいこと、自分が気持ちいいと思うことだけをすると

いうこと。それをさがすことが「自分らしさ」よ。でもそれ一行書いてしまって「はい、

終わり」というわけにいかないでしょう。あなたのように自然にできる人ばかりじゃない。

気づきが必要なひと。きづけなくて心を病むひと。そんな人の背中を押すために書いているのよ。

先日の夫とのいざこさを話しました。

彼女は言いました。

あなたは「平穏で平和な暮らしが一番だった」と言う。でも私から見ると、実は

ご主人があなたのどんなに大きな支えになっているか、おそらくわかっていないわね。

どんなご主人か私は知らない、また収入がない、とか働いていない、とか社会的には

いろいろとあるのかもしれない。でもあなたのお仕事、相当大変でしょう? あなたの仕

事の世界は尋常ではない。尋常ではない人を扱っているあなたには、多分尋常でない

部分があるはず。普通の夫じゃ支えられないはずよ。でもあなたはいつものびのびとして

いるし生き生きとしている。いい仕事もしている。ご主人が、あれしてくれた、これしてくれない、

そんな短絡的なことじゃないの。大きな意味で支えになっているんだろうな、というのは

あなたを見ていても、ふだんの話を聞いていてもわかるわ。

でも自分では気づいていないのでしょうね。そう話すのでした。

わがままで困らせられるばかりだと思うことの多い夫。でもたしかに、勤勉でまじめ一点ばり、

優等生タイプの私に、もし100点満点の立派な夫がついていたら・・・・・きっともっとがんばら

なくてはとプレッシャーになり、今ごろ倒れていたかもしれません。

「僕は劣等生だから」という怠け者の夫を見ると、妙にほっとする部分もたしかにある、本当に。

今日の診察で似たようなことを経験しました。

患者さんは26歳の女性。人格障害ともいえるうつ状態で、「死にたい」を煩雑に口に

します。妊娠中なのだが、育児に自信ないといい泣いてばかりいるのです。

外に出ることはきらいで、いつも家の中にこもっています。最近結婚したばかりの

ご主人には、捨てられると嫌なのであまり訴えないと暗い顔つきで訴えます。

ご主人にも来てもらうことにしました。中学校の同級生で、何年ぶりかに再会して

おつきあいが始まり、同棲から妊娠と進んだと言います。堂々とした男らしい

ご主人でした。

「病気のことはわかって結婚しました。感情の起伏がはげしくてとまどうことはあるが、

それ以外では困っていません」と言います。

「結婚を決めた理由は何ですか?」との問いに「このゆったり感がいいんです」と

笑いながら彼女をふりかえります。意外な答えでびっくりしました。

陰気で家事も下手で、外には出ていけなくて、気のきいたことも言わない彼女。

  このゆったり感がいいって。

  なんといい言葉。

  弱みが個性になっているということか。

ご主人が部屋を出てから患者さんが言いました。「何もしてあげれない私でいいの?」と

いつも不安だったの。私もすごく意外な答えでびっくりしました。私の弱みをこんな風に

とらえてくれていたのね」彼女は感激していました。

最近、友人の女性医師が50才をすぎて結婚しました。相手の方は家にいるのが

好きという男性で家事が得意。たまに近所の田や畑に手伝いに行って、収穫物を

いただいたりして暮らしているので現金収入はない、いや、いらないと言う人なのだそうです。

まわりの常識ある人たちの大反対を受けている彼女。「働きたくないなんていうと、どうかなって思う

けど、私もつましい暮らしで十分だし、何よりフィーリングが合うの」と結婚を決行したのです。

10数年前から、「弱みは個性である」と言いたくなるようなカップルが患者さんの中に

出てくるようになりました。

私が今持っているケースでも超重症の妻といたって健康な夫、がうまくやっているケースが

10例くらいあります。

昔なら忌み嫌われた精神科の病気です。離婚調停や夫婦カウンセリングまがいの

ことが精神科医の仕事だった時期が長く続きました。

でも今では心の病気の女性と普通の感覚で結婚する男性が増えています。

同情じゃないんです。単に気楽、というのでもないのです。

「こころの病気を持つ女性」「家事のできない女性」という弱み。

「外で働いていない男性」という弱みをだめと決めつけずに、純粋に自分との相性

だけで結婚という一生の大事を考える風潮。

自分が自分らしくいられる相手だったら、それが一番。

周囲の思惑なんか関係ない。

という結婚は今後も増えていくことでしょう。

収入の額で結婚を男を値ぶみしたり、精神病というだけで忌み嫌った時代より、

よほど豊かと思いませんか。

初雪が降りました。

自分らしく生きる 5 人生は二度ある

私の診察につきそうある看護師さんがため息をつきながら言う。

病気の説明や治療法のアドバイスに対する私の言葉に対する患者さんの反応は

年齢別にほぼ正確に分かれます、と。

10代20代は目を輝かせて聞き、すなおに実行し、そして俄然良くなる。成長する。

30代、40代もつぶらな瞳で真剣に聞き、自分を変えようとする。そして少しづつ

かならず良くなる。

50代も前半では、首をかしげたりだまりこんだりしながらも、やってみますとけなげに

言ってがんばる。

50代後半から変化が始まり、60代70代は、できない理由を話しだす。

80才をすぎると人の話など聞いちゃいないのだ。

というのが看護師さんの観察だ。

私は当事者なのできづかなかったが、観察者である看護師さんに言われて思わず笑ってしまった。

看護師さんにそこまで言われた日には、笑ってばかりもいられない。

「自分らしく生きる」というテーマにいどんだものの、むづかしい。

やめてしまう理由を山のように考えていたばかりだった。

口まで出かかった「できない理由」を思わず飲みこんでしまった私だった。

思春期には、人は悩む。

「自分らしさ」って何だろう。

「自分」が「自分」である理由。他の人じゃないという確固たる証拠。

「自分らしさって何だろう」と一度も悩んだことのない人はいないのじゃないだろうか。

けれど一番わかっているようでわからないのが「自分」

「自分」のことは「自分しか」わからないはず。

なのに肝心の「自分」が世界でたったひとりの自分であるという理由は何かと

聞かれたら答えられない。

その一方で、「個性」を大事にしよう。

磨けば光る玉のような個性が、生まれつき誰にでもあるはず。

そういう唄い文句に踊らされている自分もいる。

つきあう人によって変わってしまう自分がいる。

その日によって気分の変わる自分がいる。

昨日考えていた自分の考えが、今日はもう変わっていることもある。

こないだまで大好きだった趣味が、今はまったく見向きもしたくないことなどあれば、

なんて飽きっぽい。自分は、なんて個性のない人間なのかと思ってしまう。

又、つきあう人によって自分というものがまったく変わってしまうことを経験すると。

自分ってなんていい加減なやつなんだ。

自分はいったいどれが本当の自分なのかなって悩みさえしてしまう。

若い人が患者さんになって私の前にあらわれると、そういう悩みを口に

しない人はまずいない。

なんて初々しい悩みだろう。

しかし人はやがておじさんになりおばさんになる。

おじさんやおばさんになったら、たとえ世界がひっくりかえろうともぜったいと

いっていいほど口にしない悩み。

その若いひとと、おじさんやおばさんの間の隔たりの中に何があるんだろう。

それは人それぞれであるにしろ。

たしかなことがある。

人生は二度ある。

子どもが去ってからの人生の長さ。

仕事を失ってからの人生の長さ。

夫婦ふたりきりで暮らす日々の長さ。

たったひとり残されてからの人生の長さ。

人はあまりきづいていない。

60才、70才を過ぎてからも死を目前にする直前まで、心の不調が存在することを。

私の外来を訪れるお年よりは最近増える一方である。これからもきっと増える。

心の不調が、からだの不調に形を変え、あるいは、あの手この手で形を

かえながら。

「自分はいったい何者?」「私は何のために生きる?」という問いかけは

決して思春期特有ではない。人生があまりにも長くなった今。

いくつになっても

人生には落とし穴がある、

ということを知っているだけでいい。

自分らしく生きる・4 原点にもどる

夫と一悶着あった。

一昨日のテレビで「プロフェッショナルの流儀」というのをやっていてオーガニックコットンを

輸入して製品化している渡辺さんという女性社長が出ていた。

仕事にゆきづまるたび、自分に問いなおす言葉。

☆ ☆自分は何のために働いているのか、と。☆ ☆

真っ黒い画面に、一行白い字が浮き彫りになる。インパクトがある。

大きな仕事でがんばっている人は、しょっちゅうどん底に落ち、そのたびに原点に

立ちかえって姿勢をただすものらしい。

患者さんが職場の人間関係で悩み、かぎりなく愚痴をいうときがある。そんなときいったんは

愚痴を聞くが、とどまるところを知らないときもある。

☆ ☆ あなたは何のために働いている?☆ ☆

と聞きたいところだが、聞く耳を持たない。そんなときは。

大変な職場ね。人間関係はややこしい。おつぼね様にはいじめられる。

でもあなたは何のために働いているの?

あ、そうか。おつぼね様と仲良しになるために働いているんだったよね。

そのために働いているんだもの。だったらそれは辛いわ、ご愁傷様。

そう言うとやっと、我にかえる。

もうひとつ話がある。

若いころの職場は精神科医が12人もいた。その中で仲の悪い同士がいて、

医局にいるみんなは険悪なムードに嫌気がさしていた。総婦長に愚痴を言い

に行ったことがある。聞いてはくださったが、なぐさめはなかった。返ってきた言葉。

☆ ☆ あなた今、仕事に目標持ってる? ☆ ☆

原点に返ればそんなこと気にならないはず、ということだ。

夫の話に戻ろう。

夫がきわめて理不尽なことを言ってきた。私が長い間つきあっている一番の親友夫婦を

ある理由で気にいらないから、つきあいを一生涯やめろと言う。

「やめてほしい気持なんだけど」など生やさしいものではない。

「つきあいをやめる気がなかったら、どなりこんでいくから」とかいう。

経緯ははぶくが、本当に困ってしまった。

何日も悩んだ。話しあいが通じる状態ではない。

何年も暮らしているからよくわかる。

女性たちに相談すると「わかるわかる。でも負けちゃだめ。理不尽すぎる」と

言ってくれる。でも夫は激こうするばかりだ。

ここはひとつ、男性の意見をと思い、ボーイフレンドに聞いてみた。

彼「すごくすごく客観的に見るとさぁ。理不尽な要求でもこの際、

折れたほうがいいと思う」

私「そんなわけにいかないわ。夫が言ったからといって一番の親友をなくすなんていうのは、

私らしい生き方からまったくはずれるわ。私の思い、私の基本的な人権はどうなるの?

私は夫の奴隷にはなれないわ、自分を偽れないわ」

彼「じゃあね、折れてみる実験だと思ってやってごらん。実験だと思えばやれるでしょう」

私「そうね。自分を無にして折れてみる。実験よね」

突然豹変した私は夫に電話した。

さっきまでの鼻息さえ聞こえるほどのとげとげしい声が、甘い声になれた。

「よく考えてみたんだけどさぁ。どう考えてもあなたとA子さんをくらべたら

あなたが大事だわ。A子さんにはもうおつきあいできませんからって

電話したから、安心して」

夫は、とたんにさっきまでの怒鳴り声がおだやかになった。

A子さん宅に寄り、正直に事情を話した。わかってくれた。

わかってもらえなくて険悪になったら仕方ない、なるようにしかならない、と覚悟ができた。

おそく帰宅したら家は以前の平穏にもどっていた。

☆ ☆ 私は何のために生きている? ☆ ☆

☆ ☆ 私が大事にしてることは何? ☆ ☆

原点に返ってみた。

私が大事にしてるものは、人権などというものではなかった。

夫だけでもなかった。A子さん夫婦だけでもない。

本当は本なんか出版できなくてもいい。

ポストカードなんか売れなくてもいい。

ピアノは上手に弾けなくても全然平気。

☆ ☆ ☆ 平穏な暮らし。☆ ☆ ☆

☆ 夫がいて、仲良しの友人がいて。☆

☆ ときおり子供たちやきょうだいが来てくれる。☆

☆ 仕事があって、音楽が流れて、猫がくつろいでいる。☆

☆ 穏やかな空気が流れて、いねむりするくらい平和。☆

本当にほしいものは人の気配やあたたかさが感じられる平穏な暮らし

なのだった。

ボーイフレンドに礼を言った。

彼とも前よりもっと仲良しになれた。

夫はわがままを通したが、その夫に折れた妻は大切なものをいっぱい

手にした。

原点にかえったから。

「年賀状の写真、ちょうだいよー」と夫が二階から叫んでいる。

猫が鳴いている。

ただ、今夜の平和が明日も続くという保証はまったくない。

自分らしく生きる・3  ヒストリーその1

わたしが生まれたのは、滋賀県は琵琶湖の西の田舎町です。今の日本には珍しく自然の里山や川が残っている美しいところです。
母が教師として働いていたので、一才違いの弟が生まれるとすぐ、祖母に預けられました。といっても同じ家の中ですが、祖母に特別にかわいがられ、大事に育てられました。
「おばあちゃん子は三文安い」ということわざ通り、まったく意気地がなくて小学校へあがるころも祖母がそばにいないと授業が受けられないくらいの内気でした。

ところが中学生になると突然頭角(?)をあらわし、ものさしをふりあげて男の子を追いかけまわしすようになりました。誰かがいじめられるといじめた男の子をやっつけに行ったり、納得がいかないと文句を言いに行ったり。まあ、けっこうのじゃじゃ馬でした。

成績がよくて上品。かっこいいあこがれの男の子からは「生意気」といって敬遠されました。好かれるのはいつも成績が悪いいたずらっ子ばかりでした。この傾向はたった今現在に至るまで、生涯にわたる「わたしと男性との関係」の傾向です。

わたしが「自分らしく生きる」ことを最初に意識したのは中学2年生のころです。戦後から十年以上たち、世の中が落ち着き出したころです。これからは高い教育を受けなくてはしあわせになれない、大学へ大学へと誰もが思うようになった最初の世代。一生けん命働き、経済を成長させた。個性に目覚め口では立派なことを言いながら、こどもたちをうんと甘やかしてしまい、ある意味、日本を変えてしまった最初の責任ある世代です。
「こんな田舎で一生を送りたくない」「高校を出たら田舎を離れて好きな道に歩みたい」そのころは誰もが普通に夢を持てた時代だったのですね。
わたしは将来つくであろう仕事に強い関心をいだきました。放課後になると図書館に行き、「仕事」という本をくり返し見ては将来に思いをはせるのが日課でした。自分にはどんな能力があるのだろう。それに女の子として生まれたからには、男の子には出来ない生き方もあるのじゃないかと考えていました。

先日なんと45年ぶりに実家の納屋から出てきました。中学2年生のころの日記が。こんなことが書いてありました。
「友達に,<あんたら、看護婦になるのん、どう思う? かなんか(嫌か、の意味)>と聞いたら、友達は
<看護婦はオールド・ミス(古いですね)になるさかい、かなん>と言った。
でもわたしは人の役に立つならオールド・ミスになってもなんとも思わないでしょう」と書いていました。

こんなことも書いていました。
今日は先生が「男の人は女の人を、女の人は男の人を愛するものだ。愛することが出来なかったら普通ではないと言いました。
わたしがもし普通だったらきっと人を愛することができると思います。結婚とはきっと一生の友を得ることなのでしょう。
でもその大事な人を親や他人がよる(選ぶの意味)なんておかしいと思う。わたしだったらそんなことしないでしょう。ちゃんと自分で選びます。
親もよく「お前はいずれはよそへもらわれていくんや」と言います。
言われるたびにわたしはとてもいやな気もちになります。そして、もらわれてなんかいくもんか。信頼できる人ができたら結婚する。だけどわたしは自分の幸福のためより人のために働く。そのためだったらオールド・ミスになってもかまわない。
先生、わたしの考えはおかしいでしょうか。
わたしは自分のからだをとても大切に思います。その大事なからだを、自分の幸福のためだけには使いたくありません。また 何不自由なく暮らしている裕福な人のためにも使いたくないのです。弱い人、困っている人、貧乏な人のために使いたいのです」

と書かれていた。

毎日の日記には、赤ペンで担任の先生の長いコメントがつけられていました。私たち生徒は毎日先生と日記でやりとりしたのです。
その日の日記には「結婚はしたほうがいいよ。またいつでも相談においで」と書いてありました。

担任だったその先生にはわたしたち生徒は強い愛情をもらい、影響を受けました。女性も仕事を持ちなさい、生涯にわたる強い武器になる、と言われた日のことは忘れられません。

そのとき「オールド ミスになるさかい、かなん!」と言いきった友はとても素敵なご主人に恵まれましたが、若くしてご主人を亡くし、結局ばりばりのキャリア ウーマンになりました。

しっかり夫を選びます、と書いた私は選んだ結婚に大失敗をし、苦しい結婚生活を長く強いられることになります。皮肉です。

また仕事を優先で結婚なんかしない、と書いた私はその後、結婚相談所に通いづめる運命となります。

また今もひとり暮らしはできないのです。理屈も立ちますし、りっぱなこともいいます。でもそれを相殺するかのように、どこか間がぬけ過ぎているのです。階段の上からすべり落ちたり、穴のあいたゴミ袋に生ゴミを入れて運んだり。生活破たん者的要素の強い私は共同生活者あってやっと暮らしがなりたっているのですから。

「自分らしく生きる」というテーマをみずからに課し、患者さんの治療にも生かし続けている私。

しかし人生とはいかにモザイクのように入りくんでいて思いどおりにはいかないものか。

あきれるばかりです。

それでもあきらめずに自分を見つめ、不器用にしあわせを追求していくプロセスこそが人生の味。しあわせになるのに、いくつになっても遅すぎることはない。

自分らしさとは何か・2

友だちの家でピアノのプチ演奏会をした。

サンドイッチやコーヒーや果物を用意してくださり、会話もはずみ。

楽しい時間だった。

やっぱりピアノは続けようと思えた。

☆      ☆      ☆

「自分らしく生きるとは」などと考える時期は、健康な人生でも少なくても2回はあります。

ひとつは自我が芽生える思春期。もうひとつは大切な人の死に直面したり、自分が死を

意識した時です。

ですがそれ以外にも、こころの病に向き合う時、考えざるを得なくなります。

私には一度精神科クリニックを開業した時期があります。平成3年のことです。

そのころはまだ精神科は敷居が高く、「開業なんかして食べていけるの?」と心配して

くれる人もいました。精神科クリニックのハシリの時期でしたので患者さんに来ていただく

のに苦労しました。誰ひとりお見えでない日もありました。

ところがそれから20年たった今、私は毎週数人の初診患者さんを診ています。

この変化は一体何なのでしょう。

精神的疾患(統合失調症とか躁鬱病とか)の発病率は変わりませんから

健康に生まれた方の受診ばかりが増えているということです。

精神科医を40年やっています。すでに5世代に関わっていることになります。

いわば診察室における定点観測ですね。

先日のこと若いころに診た患者さんの子供の子供。の、そのまた子供が子育て最中にこころの

不調をきたして病院に見えました。

その女性が不調になったとき、いち早く病院に予約を入れてきたのは、その方の姑さんでした。

なんて優しい姑さんなの?と感激しました。

一緒にやってきたのは実母でした。そして二回目に妹さん、三回目に夫がついてきました。

4回目は実父でした。全員文句なく理解があって優しい方たちでした。私の感激はだんだん

疑問に変わっていきました。

実父は言います。「自分は母子家庭でお金もなくとても苦労したんです。子供たちにだけは

苦労させたくないと思い、思いきり大事に育てました」

「そんな逆境でもこんなに立派に育ったのですもの。金はなくても立派に育つ。

大丈夫って思わなかったんですか」と私。

「そんなこと思うわけないじゃあないですか。自分がした苦労だけは子供たちにさせたくない、

それが親心でしょう」確信をもって言うお父さん。

わたしは黙りこむしかなかった。でもそれでいいんです。

思春期の課題を親にとりあげられた子は、結婚して他者と生活を共にするとき

自分の思い通りにならず悩んだりいとも簡単に破たんします。たまたまやさしく軟弱な配偶者に

恵まれたときには、生まれた子供が自分の思い通りに行動してくれないといって悩み、

破たんします。

おとなしく従順な子に恵まれたときには・・・・・・また次ぎのいつか・・・・

ああ、私ってなんていじわるな人なのでしょう。でも私のせいなんかではありません。

人生はどこかで、あるいは世代を越えて悩みや挫折を経験しないで成長することなど

ないようにできているだけですから。

「自分とは何か」「自分らしく生きるとは何か」を考えること。

それを考えるのは若ければ若いほどいい。しかしいくつであっても決しておそくありません。

人間はかならず「死」に直面するのですから。また老いぼれてしまった自分にはすでに

役だたずとも、つぎの世代にかならず結実するのですから。

たとえ子供がいなくても、あなたの生き方を見ている甥や姪や隣人がいて。

そういう若い人を通じてあなたは永遠に生き続けて行くのですよ。

それが5世代を定点観測してきた私の率直な感想です。

ちょっとつきはなして見守る

そのとき相手は成長する

「自分らしさとは何か・1」

友だちとルイサダのピアノ演奏会に出かけた。食事をしたりしてひさしぶりに長く話した。

彼女は年とってから哲学科の修士号をとった。今現在も勉強中だ。

話してみた「本を書きたいの。でもどうしても書けないの。誰か書いてくれる人、いないかしら」

「自分で書きなさいよ。書けるわよ。書きたいことさえあれば」

「書きたいことはあるわ。いっぱい。でも言葉が出てこないの。たくさんの体験がありすぎて

まとまらないの」

「書きたいことのあることが一番大切なのよ。やってごらん」

背中を押されて、一枚だけ書いてみた。

誰か助けてほしい。

☆      ☆      ☆

昔は精神分裂病と言いました。今は統合失調症といいます。心の病の中で一番嫌われた

病気でした。

そのことによって兄弟が結婚できなかったり、親が病気の子供を一生病院に入れたまま、

世間から隠しつづけた時代が長くありました。そういう時代に私は精神科医となりました。

統合失調症は「自我の病」です。自我が弱いために、社会に出たとたん人間関係などに

つまづいて破たんすることが多いのです。ですから若者特有の病気です。

ところが、たまたま老年期になってから何か身体の病気になって病院に来た女性に、

統合失調症の患者さんを見つけることがありました。

どうしてもっと早い時期に発病しなかったのだろう。あるいは発病しないまま老年期を

迎えられたのだろう、と不思議に思ったものです。

もちろん統合失調症の中でも軽いほうだったせいもあるでしょう。しかしそれだけではない

何かがあったはずです。そういう方たちの多くは、優しく穏やかで面倒見の良い夫を

持っていました。

嫁姑の葛藤からも無縁でした。なかなかに健康でしっかり者の子供たちに恵まれていました。

家庭という砦に守られながら、無理なくその人らしさが生かされ、居場所があり、存在が

認められていたなら、たとえ統合失調症と言えど、発病しなくてすむんだ。

それは私が若い医師だったころの、一番最初のおおきな発見でした。

でも、どうでしょう。優しい夫に守れられながら、家庭という枠から一歩も出ないで一生を送ることは、

その方が選んだ本当にしあわせを感じられる暮らしだったでしょうか。それはわかりません。

昔は、精神安定剤を服用することを嫌がる患者さんがほとんどでした。薬を飲むことは

「精神病者」のレッテルをはられることだったからです。

私は笑いながらよく言ったものです。

「あなたが、誰ともつきあわず、森の中でひとり暮らしをするなら、薬はいらないでしょう。

けれど薬はいらない、病気にもならない。だけど、誰ひとり訪れる人のいない森の中で

一生を送ってそれでしあわせですか」

そう話すとほとんどの患者さんは「それはいやです。私はみんなの中に出ていきたい。

家に閉じこもったままの暮らしなんて嫌です」と答えます。

でもわたしはいじわるな人です。「そうでしょう。じゃあ薬を飲むことですね」

などとは決して言いませんでした。

「そうね。いろんな人生観があるし、好みの暮らし方も違うからね。あたなが森の中で

一生ひとりで暮らすなら、薬はいらない。それでもいいんですよ。でもあなたが別の人生を

選ぶなら、それは強いストレスになるかもしれない。

でもたとえストレスになったとしても、そう生きたいと思うことだってあるでしょう。自分がどういう

生き方をしたいか。どういう暮らしを望んでいるか。それによって治療は違ってきます。

よくよく考えてからまたいらっしゃい」

そう言っていったんはお帰しするのでした。

自分にとっても、患者さんにとっても「自分らしい生き方とは何か」

「どんな生き方が合っているのか」

「悔いなく死を迎えられる生き方とは何か」

そういうことから目をそらすことができない、

それが大きなテーマとなった若い日の私でした。

こころの病は人間関係の病

ひとに近づいて楽しみ苦しみ

ひとと離れて自分ひとりの時間を持ち

またさびしくなって人に近づく

そのバランスの中にこそ人生の醍醐味がある

ロールシャッハテスト

精神科の診察では、会話から診断する場合がほとんどである。

しかし私の場合は、その多くでロールシャッハテストなどの心理検査を実施する。

何十年と診察をつづけていてもわからないことが、

たった一回の検査でわかる。

☆     ☆     ☆

今日の脈絡のない4枚の写真。

昨夜おそくと朝ご飯時と通勤で撮ったもの。

脈絡のない写真を見て想起されることは、100人いれば100通り。

人は自分の見たいようにしか見ない。

見えるようにしか見えない。

花子さんについて太郎君が語ったとき。

それは花子さんに関する正確な情報ではない。

しかし太郎君がどういう人であるかについては、正確にあらわす。

とまあ、考える人は私くらいだろう。

しかしこれは真実にかなり近い。

私が大事にしている二つのこと。

tbara

今の暮らしの中で大事にしていることはたったふたつ。

ひとつは土曜日2時からのピアノ レッスン。

もうひとつは日曜日2時からの、友人との森林浴散歩。

仕事が一番大事だけど、あとはこのふたつをはずさないこと。

それが今の私の暮らしの柱なんです。

でも、これを守るのは大変、つぎつぎと用事や誘惑や障害が発生する。

それらをバッタバッタと切りすてて、守るべきを守る。いかに大変なことか。

そりゃあ、一回くらい旅行したっていいだろうって思うでしょ?

でもね、そんなことやっていたら守れません、ぜったいにはずさないためには

どこにも出かけない。それくらいの気概がないと守れないのですよ。

前置きが長くなりました。

            ☆       ☆      ☆

今日は夫が水泳の試合で朝早く出かけましたが、私には誘いがいっぱいかかっていました。

夫のお客様で友人でもあるA夫妻とB夫妻から、庭を見に来て、という誘い。

一年に一回のもっとも美しい庭の季節だというのです。

もうひとつ、ふたりの友人から別々にランチに誘われていました。

それからもうひとつ。サマー チェリーを注文していた花農家から午後1時に取りに来るようにとのこと。

自宅とAとBご夫婦の家は小一時間もかかってしまうのです。

この5つのことをこなしながら、しかし午後2時の散歩は欠かすことができません。

さあ、どうしよう!

            ☆       ☆       ☆

朝10時、C子さんとD子さんにわが家に集合してもらって、まずA夫妻の家に伺いました。

庭いっぱいの薔薇が満開でした。

薔薇の庭でお茶をいただきました。

つぎに、C子さんD子さん、そしてA夫人を乗せて、B夫婦の家に伺いました。

待っていてくれたB夫人は、私がひとりでなかったので目を丸くしましたが、

そこは手の早い、社交的な夫人。庭を見ている間に、ランチをこさえて

食べさしてくれました。

人に迷惑をかけながら威張るのもどうかとは思いますが、これで C子さんD子さんとのランチの

約束は果たせました。

それからまっしぐら、高速をつっ走って花農家でサマーチェリーを買い。

その足で1時半には友人の家に着いたのでした。

それからは、「私も」「私も」という3人を入れて、5人でオープン ガーデンめぐりと

森林浴散歩をしっかり1時間半、したというわけです。

           ☆       ☆      ☆

人生の中ではいろんなことに流されていきます。

でもこの年齢になって、やっと大事にしたいことを守れるようになりました。

宴会があっても、途中でさっさと帰ることも出来るようになりました。

宴会に10時までつきあうなんて、まっぴらごめん。

行きたくもない買い物や旅行にも行かない。

今わたしが大切にしたいことは、ピアノのレッスンとピアノを弾ける丈夫な体を作ること。

だって、あっという間に10年、20年と過ぎ。

孫たちはどんどん大きくなって、私はあ、あ、ああああーっという間に墓場に行っちゃうの。

父や母がそうだったから、よくわかるの。

すごくよくわかるの。まわりにあわせ、まわりばかり気にしてるうちにあっという間に

墓場に到達しているものなのよ。

そうやって、こんなはずじゃなかった、もっとしたいことがあった。

そう思いながら、あっという間に死んでいく人々を毎日見ていると。

わたしもうかうかとはしていられないのよ。

わかってもらえるでしょ? 不義理だと言われようと、冷たいと言われようと、

もうそうやって生きていくしか、満足して生きる方法がないってことを。

今日、撮った写真を乗せますね。

ブログはすごく時間をとられちゃうので、ちょっと疑問を感じてはいるんですけど。

こんな生き方をした人がいるんだ。いたんだ。と自分のことを知ってもらいたい時期が

いずれ来るんじゃないかと思ってがんばっているの。

今はたくさんの人に囲まれてしあわせだけど、いずれ孤独になったとき、

インターネットで人とつながっていることが大事になってくる時期もある気がして・・・・・・

(以前、孤独なひとり暮らしだったとき、そうだったから、わかるのよ。それに私のブログが

今、孤独な人のこころをなぐさめているってこともあるかもしれないしね)

A家の薔薇。

miyabara

B家のお庭

yosiniwa

yosikomiti

ランチはホットサンドと サラダ。コーヒーが美味しかったわ。

rannti

オープンガーデン

waremo1

popi

森林浴でミヤマオダマキを見つけました。

odamaki

森林浴はやっぱりいいね。

K子さん、いつもありがとう。

一週間の仕事でね、毒気のようなものをいっぱい吸いこんでいると思うの。

それが「吹き飛ぶ気がして、欠かせなくなっちゃったの。生きかえらせてもらっているわ。

あっ、夫が呼んでるわ。「早く寝なさい!」って。

わたしシンデレラ姫だから。10時になると寝るようにしなければ、明日が生きていけないのよ。

sinnrinnyoku

才能について

006

人の能力って、咲かせようと思って咲かせられるもの

ではない、というのが私の説。

人の能力

1、自分には自分の才能が見えない、他人が見つけてくれる。

2、気がついたら咲いていた、ということが多い。

いずれにしても咲かせようと思って咲かせられるものではない。

      ☆     ☆     ☆

建築で才能を発揮した夫は、

「もっと芸術的なことでもうひと花咲かせたい」が口癖だ。

そして、あれやこれやに手を出し続けていた。

私はううんざりしながらそれを見るこの8年間だった。

ところが最近、思わぬところから「緑の新芽」が出てきた。

想像も予想もしなかった事態が起きてきたのだ。

      ☆     ☆     ☆

夫は私と違って、人間関係に無関心だ。文章を書くこともきらいだ。

本や新聞なんて、まったく読まない。だから知識なんていうのもない。

もっぱら関心事は自然現象とか技術的なことそして音楽。

書斎派ではなく、器用で何でもこなしてしまう技術屋さん。

それが最近、ヤフーの知恵袋とかいうサイトで 人生相談の回答者を

やっていて、つぎつぎに ベストアンサーに選ばれるのだ。

最初は建築関係の相談にのっていたのだが、建築関係の

相談って想像以上にやる意味がないらしい。

そこでだんだん人生相談のほうに移っていったという。

ベストアンサーに選ばれるのは、それなりに大変だ。

私が読ませてもらっても「う~ん、うまい!」と思う。

本人は、今書くことがおもしろくておもしろくて仕方ないという、そしてつぎつぎ

ベストアンサーに選ばれていく。

回答は「なるほど」と納得がいったりする。

味やロマンがある。説得力がある。

時にはユーモアがあって。

余計な知識がなくて、自分の感性を頼りに生きてきたからこその

シンプルさと合理性。

       ☆     ☆     ☆

私たち夫婦は 10年前にインターネットの結婚相談所というサイトで

知り合って結婚した。

考えてみれば、夫の書いた自己紹介の文章に感じるものあって

ひっかかったのは(だまされたのは)私のほうだ。

そして私が出したメールの返事にも、誠実さや優しさや知恵など

感じるものがあって、メール経験の多かった私は「うん、間違いない」と

結婚を決めた、といういきさつがある(私の勘の良さは、知る人ぞ知る)

あのとき、夫の才能はすでに片鱗を見せていたのだ。

そして8年間はおとなしくねむっていたのだ。

文章には、夫のシンプルで誠実でロマンチックな性格が

もろに出ている。

      ☆     ☆     ☆

人の才能とは、咲かせようと思って咲かせられるものではない。

まわりがどう育ててあげようというものでもない。

気がついたら「咲いていた」という不思議な代物だと思う。

        ☆     ☆     ☆

「わたしも」と思わぬわけではない。

わたしの考えでは「自分では気づかぬ」ものだから、いつか

何かで花開くのを楽しみに待つとするか。

死ぬまでに間に合うも良し。

間に合わぬも良しとしよう。

病気と株価の関係

株価と病気が関係しているだなんて、誰が考えるでしょうか。

でも私は、これほど似ているものはないと思っています。

患者さんは、病気が治り始めると喜びます。

でも、一本調子で良くなるわけでなく、かならず調子の悪くなる日があります。

するとショックを受けるのです。

調子が良いとうれしい、出来ないでいたことをしたくなるし、つい無理をする。

するとかならず病気は少し悪くなります。

でも、悪くなると無理がきかないのでしばらくおとなしくしたり規則正しく暮らします。

するとまた病気は良くなってきます。

良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、その波に乗っていると、かならず病気は快方に向かう。

そのあたりの加減を、いかに早く覚えるかということが病気を治すコツです。

「ずっとあがりっぱなしだったら、昇天してしまいますよ」というと笑いながら納得してくれます。

最近の株の動きを見ていると、株価の上下と病気の治り具合はすごく似ていると思う。

高くなったら必ず調整が入る。逆に下がりっぱなしということも物理的にあり得ません。

下がりすぎたら、誰かが買って上げるのですから。

株価の上下は、経済学者やファイナンシャル プランナーの予測より、人間集団の

心理的なものに、より多く動かされているとつくづく思うのです。

睡眠や食事(実態経済)を無視して、楽しいことばかりやっていると病気になる(つまり

金融恐慌が起きる)

実体経済が悪くなってもいなくても、集団心理が「悪くなった」と思えばそれだけで

株価は下がります。

心の病気も体の病気も、症状だけの一喜一憂せず、「いつかは治るサー」くらいに考えて、

調子の悪いときは「調整の入っているとき」と考えて焦らない人のほうが、早く良くなります。

人生を良くするも悪くするも、病気を治す治さないも、すべてはその人の知恵にかかっています。

心理的なことや知恵は何事においても、人が考えている以上に大事です。