精神保健指定医の研修会に昨日から東京に行ってきました。
これは20年前から始まり、5年に一度受けなければいけません。
一年に10回くらいに分けて開催されるので、行けるのを選んで受ければいいのです。
2万人くらいいる精神科医が全部どこかに出席しますから、毎回、どなたかと「あら!」ということがあります。
15年前の大阪で受講したとき、偶然一緒だった富山の女性の先輩と今回もまたでくわしました。
出合った瞬間「前より若くなったね」といわれました。15年の歳月を経て、ふたりは見つめあいました。
彼女もちっとも変わらないように見えました。
でも、どう考えたって15年前より若くなっているはずがないのです。
15年前か・・・・・・・・・北陸にいました。別居して、開業したばかりで経営も大変でした。
4人の子供が思春期の最中で、娘はうつ病でしたので、苦労を背中に背負ったような状況だったでしょう。
若かったけど、きっとそのころ若々しくはなかったでしょうね。
「今 どこ?」といわれ、転々と住まいを移した経緯を説明すると「腰の座らない人ね」とあきれ顔でした。
彼女は、ずっと同じ病院を勤めあげ、定年後もやめさせてもらえないとぼやいていました。
「ご主人は?」と聞きました。
「亡くなったの。65歳のとき・・・・・」言葉がさびしく聞こえました。
「そうだったの」と言って わたしは 黙りこみました。
「いろんなことがあるよね、人生」と彼女が言いました。
「そう、まだまだ安心できないよね」とわたしが言いました。
トイレ休憩の ほんの数分の再会でした。
研修が終わった後、さがしましたが、彼女は風のように消えていました。私だけ会場にひとりぽつんと残っていました。
彼女のことを懐かしかったのじゃなく、ドン!と北陸に腰をすえている彼女から
匂ってくる北陸の匂いがなつかしくて、今日は信州の家に帰りたくない、と思いました。
だって、35年も北陸にいたのですもの。私の人生のほとんどすべてが詰まっている年月の。
それでも、帰る家はここしかないので帰ってきました。
帰宅して話すと、妹はわかってくれましたが、夫からは「それだけ年とったということさ」と
言われました。
わたしたち3人とも、根無し草なの。
たくさんの違う町に住んで、あちこちに友達作って、いろんな楽しい思い出や経験がどんどん増えて。
ふだんはとても楽しいと思って暮らしているのに、30年後、たったひとりになったら、どうなる?
そう言ったら「きみが 最後に残るって 誰が決めた?」って言われて「そうね」って答えたけど。
最後は、どこに住んでいても、私の父も母も、祖母も、そして今は 近くに住む夫の母もさびしい思い
しているんだろうなあ、きっと気持ちは孤独よ、と話しあったことでした。
嫁も優しいし、孫もかわいいけど 一日も早く 亡き夫のもとに行きたいの、って いつも泣く
わたしの年老いた患者さんを思い出しました。
本当に センチな一日でした。
東京は2日とも、それほど暑くなかったです。意外でした。