アフタークリニックお待たせしています。

アフタークリニック用メルマガのサンプルが出来上がった。

メルマガというと、普通は字が並ぶだけだ。

しかしアフタークリニックのメルマガは写真あり、ユーチューブありだ。

しかし、パソコンに表示される段階でまだ問題があって。

配布できないでいます、今少しお待ちください。

今日はあまりにも天気が良くて、気持ちよくなって外を歩きました。

帰ってから、コートをほうり投げておいたら。

まず、抜け目のないイチゴが来て、寝ました。

レモンは、うらやましそうに見ています。

いちごが満足して去ったあと。

ちゃんとしっかりレモンが寝ていました。

他にも寝る場所はいっぱいあるんですよ。

飼い主のコートにくるところが、おもしろいなと思います。

猫は犬と違って、さりげなく自己主張をするのです。

飼い主をめぐる嫉妬心が強くあることに、驚くことも多いです。

レモンは飼い主に甘えて「いい気分」でいるときにイチゴが来ると。

鼻息荒く、追い返すのです。

アフター・クリニックの裏方

さわやかな晩秋の休日だった。
こんな日は、家が一番だ。
アフター・クリニックの準備で一日が終わった。

開業は金沢と大阪、2回の経験がある。
開業も大変ではあった。
しかし収入的には、どうころんでも楽である。
保険診療で守られているからだ。
薬剤会社や医療機器のメーカーなどが、助けてくれたり。

今回のものは、事業だ。
体制に守られている医療ではない。

わたしは昔から、ちゃちぃな反体制分子だ。

      

そんなある日。
突然、夫が言った。

「あなたに何かあったら、どーするん」

わたし「えっ?」

夫「あなたに何かあったら、どーするん」

びっくりした。
私に何かあったとき? ・・・・・・・あり得る。
唐突でびっくりしたが。

何があってもいいように、会社組織のスタッフと組んでいる。

そのスタッフたちは、今 システムの開発や、いろんなしくみを作るため。

昼夜なく働いている。

誰にも見えない仕事として。

ひとりでできることは少ない。
システムを作ったり、出来上がった原稿をメルマガとして送ったり。
サイトをわたしたちが使いやすいように改良してくれたり。
わたしが本業をやっている時にも、働いてもらわないといけない。

文字通り、わたしの手となり足である。

これはボランティアではない、お金がかかるのだ。

しかし、彼らにとっても。
好きというだけではできない、でもお金もうけだけでもない。

事業というのは、誰にとってもそれ以上の何かがないとできない。

ピアノを弾くと、かならず足元に来て、聴くレモン。

夕飯どき。

やっぱり夕飯を食べる親たちのそばに来る。

レモンはひそかに甘えん坊である。

今日はたくさんの野菜をやっつけた。
やっつけた、という感じだ。

レモンもいちごも食べれんね。

一日雨。

朝から一日中、しとしとと雨。
かなりうっとうしい降り方でした。

田舎に来たころ。
田舎の雨はなんだかさびしくて、心まで沈んでしまった。
雨が屋根に落ちる音が、とてもわびしく感じられました。

たしかに街の雨と田舎の雨は風情が違います。

おかげさまで。
最近、雨が降っても、気分が沈むことはありません。
雨の日は雨の日の過ごし方があるからです。

患者さんの診察では、かならず天気の話題から始めます。
天気のことを話している間に、患者さんの状態を推察します。

それが一番、患者さんを傷つけないやり方です。

今日は「大変でしたね。出にくくなかったですか」
「気分がうっとうしくなかったですか」と繰り返しました。

リアルの診察より、顔!(^^)!の見えない、インターネットの診察は
もっとむづかしいと思います。

かなりむづかしいと思います。
一生勉強します。

事前登録してくださる方が、じわじわと増えるのでうれしいです。
ありがとうございます。
スタッフともどもがんばって準備しております。

「寒くなりました」

          

寒くなりました。

昨夜と今朝、とうとう暖房を入れました。

あばら屋は大変です。

病院の事務室で、風ででも飛んだか、一枚のはがきが落ちていた。

認知症で数年以上も前から入院されている老婦人に届いたものかと思った。
昔から病院の住所でハガキが届いていた。

700キロも離れたところに住む元恋人からだと聞いていた。

一方通行の便りは数年以上も続いているということなのだろう。

はっとして胸をつかれた。

同棲していた恋人だったというから、正式の結婚と違い、会うこともままならないだろう。

老婦人のほうは、誰からハガキがきているかを認識する力がとうにない。
もちろん返事も書かないと思う。
このはがきは認識できない本人でなく、家族に手渡されるのだろうか。

それでも達筆なそのはがきは、律儀に届く。

数年前と変わらぬ温かい筆致であった。

ちょっとせつなくなった。

涙で字がかすんでしまった。

夫婦関係の中で丁々発止とやるのも仲良しの証拠だろうが。

こんな関係もいとおしくせつないな、と思った。

しあわせの中でぬくぬくと生きていると。

世の中にはこんなせつない状況があることもつい忘れてしまうと思った。

人はやっぱり、いつも誰か大切な人に語りかけながら生きているのかなあと思います。

返事を求めているわけじゃないんですね、

語りかける誰かを求めているのかもしれません。

今日も一日掃除でした。

今日は掃除・整理しながら
手書きのイラストを描いてみました。
イラストや絵を描くのは
多分高校の美術の時間以来です。

書斎の整理をしました。

出るは出るは。思わぬ書類。

お手紙いただいたのに、お返事さしあげていない方、ごめんなさい。

そのうち、そのうち。

そのうち、埋もれてしまうんです。

今日から書類は、その週の間に処理しようと思います。

旅行から帰った夫のカバンに入るイチゴ。

あんな亭主でも・・・

わが家は典型的核家族です。

わたしの母は「子供たちが近くにいて交流することが人生最大の喜びだ」
と言うのが口癖でした。

なのに、娘の私はなぜか集うことがきらい。

「孤独」のほうばかり選んで生きてきました。

今は訪れる人とてない夫婦ふたり暮らしです。

なのに!

その上でまだ、ひとりレッスンやってます。

つまり、いつもセットで動くのではない。
ひとりひとりで動くレッスンです。
今、夫は自分の楽しみのために、海に行っています。
ひとりでは行動できない人でした。
ひとり残された時困らないように、練習を兼ねてるそうです。
大事なこと。応援しています。

わたしは私で、気楽ですが、夜は怖いです。

夫にしか抱かれないいちご、仕方ないから私の膝に。

おやすみの電話をしました。

「ブログを書くのだけが、残ってるの。書くことがないの」と言いました。

あんな亭主でも、やっぱりいないとさびしいのね、と書けよ、と言います。

で、書きました。

あれ? これって誰が言ってるの?

で、再度、電話。

「あなただよ、自分だろ。自分がひとりごと言ってるんだよ」というのです。

亭主本人が書け、言うてるんだから間違いありません。

あんな亭主でも。

やっぱりいないとさびしいんだわ。ンったく!

わたしは孤独癖ですが、でも、ひとり暮らしはさびしいです。

ひとりになったら、いくつであっても誰でもいいから再婚します。
それくらい、ひとりは嫌です。

たぶん、核家族だから、子供が近くにいないから。
余計そう思うのだと思います。

夫が残されても、再婚してほしいです。

どちらが残されても、最後の最後まで再婚します。
同世代の話相手がほしいから。ぬくもりがほしいから。

ひとりの夜は苦手です。

あんな亭主でもやっぱりいないとさびしいのね。

頭はアフター・クリニックのことだけに。

雑誌「いきいき」の12月号に載りました。

最初は、出版した本が売れたらいいな、と思っただけでした。

ところがそうこうするうちに、長年のインターネット心療相談の計画を

形にしてくれる会社と出会ったのです。

で、頭はもう、それだけになってしまいました。

本のことが飛び、私のブログや新しい計画について載せてほしいと、

強く、強くお願いしました。

で、載りましたよ! ナットクしました。

全国で20万部、売れている雑誌です。

けれど、本の読者でインターネットをしている率は少ないそうです。

効果はあまりないでしょう。

でも。いいんです、始まったばかりですもの。

でもでもでも。

わたし、開業は三回目なんです。

金沢と大阪。全部最初は本当に大変だった。経験者です。

だから今回も3年はかかると思っています。

根気強く、働きかけ続けます。

楽しみながらやります。応援してね。

富士河口湖町中学二年生・講演

講演をしました。
全校生徒600以上の大型校で、二年生は220人。
父兄もおられました。

講演原稿を書く作業は、左脳。
講演は右脳。

書いた原稿は見ずに話すのです。
原稿なんか書かずにやったほうがうまくいくと思うくらい。
原稿書きと講演は使う脳が別。

生徒のエネルギーはすごくて、へとへと。
素晴らしい体験でしたが。
今は、ぐうのネもでません。

これを書くのがやっと。
今夜は当直です。

いい加減にやるのなら両立は可能でしょうが、わたしには両立は無理。

「鶴の恩返し」じゃないけど、自分の羽根で布を織るようなものです。

中学二年生・講演・その6

お知らせ

いよいよアフター・クリニックがスタートします。
HPトップ(ブログ表紙・http://www.yumeline.com)から「お知らせ」を
クリックすると 事前登録のページにいきます。
ぜひ事前登録をお願いします。
メルマガが配信されます。

さて、長くなりました。
読んでくださっている方々にお礼申しあげます。
思春期特有のむずかしさへの対応も大事です。
主催者はそれを求めているのでしょう。
しかしそこに至るまでの過程は以外に親や子に知らされていません。
だからこそ大事だと思い、書いています。

さて、ご両親と一緒に住む家の隣にもう一軒「あなた」というおうちが
建った状態、というのが、あなた方の置かれている状況だと話しました。

ご両親のおうちとあなたが住むおうちは、棟続きで渡り廊下があります。
あなたは自分の家で暮らしてもいいし、
ときどき甘えるためにご両親のおうちに帰ってもいいし。
どちらでもいいという状況です。

これから長い一生を自分の力で生きていかなければいけない。

しかし今は親に甘えることもできる。
嫌だったら自分の家に行くこともできる。

ご両親によっては土足でずかずかとあなたのおうちに入ってくる
人もいるでしょう。
だけど心あるご両親なら「入っていい?」
ノックのひとつもするでしょうね。

ところであなたの家ができあがったのは、今に始まったことではありません。
家らしい形になったのは、

実は小学校の3年生か4年生のころです。

そのころ、自分の親は本当の親ではないんではないか。
本当の親はどこか別のところにいるんではないか、という
そんな思いを持ったことはありませんか。
た自分の親がもしいなくなったらどうしよう、と不安になったことは
ありませんか。

また、家出をしたらどうなるかな。
親は心配するだろうか、など想像してみたことはないですか。

いままでは、親との関係にどっぷりつかっていたあなた方が、
親から離れて客観的に自分を見てみたい。

親から独立した自分は、いったい何者なのか、

という問いかけをする時期があったはずです。

自我の目覚めと呼びます。

もちろん自らに問うわけではない、意識するわけでもないのですが、
しかし、そんな心理状態になっていることは、
大人ならだいたい誰でもわかるんですよ。

あなたが10年20年たって、子供を持ったとき、きっと今日の話を
思い出す、という形で初めて意識にのぼるかもしれません。

そして、世界で一番だったお父さんやお母さんの位置づけが、
このあたりを境にして下がる一方になります。
そして親との間で求めても得られなかったものを親以外のところで
求めようとします。
しかし外での体験に疲れ果てて帰るところは、
やはりご両親の家しかありません。

ですから親に反抗的になって心を開かなくなったかと思うと、
外での疲れを癒すかのように、
以前より妙に甘えたりべたべたしてきます。

そのあたりの心理的状況を親御さんのほうでもわかってあげないと、
今まで可愛い可愛いで育ててきた子供が、
黙ってしまったり、反抗的になったりする。

子供に、裏ぎられたような気持ちになって、ついつれない態度で接して
しまうことがあります。

素っ気なくされた子供が、一時的に憂うつな状態になることは、

しばしば見られます。

「自我の目覚め」ともいうべき、この時期には親も子供も
つらい時期かもしれません。

腹立たしく扱ってしまったり、逆に「反抗期よ」と事もなげに
言い放ってしまう親御さんもいます。
どちらも子供の気持ちをちょっぴり憂うつにさせてしまうかもしれませんね。

子供とすれば、そういう心理状態にある子供を理解して
「ああ、成長したんだなあ」と丁寧に扱ってほしいところです。

さて、親の家に住みながら、ときどき自分の家が新しく建っていくのを
見ているような不安定な時期を経て。
今、はっきりと、親から精神的に独立した「自分」を持ち始めたあなた方が
存在するわけです。

どうですか。

長々と話してきましたが、あなたが今ここに至るまで、

あなた自身がどんなにたくさんの心の旅路をしてきたか。

少しはわかってくれましたか。

そしてここに至るまでの長い間、お父さんやお母さんが
どれだけあなた方の心を育てるために、時には心から楽しみながら、
時には自らを犠牲にしながら、
時には不安や戸惑いや腹だたしさを感じながら、育ててくれたか、
少しはわかってくれましたか。

早くも「挫折」まあやる前で良かった?

今朝、初めて早朝散歩というものをしました。
意を決するところがあって、朝起きてすぐ出かけたのです。

わが家は観光地にあります。旅館やホテルではなく、
ペンションというものがあります。
そこに修学旅行でやって来た子供たちが散歩していました。

震災があってから、東北地方へ修学旅行に行っていた子供たちが、
信州へやって来るようになったらしいのです。

私は案外人見知りなのですが、思いきって声をかけました。
そうしたら「茨城からやってきた中学二年生」だということです。

三々五々に散歩をする「中学二年生」に釘つけになった私。
からだはもうおっさんやおばさんと変わらないくらい大きかったです。

ひとりひとりを見ればかわいいのでしょう。
色気がまだ出ていないので、集団で見ると
顔も、もう色気の抜けきったおっさんやおばさんと同じです。

でも、やっぱりまだまだ子供ですね。

三回にわたって、自分の考えを講演要旨として書いてきましたが、
子供たちを見たとたん「こりゃ、あかん」と思ってしまいました。

こんな子らが200人塊になって、そしてその親が200人近くも
一緒にいる会場で話すんだ。
これは甘くない。一瞬でそう思いました。

おとなは無理にでも聞いてくれるでしょう。
しかし子供はよほど興味をそそられなかったら聞いてくれないのでは
ないでしょうか。

いまどきの子供だから、教師と父兄がいれば一生懸命に聞いてくれようと
するかもしれません。
しかし、しょせんは面白くもない話をされたら、迷惑です。
かわいそうです。

今日は当直。
当直のおっちゃんに手短に話しました。

「どうしよう。話に具体性がないとだめだよね。恋愛の話なんかはいいんだけどね」

「そうそう、それがいいよ」

「でもね。まだ恋愛って感じの年齢じゃないよね。経験のない話はだめだよ。
いっそ、自分の話をしようかしら。いろいろ人生の道で失敗した話」

「うーん。テレビで知ってる有名人が檀上にいるんなら私生活に興味も
わくと思うけどね。
無名の人の人生なんて中学生が興味持つとは思えんよな」

「そうよねえ。そうだなあ。ああ。どうしよう。いい案が浮かばないんだよね」

ふたりは思案に暮れたのでした。

わたしは、中学生たちに何を伝えたいんだろう。

まず、そこだ。まずそこだ。考えました。

まず、何があっても「死なない子」になってほしい。

死んでしまったらおしまい。けど生きているかぎりなんとかなる。
それがホンネなんだけど、いきなりそれじゃあ重い。

なぜ簡単に死んでしまうかというと、自我が育ちきっていない時期に
悩みを持つと、
客観的に自分を見れなくなるからだ。

そうだ、いかに客観的に自分を見つめることができるか。

自分を見つめることができる大人に育ってほしい。

でもこれって、立派なおとなでさえ、出来てない人のほうが多いくらい
困難な人生のテーマなんですよね。
大人でさえ出来てないことを、中学生に話してもな、と思えました。

大人が聞いても納得のいく話を、中学生でもわかるように話したいのです。

やっぱり家族関係、ともだち関係を例として出しながら、誰もがぶつかる
人生の課題について話すことでしょうか。それしかないと思えました。

いきなり「壁」にぶつかってしまいました。

生の中学生に出会って、本当に良かったです。
ふだん、見ないですもん。中学生の集団になどでくわすことのない山の中に
住んでいるのは、こんな場合にはマイナスです。

講演ってね。むづかしいです。
講演大好きという人の話って案外中身がなかったりします。

同じテーマで数回以上やると上手になってくるのですが。

期日は迫っています。