漫画家の弘兼健史がわざわざ本を出して、モノの整理、人の整理そして「孤独」について書いていた。
「孤独」というと誤解があるかもしれない。
「心の自立」とも言いかえられるかもしれない。
彼は、喫茶店にはひとりで行くと言う。
雑然とした中で、孤独感を感じながら漫画の構想を練る時間はとてつもなく楽しいと言う。創造活動をしている人だからか。
旅もひとり旅がいいな、と言う。
それも、行く宛てや行き先の決まっていない旅もいいな、と言う。
なんでも「夫婦ふたりで」というのが考えられないと言う。
奥さんは 柴門 ふみ さんだ。
別の記事だが、柴門 ふみ さんにも言い分があった。
柴門さんの言い分を聞くと、夫の行動は若いころらか自分と仕事だけを大切にした「気ままで身勝手」なふるまいが多かったという。
本での言い分は一方的だ。奥さんにはまた、違う思いがあったということだが、それはそれとして・・・・・
職場で話が盛り上がっても「ランチしに行こう」と「飲みに行こう」という話は多いが「喫茶店にひとりでは行けない。行かない」という人が大半だ。
ほとんどの人が、そういう行為をしないらしい。
でも昔だけど、ニューヨークに行ったとき、カフェはほとんどが「ひとり」だった。アメリカ人は、喫茶店にはひとりで行くことが多いようだ。
男性も女性も、老いも若きもひとりで珈琲を飲み、のんびりと新聞や本を読んだりしていたのが印象的だ。
私は、ひとりでカフェにいる時間って、人間の成長に必要な時間だと思っている。
カフェでなくても、家でもいい。「部屋を閉めきって、ひとりでいる時間」も必要だと思っている。
多くの家庭人は、「ひとりでこもる」ことをしない。
だから、他の家族の心にずかずかと入りこんで、あれこれとうるさく言うようになる。あるいは一緒にいるのに、他に無関心だ。
やっぱり「孤独」は「心の自立」の第一歩。
ただ、家族がいる人の場合には、家族とのの時間も意識的に持っていかないと、だんだん煩わしくなってしまう。家族っても「夫婦」だけどね。親子は血がつながっているから、努力しなくてもベタベタする傾向にあるから。
自分にメリットがあると思って家族を持ったのでしょ?だったらメンテもしっかりやらないとね、と弘兼さんには言いたい。もちろん彼の言うことには私も同感なのだけど。
ただ妻の柴門さんが、ほとんど満足していなくて、まあ合わせているしかないかとあきらめながら相手を理解しようとしていることに切なくもなった。
わいわい騒ぐことしかできない、喫茶店にもひとりで入れない人は、私はあまり・・・・・・
だけど、自分勝手なだけでは、「社会人」として成り立っていかない。
バランスよく、両方の時間を持てるようになりたいと思った。
ただ・・・・・・
きわめてつきあいの悪い。冠婚葬祭にも出ない。ちょっぴりヒジョーシキを認める私としては、弘兼さんのように、白昼堂々と言ってくれる人がいると、ついホッとするのである。