わたしには、治療上の語録がいくつもある。
○○○○子・語録である。
そのうちのひとつが、「人間関係のトラブルは8割以上がその距離の取り方の
問題である」というものだ。
どんなに適応能力のある人でも、距離のとり方を間違うとトラブるし、悩む。
人間関係が不器用なら、人とうまく距離をとれる環境を選んで生きていくことだ。
☆ ☆ ☆
さて、私は今悩んでいるのだが、自分の語録を自分にあてはめてみた。
毎日、日替わりで 3つの病院に行っている。
それだけでもストレスだ。普通ならやれない働き方だ。
ということは、それぞれの病院で、よほど人との距離をとっていないと大変なことに
なっても不思議じゃない。
ということに、今日ハタと気づいた。
過剰適応じゃないけれど、たくさんのみんなと協調しようと、無理をしてたかもしれない。
というわけで、昨日にひき続き、今日の病院でも、引きこもっていた。
精神科医って内科医などと違って仲間がいない。どこでもひとり体制だ。
孤独なのに、責任だけはすべて自分だけにかかってくる。
そして責任はあっても、権利や権力はまったくない、なさ過ぎ。まったくない。
そういう構造がストレスなのだ。
「精神科医としての状況の構造」というのは、そういう意味だ。
でもマ、ひきこもることである程度解決するかもしれないと思えてきたので
今日はちょっとうれしかった。
用事のある人が、私をさがしてやって来ればいい。
「あああーーーさびしーっ! さびし過ぎて狂うわーっ」って叫ぶくらい、ひきこもってみようっと。
診察だけしてるのが、一番楽だけど、開業も楽ではなかったし。
まあ 楽な商売はないってことだ。