私の職場の机の後ろ隣に、40才後半の先生がいらした。
仲良くなって、椅子をクルリとまわして、よくしゃべった。
その先生が転勤され、今度は20才代の若い先生になった。
秘書さんが笑った言った。
「先生。今度は相手にしてもらえないかもしれないわね。若過ぎるもの」
私も苦笑した。
秘書さんの予想に反してそれから半年、ふたりは結構の仲良しになった。
30数才の年齢の差を越えて。
赤ちゃんが生まれたばかりであるらしく、昼休みに写真を見ている。
今日、向こうから話かけてきたので、私のことも話した。
「新しい医者が来るので、とうとうやめることになったの。
それはいいの。新しい医者が来ることは病院のためだからうれしいの。
私も若いときには、そうやって年とった先生を追い出したきたんだもの。
でもね。こないだ、私の親友が亡くなったのだけど、笛吹きだったの。
精神科のケースワーカーをきっぱりやめて、横笛吹きになったの。
癌で亡くなる直前まで笛を吹いていたけど、年々音色が良くなった。
亡くなるのがもったいない。もっと聴いてみたい。そう思えた。
音楽家とか画家とか、年齢に関係なくだんだん良くなっていくってことがある
よね。でも医者ってどう? 30代、40代が盛りだよね。一番いいときって
ただただ年齢でしょ。自分でも、そう思うし。
顔しか見えないでしょ。キャリアも長所も見えない。顔と年齢だけで判断されて
しまう。年で値踏みされるのは嫌なの。だんだん味が出る、まわりからもそれを
認めてもらえる。そんな働き方、生き方をしたいの。どうしたらいいかしら。」
でもその彼は笑いながら、こう言ってのけたのだった。
「でもね。50才後半あたりから、あきらかに、動作も鈍い。頭も固い。勉強の意欲も
乏しい。どう見てもやっぱり働きざかりには勝てないよ」
童顔のその先生にそうもハッキリ言われると、なんだか納得して笑ってしまった。
「そうかなあ、年齢を超越できる先生なんか100人に2~3人か」
そう言いながら、話は終わった。
瑠美子さんの笛の音色は、年を追うごとに良くなっていった。
練習をたえまなくしていたからだろうか。
年とっても練習やレッスンをたえまなくやっているかどうかだろうか。
年とるからだめになるのではなく。
職業が違うからだめになるのではなく。
年とるほどにいい味を出したり、いい仕事をする人は、それだけ努力をしている、
ということなのだろうか。
精神科医であることに疲れたとても優秀な先生が、58歳でリタイアして画家に転じた。
繊細すぎて、優秀すぎて疲れたと思う。
その先生から年賀状をいただいた。心境が書いてあった。
死ぬまで現役で、が口癖だった精神科の先生が、先日80才半ばで亡くなった。
いろんな生き方がある。
若い人は案外、自分より年とった人の生き方を見ている。
「自分らしく生きたい」と願った12才の少女は、それから50年経た今もまだ
何かを願って迷っている。
性分というものは、その人にくっついたもので一生なおらないものであるらしい。
「楽しく悩んでいるのよ」と答えておきたい。
気晴らしに街に出たが、猛吹雪にあい、死ぬほど怖い思いをして帰ってきた。