散歩日和

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今日は散歩日和。

近くの農場まで 散歩をかねて 野菜を買いに。

田舎暮らしになってもうじき2年。

このごろやっと 散歩が身についてきた。

散歩日和になるといつでも家を飛び出すようになった。

健康のため、という能書き不要。自然の中にいる、そのことだけで

体も心も喜んでいるのがわかるから 自然に飛びだしてしまう。

                ☆      ☆      ☆

仕事に関しては強い信念のある私だが、住まいに関しては何の信念もない。

夫が行くところなら どこでもいいよ、と越してきた この山暮らし。

皆から同情されるくらいの標高高い山の中だけど、わたしにしたら

マ、どこでも いいところあるんじゃない? っていういい加減さ。

そして最近、少しづつ 好きになってきている(慣らされてきている)

先日の休日など、2時間も散歩したのに、朝から寝るまで 人間には誰ひとり出会わなかった。

都会にいたときも 楽しいと思ったけど こんな山の中でも楽しい。

どちらがいいかってことじゃなく 

何を捨て、何を得るか、それだけの話だもの。

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蕗のとう

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 さすがに住まいのあたりも暖かくなって、

蕗のとうが、食用を通りこして

鑑賞用くらいに咲きだしてきました。

黄緑、大好きな色です。

地味すぎず、派手すぎず、顔がとても優しくうつるので

黄緑の洋服を見けけるとつい買ってしまい、何枚か持っています。

それらの洋服もこれから活躍するでしょう。

こぶし

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家の近くで 二本の こぶしの樹が 人目をひいて真っ盛りです。

一本の樹に ピンクと白の花が咲いていました。

かたくり

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所用で出かけた先の林の中で。

枯葉をふんで歩いていたら。

かわいいかたくりの花を見つけました。

きんぴらゴボウ~~コロンブスの卵

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これも20年くらい前話である。

そのころつきあっていた男性は、ひとり暮らしだったが料理が上手だった。

あるとき、手料理をご馳走してあげるというので喜んで出かけた。

わたしも何か一品をと思い、おふくろの味、きんぴらごぼうを丁寧に

作って持参した。

さて、その日は、蟹すきだった。わたしも早速 手製のきんぴらを出そうとしたが・・・・・・・・

そこには すでに きんぴらごぼう が テーブルに出ていた。

それは 見事なできばえで 糸のように細く切られたごぼうと人参。

それにくらべて、わたしのときたら・・・・・・精一杯細く切ったつもりが・・・・

なんとなく太くて 田舎くさいではないか。

 彼氏のお母さんは大阪にお住まいで料理がとっても上手。

大阪から送ってくれたのだとの話だった。

自分のきんぴらを 出さなかったことは言うまでもない・・・・・・・

それ以来、すっかり きんぴらは苦手になってしまった。

本を見ながら丁寧に作れば 美味しくはなるけど 面倒になってしまった。

ところが、最近知りあった友人が 「きんぴらのごぼうは皮をむかなくても

いいのよ。水にさらさなくてもいいの。丸たんぼうのように ザックザックと

切ればいいの。そのほうが美味しいのよ」という。

彼女はペンションのオーナーで お料理上手。彼女が言うのだからと思って作ってみたら。

なんと 正解! ごぼうも人参も甘みが出て美味しいこと。

なあんだぁ。発想の転換だ。

本当にらくらく。あっという間に作れて美味しい。

 料理って やっぱり頭がやわらかい人の専売特許だと思ったことだった。

桜の想い出

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25才の春、夫の転勤で弘前に住むことになった。

そのとき見た弘前城の桜は、当時この世のものとは思えないくらい

すばらしく、日本一だと思った。

その頃は 桜見物などという風習は なかったように思う。わたしは子供をおぶって見にいったけど、人影なんて まばらだった。

すばらしい桜を 子供と ふたりじめして感動した日が懐かしい。

今、新聞などには弘前城の桜は すばらしさでは日本で3番目か4番目と言われている。

 でも多分、青森って 人口がすごく少なくまた不便なので。

東京や大阪みたい人が多くないし、わざわざ弘前まで出かけられることがないから その素晴らしさがあまり知られていないと思う。

弘前。もう一度行ってみたいが あまりにも遠くて 行く機会がない。

今日、仕事帰りに 日本で5本の指に入るという高遠城址の桜を

見に行った。

信州の遅い春は これからだ。

憧れの・・・・・・・

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今日は休日でした。 
平日に家にいるというのは、最高の贅沢です。憧れの・・・・・
たまだから こんなにうれしいのかもしれませんが。

早速散歩をしました。

近所の公園に 水芭蕉が咲いていました。

ライフワークバランス

住まいのあたりは高原なので春が遅い。
今日は雪が降った、ちょっと愕然とした。
桜なんてまだまだ見ようも出来ない。

 3月まで、何十年とフル回転で働いていたが、思いきって4月から休みを多くした。
まだまだ常勤で働ける年齢なのだけど、思いきって少なくしようと決めたのだ。

 ところが、長年常勤で働いてきた身には、パートというのが、いかにも肩身が狭い。
机さえない。名前も知られないし、責任を持たせてもらえない。

病気というのは、曜日や時間を選ばない。
だから常勤ということは、「夜も日曜日も責任を持つ」ということだ。

ところが「夜も日曜日も責任を持つ」ということは並大抵のことではない。
わたしにとっては、今までも一番苦手なこと。

だからできたら「日曜日も夜も責任を持たなければいけない」常勤医の 助っ人でいい。
それくらいが気持ちが楽。

そう決めてパート医を選んだのだけど、まだ時々、欲や迷いが出る。

欲が出るのは、精神科医というのがどこでもひっぱりだこだからだと思う。
「来てほしい」「もっと働いてほしい」と言われたら悪い気がしない。

 でも、本当にいい仕事をしたいと思ったら、時間的には ちょっともの足りない、って
いうくらいが、ちょうどいいと思う。

だって、医療器械なんだもの。
精度を保とうと思ったら、これ以上仕事を増やしたらだめ。
そう言いきかせているわたし。

友人たちは「もっと遊ばなくってはだめ。働き過ぎよ」って言うんだけど、

働くことが辛いことで 仕事をやめたら 楽しいことばかり待っているわけではないと思う。

やっぱり 仕事と生活のバランスが大事。ライフワークバランスの良いことが 一番だと思う。

                           ☆      ☆      ☆

ところが、がむしゃらに働いていたときには、何かを埋めるように、ホームページを整備したり
ブログにもがむしゃらに何か書きたかった。

なのに、仕事に余裕が出たら、あまり書きたくない。
なんか憑き物が落ちたような気持ち。
ブログを再開したばかりなのに スミマセン。

今日は久しぶりで ピアノを弾いた。楽しかった。

仕事と 私生活の間で 揺れ動くわたし。

でも、いかにも わたしらしくて いいではないか、と思うことにしよう。

「医療器械」の不調

精神科医の見立てや治療は、他の科のように血液検査や内視鏡というわけにはいかない。

精神科医の検査器具・治療器具は「自分の体」。体しかない。

しかも、相手はもっとも傷つきやすい患者さんだ。

だから、少しでも体調不良だと、見立てはともかく、治療の際に影響してしまう。

疲れているときの一番の失敗は「つい一言多くなること」

「口は災いの元」を地でいく結果になってしまう。

人間は疲れてくると、おしゃべりになる。年とるほどにおしゃべりになるのも
抑制がきかなくなっているからだ。

抑制をきかして人の話を聞くためには、体調が良く、しっかり抑制がかかっていないと出来ないのだ。

だからふだんからものずごく、神経質なくらい体調管理をおこなう。

日曜日は、たいてい「医療器械」の整備に追われるというわけだ。

             ☆    ☆    ☆

このところ気分がぱっとしない。

でも今日は久しぶりで ひじきの煮物を作った。

料理できるということは、わたしの理屈からいくと疲れているわけではないのに。

なぜだろう。

人間は「自分を知る」ということがもっとも難しいと思う。

天気のせいにはしたくないが、各地で桜が咲いているというのに今日はこちらは雪模様だった。

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冷たい医者

8年前から勤めていた病院を、3月一杯でやめることになって、患者さんたちと
お別れの挨拶をすることが多くなりました。

若いころからこれで5つ目の病院。これから働く病院は 6つ目です。

精神科医としての治療は、できるだけ医療の分野をはみ出さず、あっさりあっさりを心がけて
いますが、人格と人格のふれあいの中で治っていく方も多く、精神科医と患者さんのつながりは
どの科にもまして深いものがあります。

ですから、長く勤めた病院をやめたり、開業を閉じたりするたびに、患者さんたちにはとても
さびしい思いをさせてしまいます。

それでもあえて、わたしは病院を数年から十数年でやめてしまいますし、新しい病院に患者さんを
ひき連れていくということをしません。

患者さんの人生まで背負ってしまう状況がおきてきがちな中で、だんだん肩の荷が重くなって
きます。
反対に、患者さんの側にとっても、どんなに良い医者だと思ったとしても、別れを経験して、また
新しい出会いを持ってほしいと思う。

わたしという主治医と出会ったことで良くなっていった、と思う患者さんでも、別れて数年もすると
わたしと別れ、別の医師とであったからこそ、ということをたくさん経験して成長されています。

精神科医なんて、ずーっとつきあっていくものではありません。
忘れられていくのがいいと思う。

というのが、わたしの 美意識です。

大学や就職で家を離れていく子供を見つめるときの母親の気持ちに似ていると思う。

こころの治療は 子育てと同じだから。

                 ☆      ☆       ☆

もっとも、患者さんのために変わっているのではないのよ。動機は自分。

自分が生かされていない、馴れ合いになっているなど感じ始めると、

あえて環境を変えたくなる。

「変わっていく自分」「成長していく自分」を見たくなる。

楽チンで楽しいとか、裕福であるとか、地位や名誉があることより、

「好奇心を満たす」ということが、わたしの人生では 一番大きな要素を占めて。
その誘惑に勝つことはできない。