連載コラム(51)家の中に社会の風を入れる

8月2日最新号です。

これも好きなコラムです。

最近、親族内での殺人事件が目につく。それが夫婦や親子の場合、テレビなどで近所の方が「仲の良いご家族でしたよ」とコメントしていることが多い。誰にも相談出来ずに胸に秘めていたり、あるいは仲の良い家族を演じていたのではないかと胸が痛む。

私自身は、夫婦や親子で悩んだ時できるだけ隠さず、相応しい人を見つけて話を聞いてもらう。家の恥かな、と思えるようなこともその相手には隠さない。夫はそれを「我が家の恥をさらす」と嫌うのだが、自分としては、家庭というものを閉ざされた場所にしたくない気持ちがある。そして何より話すことで客観的になれたり、心が穏やかになり、先に進めることが多い。

そもそも親子や夫婦は、もっとも心を許せる相手であると同時に、ドロドロした関係でもある。その両面を持っているのが肉親というものの宿命だ。だとすれば、いいことばかりではない。悪いことは何ひとつないと断言できるなら、それはよほど表面的で淋しい関係かもしれない。

診察室で「家族を殺そうかと思いました」などと患者さんが打ちあけても、私は驚きもお説教もしない。つまり、そういう気持ちを誰かにぶつけた時点で、そのドロドロ感はひとまず冷静になったと思うからだ。

「家の恥をさらすな」という気持ちもわかる。が、家族を殺したくなるくらいの家族関係を隠し通した結果の殺人事件は、心を開けるちいさな機会を逃し続けた結果である。ふだんから夫婦間の葛藤や子どもの心配事などを言葉に出し、助けを求めていたなら、と思わずにはいられない。

「娘の結婚が遅くて気がかりで」と口に出したところ、いい相手を紹介されて結婚した人がいる。「わが子のダダがひど過ぎて、私、母親失格だわ」と思いきって打ちあけたことで子育てが改善し、母親が子育てアドバイザーにまでなった人がいる。「うちの子、ひきこもりがちなの」と相談したのがきっかけで、私の診察に通うようになり、いまでは立派な社会人になったケースもある。

家族内にうずまく悩みは誰にでもあるもので、決して恥ずかしいことではない。

ここがポイント!

自分の弱さや家族の弱点をさらけ出すのは勇気がいる。しかし勇気と引き換えに、度胸が座る、客観的になれる。

そして何より家の中に新しい風が吹き始めるのがいいのだ。

最近、医療者も病院だけにこもらず、訪問などで積極的に外に出るようになった。家の中に社会の風が入っていくことで防げた少年事件や殺人事件は多いと思う。家という密室をいい形で社会につなげていこう。