「なぜこころは病むか」などの著書がたくさんあり、ごく最近では「ヒトとサルの間」という本を出された
精神科医の大先輩、吉田脩二先生とは、大阪で知りあった。
その後、お互いに大阪を経て、偶然同じ土地に住むという奇遇。今日は診察中に突然会いに来てくだ
さった。10年前に大阪で知りあって以来、今日で3回目。
会って握手をした後、わたしを見て「君は年齢不相応の元気さだね」とおっしゃった。
「年齢不詳の若さだね」ならうれしいが、年齢不相応の元気さだね、と言われ複雑だった。
たしかに私が仕事に向かうときのエネルギーは 年をとっても衰えることがない。
たしかに仕事中はとても元気だ。
ところがその元気さは、 仕事をしてない時間の養生に支えられていることを誰も知らない。
仕事をしていない時間をとても大切にしていて、エネルギーが減らないように気を配っている。
どうしたらエネルギーが減らず、たまっていくかも知っている。
たとえば、ふだん人とはほとんど会わないし、むやみに出かけない。
人を診察する今の仕事を大事にしたいと思ったら、それはやむを得ないことだ。
あちこち遊びまわったり旅行をしている人は元気に見えるが、そんな人も、いつもいつも元気なわけで
はない。
要は、エネルギーをどこに集中するか、どうやって集中するか、何に価値をおくかの問題だ。
元気な人と会うと「元気をもらった」というが、元気な人と会うから元気をもらえるわけではない。
むしろ エネルギーを吸いとられることのほうが多いと思う。
そのとき元気になったように思うのは、自分の中でよどんでいたエネルギーの動きがよくなるからだ。
エネルギーをためること、流れをよくすること、それを価値あることに使うこと。
それをお勧めしたい。