こころの病と向き合うために・7

自分の心を見るという体験は、「コロンブスの卵」に似ています。意識してやっていないので、えっ?と思う

かもしれませんが、誰でもやっていますし、出来ます。

「誰でも精神科医になれる法」というわたしのエッセイがあります。精神科医の教科書は何ですか?

フロイトですか? ユングですか?どちらでもありません。精神科医の教科書、それは「自分の心」です。

人の心はぜったいに見えません。だけど自分の心だけは手にとるようにわかります。わたし自身がどんな

ときに、どんな気持ちになるか。自分の気持ちや心の動きを見ることによって法則性を知り、それを相手の

立場になって当てはめてみるのです。人間の心理というものをその繰り返しで学んでいくのです。

と、言ったような内容です。

このことは、病気のなった患者さんにもあてはまります。心の病気になったとき、医師から問われますから

なんと答えようかと考えます。これは普段から考えていないと、診察のとき答えられません。「気分はどう

でしたか?」と問われるので、必然的に、ふだんから自分のこころをのぞきこむようになります。

「自分の心を見る」ということが、初めて意識にのぼるのです。そして余談ですが、そういう意識にもって

いくような診察をする医師が、良医です。

これは身体科にもあてはまりますね。「なんとなく悪いです」と言っても、医師はとりあってくれません。

ですから自分のカラダに意識を向け、自分の状態を自ら観察することになります。あまりにも意識を向け

過ぎると、心身症と呼ばれてしまいますけどね。

病気の予防には、ふだんから自分のカラダや心に意識を向けておくことが大事です。

そのことをお教えてしたくて、長々と理屈っぽく書いてしまいました。ストレートに言えばいいようなものですが、

理屈でわかってもらいたかった。

生まれて10年、お母さんがずっとあなたの心につきそって、あなたの心を、自我を育ててくれたように、その後

死ぬまでの何十年は、自分が自分の主治医として、自分を大切に、自分につきあっていかなければなりません。

その大切さをわかってほしいと思います。

この話は中学生から大学生くらいの若い人に話すと、目を輝かせて聞いてくれます。いつかそんな機会を持ち

たいと思っています。彼らは親から、おとなから押しつけられた身勝手な価値観と、自分らしい若々しい感覚の

はざまで悩んでいるものです。若い人たちが、親の押しつける「ねばならない」に縛られて、どれだけ苦しんで

いるかについては、おとなになった人たちはたいていきづいていません。わたしの話は若い人はスポンジが水を

吸収するように聞いてくれる。

わたしのブログの読者はどちらかというと、もうおじさん、おばさんになった人たちだと思うけれど、ぜひ自分の

まわりの若い人たちに、子供たちに孫たちにわたしがこれから書くことの少しでも伝えてほしいと思います。