自分らしく生きる13 たくさん種まきする

映画監督の新藤兼人さんが、98歳になっても脚本を書きたい、仕事をしたいという欲望は増す

ばかり。それは「私らしく生きたい」という「欲」なのだ、と書いていた。

彼のように、この道一筋で自分の好きなことを見つけて生きてきた人は、尊敬する。

けれど江戸研究家の田中優子さんが「この道一筋を尊とぶようになったのは、明治に

入ってからだ」と書いていた。江戸時代の文化では、芸術で身を立てていた人でさえ、

名前を売って人に知られるとか、好きなことを見つけてそれに一生をかけるという文化

ではなく、職業や名前さえ途中で平気で変えながら芸術的な活動をすることもあったと言う。

時代によって違うことなどあたり前だから、人によって違うのはあたり前だ。

私にとっての「自分らしさ」とはまあ、好きなこと合っていることで生きていったほうが

人生が楽しいのじゃないだろうか、それを生涯かけてひとつでも増やし、

楽しい時間がより多く持てるようになったらいいな、というくらいのものである。

患者さんに勧めている「自分らしさ」も、そういう意味である。

私は子供のころ、外で遊ばない子供だった。友だちがカンけりやかくれんぼを

楽しんでいると、たまには仲間に入ったが、たいていは家にいた。机にばかり

絵を描いたり本を読んだりしていた。座っていると「かまぼこ!かまぼこはだめだ。

家の手伝いをせよ」と親にしかられた。

家の手伝いが一番上だったわが家の教育方針だけは良かったと思う。

その後も体育だけはだめで坂上がりも跳び箱も出来ないままだった。

だから運動とか運転とか、からだを動かすことからはずっと逃げていた。

43才のころ、結婚もしてかわいいさかりの子供もいたのだが、すごい空虚感に

おそわれた。結婚生活がうまくいっていなかったせいだと思う。

作家の藤原審爾が亡くなって、その50歳を過ぎた奥さんが

「とてもさびしい。突然海を見たくなって、新潟までオートバイを走らせました」

と雑誌のエっセイに書いていた。50歳をいくつも過ぎた女性である。

東京から新潟なんて遠い。さりげなく言えるところがなんてかっこいいんだろうと

思えた。娘さんは藤原真理子さんだがいまでも女優として活躍されているだろうか。

「いいなあ、オートバイ」といったらオートバイ好きの若い男性の看護師さんが

「先生、みんないいないいなって言うけど、じゃあ免許とるかってうと誰ひとり

取らないよ」という。「来年の春に挑戦するわ、今年は学会で外国旅行を控えてるし」

というと「ほら、もう言い訳をしている。来年の春になって、何が起きているかは

わからないんだよ。思いたったときに言い訳をしないことが大事なんだよ」

「だって今、10月でしょ。ヨーロッパに12月には行くのよ。とれるわけないじゃない」

「そんなことないよ。途中で抜けたっていいはずだよ」

彼があまりに言うものだから、とうとう翌日、自動車学校の門をくぐった。

旅行中は抜けて、自動二輪の中型免許を取得したのは、12月のある

雪の降る寒い日だった。足はあざだらけ。お金も人の倍かけて、運転音痴の私が

中型免許をとった。

これは私にとって大きな成功体験となった。昨日、10才までの成功体験が大事と書いた。

しかしいくつになっても遅くはないのだ。

早速ホンダの400ccバイクを買った。でもいったん倒れるとどうしても起こせない。

自動車学校ではおこせたのに。ヤマハの赤い250ccに買い替えた。職場で妙高に

ドライブをするという計画があった。私だけオートバイで行った。こわくてこわくて

死ぬかと思ったが死ななかった。妙高を風を切って走ったときには、なんと気持ち

いいのだろうと感激した。

でもオートバイに乗ったのはそれが最初で最後となった。金沢の市内をオートバイで

走ろうと出かけた。でもう右折がどうしても出来ない。前からどんどんと車がくる、

後続の車がいる。にっちもさっちもいかなかった。やっと辿りついた職場で、

これまた別の男性看護師さんから「先生のへっぴり腰は、見ていても哀れ」と言われ、

自分でも「オートバイは合わない」と思ってやめた。

でも、それ以来、私の中で何かが変わった。言い訳をしないことにした。

思いついたらなんでもやってみることにした。なんでもいいんだ。チャンスが

あったらそれを受けて立つということだ。簡単だ。

今もたくさんの種蒔きをしている。

まず、ポストカードでしょ。電子出版でしょ。レンタル ボックスでしょ。

エッセイ集の出版でしょ。以前に出した本の電子書籍化でしょ。ピアノでしょ。

職場で演奏会をするでしょ「色えんぴつで絵を描こう」という本を買ったでしょ。

2つの病院で写真展をやっている。

こうやってたとえ一時間でもあったら、とにかくブログで原稿を書く。

それはそう決めたから。これも種まき以上のナニモノでもない。それでいい。

芽が出たら楽しい、でなくても楽しい。

もっといっぱいあると思う。夫からは節操がない、と言われている。が

私にしたら種蒔きなのだ。どれから芽が出てくるかなあと楽しみにして

せっせと蒔いているのだ。

今日もこれから、伊勢エビを食べるためだけに、伊豆の南端に行く。

夫が夏に海で伊勢エビをつかまえた。かわいい伊勢エビだった。すぐにはなしてやったが、

いつか大きな伊勢えびを食べたいねということになった。

本当は出かけるのは、あまり好きじゃない。でも夫が出かけるというからそれに

乗ってみる。これも種蒔きだ。

交通事故の危険もはらんでいる。が、たのしい発見や出会いがあるかもしれない。

新しい自分を見つけるためには、私は自分から動く。

悩みはぐずぐずだが、行動は早いのだ。

行ってきます。夫が早く、早くと待っている。雑な文章ですみません。