写真には、写した人の心性があらわれる。
私の患者さんで、どうしても外に出れない方がいる。
家のまわりの散策以上に外に出れない。
おうちで縫い物の仕事をされている。
病院へは、お母さんが来られて症状を話してくださる。
その方とは、「写真診察」をしている。
その方が撮られた写真を見せてみらい、感想を書いたりする。
上の一つ、二つの写真(合計4枚)がその方の写真だ。
この写真は誰でも撮れるようでいて、私には撮れない。
私の撮った写真は一番下のものだ。
今日、カメラをトイレに流してしまい、写真がない。
パソコンに入っていたものだが、いかにも私風である。
彼女の写真と私の写真では全然撮りたいものも、撮り方も違う。
私は撮りたいものをカチッとおさめないと気がすまない。
構図なども、自分なりにこだわってしまう。
きまじめな性格が出ている「きちんとした」撮り方しかできない。
今日、プロのカメラマンに「猫もかわいく撮れているけど、動きがあると
もっと良い」と言われた。
考えてみると「動くなっ! きちんと写真におさまれよ」と言っている写真なのだ。
☆ ☆ ☆
彼女のような、自然に撮って、どんな風にも見える写真。
空虚なようなさびしいような、でも静謐とした雰囲気の写真が好きだ。
特に一番上の左側の写真なんかとても好きだ。
この道の向こうはどうなっているんだろう。とか。
手前には何があるんだろう、とか。考えているだけで楽しい。
でもだからって自分で撮りたくても、なかなか撮れない。
いずれにしろ写真を撮るときも載せるときも、無意識にやるんじゃなく
きちんと意識をすることは大事だと思う。
上手な写真を撮る必要はない。
しかし写真を見れば、その人のいろんなことがわかることはたしかだ。
きれいな景色を見せびらかす写真じゃなく、さり気ないものに心を入れて
撮りたいと思った。